真実⑦
「おい、そこの船!」
しばらく順調に進んでいたユナを乗せた船だったが、ついに兵士に見つかってしまう。
「嬢ちゃん、見つからないように海に潜りな。この船の側面に、緊急用のボートがある。それを使え」
機転を利かせた船頭が、近づいてくる兵士を乗せた船からユナが見えないように立ってそう言った。
「ありがとう」
ユナはなるべく音をたてないように水の中に入った。まだ冬ではないが、それなりに水は冷たかった。ユナは、兵士たちに見つかってはいないかとびくびくしながら様子を伺う。
しかし、まだこちらには気がついていないようだ。船頭が兵士たちと何か話して気を引いている。その隙に、緊急用ボートを用意して乗り込んだ。
ユナを乗せたゴムボートは、夜の闇に溶け込みながらゆっくりと船から遠ざかる。運のいいことに、波は兵士たちの船のある方向とは逆にボートを運んでくれた。
「この船に、若い娘が乗ってこなかったか?」
「さぁ、知らんな。この通り、この船に乗ってるのは老いぼれだけだ」
「嘘じゃないだろうな?念のため、中を調べさせてもらうぞ」
「ああ、構わんよ」
兵士たちが、次々と船の中に乗り込んでくる。
ちゃんとユナが逃げられたか船頭の老人はひやひやしていたが、それを表に出すわけにはいかない。平静を装ってその場をやり過ごす。
「本当にいないようだな。失礼した」
老人以外誰も乗っていないことを確認すると、兵士たちは引き揚げていった。
長い間、波に流されていたユナだったが、夜が明けるころには穏やかだった波も変化しつつあった。空には灰色の雲がかかり、海に荒々しさが出てくる。
あたりを見回しても、海以外何も見えない。どこかに逃げ込める場所もなく、そうしているうちにユナの乗ったボートは、荒れ狂う波に呑まれ転覆してしまった。
「きゃあ!」
海に投げ出されたユナは、何とか海面に顔を出す。
「う……ゲホゲホッ……このままじゃ……溺れて……」
波にもまれながら足掻いていたユナだったが、流れに逆らえるはずもなく、ユナの体はその意識と共に海に沈んでいく。意識がなくなる寸前、何か光のようなものに包まれる感覚に襲われた。
「目が覚めた?」
意識が戻った時、最初に目に入ったのは自分と同い年くらいの、栗色の髪の女性だった。
その女性は微笑みながらユナに手を差し伸べる。その手を掴み、ユナは体を起こした。
「えっと……あなたは?」
「私は、リエラ。リエラ=ミュレット=アルタジア。ここに来たということは、あなたもアルタジアの子孫なんでしょう?」
「アルタジア?何の事だか、私には……」
「ごめんなさい、そうよね。今じゃ、ミュレット家以外、その事実をほとんど知らないもの」
「えっと、リエラさん?」
「リエラでいいわ」
「リエラ、ここはどこなの?」
確か自分は、海に放り出されたはずだ。
あたりを見回してみると、植物で囲まれた中にある小さな空間のようで、リエラの他にも何人か生活しているようだった。子供の姿も確認できる。しかし、それほど大人数でもないので、ひとつの家で全員が生活しているようだ。
食べ物もあることにはありそうだが、採りに行くには険しい道を進まなくてはならなそうだ。植物が踏み倒されてできた道を覗きながら、ふとそんなことを思っていると、ひとりの子供が何のためらいもなくその道を突き進んでいく。ここでは、それが普通なのだろうか。
普通に人も生活しているようだが、どこか不思議な感じのする場所だった。
「ここは、幻の大陸。聖地ミストクルスという場所よ」
「幻の、大陸?」
リエラの言葉に、ユナは目を丸くした。幻の大陸といえば、本で読んだことがあったかな、というくらい。現実に存在しているとは、思っていなかった。
「驚いた?ここは、アルタジアの子孫しか入れない特別な場所。あとは──死者の魂が集まる場所ね」
「死者の魂?」
ユナはその言葉に首を傾げる。
「そう。一生を終えた魂は、一度アルタジアの元へ集められる。それから、“神石”に変わるの」
「ちょっと待って。その流れだと──アルタジアが、ここにいるってこと?」
魂がアルタジアの元に集まる。ここは魂が集まる場所だとさっき言っていたのだから、つまりそういうことだ。
「ええ。ほら、そこに」
リエラが指さした先には、巨大な赤い結晶があった。それは、神石のようだとユナは思った。
「お前の名前は?」
するといきなり、その結晶から声がした。これが、アルタジアだと言うのだろうか?
驚きながらも、ユナはその問いに答える。
「ユナ。ユナ=グラットレイ」
その名前を聞いて、アルタジアは懐かしむような口調に変わる。
「グラットレイ、あの子の子孫か。時を読む力を持った、あの子の。お前には、何が見える?」
「未来」
ユナがそう答えると、アルタジアは少し黙ってから、また話し出した。
「──その力のせいで、苦労もしたろう」
「……うん」
ユナは、小さく頷く。今まで起こったことが、頭の中を駆け巡った。
だが、こうしてもいられない。今の状況も整理しなくてはならないと思い始めた。
「あの、アルタジア?私があなたの子孫だというのなら、いろいろと教えて。あなたのことも、神石の力のことも。私は、何も知らないから」
そんなユナに、リエラがアルタジアについての説明を始める。
「アルタジアは、いわば原石。神石というのは、死者の魂を転換させたもの。後に残る者たちの生活が楽になればって、アルタジアの想いから始まった研究の成果らしいわ。この原石は、アルタジア本人の魂と、その子供たちの魂、それからまだ神石に転換されていない一時保管された魂で形成されているの」
「生物の魂は、とても強い力を秘めたものだ。だから、それを留めておく術を私は探した」
アルタジアは昔を思い出すようにゆっくりと話した。2人の話を聞きながら、ユナは首を傾げる。
「私の力は、神石とは関係ないの?今まで使った記憶がないんだけど。グラットレイって人の子孫だから使えるのかな」
今まで、神石を使った記憶はない。ずっと昔から、何となく使ってきた力だ。別段気にしたこともなかったが、2人なら何か知っていそうなので聞いてみる。
すると、思った通りリエラがその質問に答えてくれた。
「もちろんそれもあるけど、私たちアルタジアの子孫は、この原石から直接力を供給してもらっているのよ。神石にも、同じように力が供給されているわ。子孫以外は直接供給できないから、力を使うために媒体が必要なの」
「知らなかった……」
今や世界中に広まった神石の力。それが、生物の魂でできていることを、おそらくここにいる人たちしか知らない。
話の通りなら、世界のどこかにある神石には、祖父母や両親の魂によって形成されたものもあるのだろう。
死してなお、生者の力となる。果たしてそれは、世界を繁栄に導くのだろうか?
確かに、ここまで生命が生きてきた歴史の中には、神石がついてまわっている。世界が発展したことに関しては疑いようのない事実だ。
しかし、その力のせいで犠牲になった人たちがいることも現実。神石は、あまりにも大きな力だ。
考え込むユナに、リエラは優しく微笑む。
「ここには、アルタジアの子孫しか入れない。だから、夫婦のうちどちらか片方はこの大陸以外の人よ。私にも夫がいるけど、今は私がアルタジアを見守る役目だから、ずっと外にいるわけにもいかないし。たまに会いに行くくらい。それでも、私は今の生活が幸せ。ここは、とても平和だもの。あなたも、ここにいればもう危ない目にも、辛い目にも合わなくて済むのよ?あなたには、ここにいる権利がある」
彼女の言う通り、ここにいればそんなことも考える必要がないのかもしれない。それに惹かれる自分もいる。
しかし、ユナは首を横に振った。
「ありがとう。でも、私の未来はそう進まないから」
「それが……あなたの見た未来?」
「うん」
ユナには、ここで一生を終える未来は見えていなかった。
「お前自身の意志でもか?」
力に翻弄されているのではと心配したのか、アルタジアがそんなことを聞いてきた。しかし、その心配はない。
「うん。たとえサイモアから逃げる生活になったとしても、私はもっと世界を知りたいから」
ユナは、力強くそう言って笑った。