再び太陽の下に
「失敗は、許されない……絶対に」
天音は、音が響かないように滝の傍で笛を吹いていた。ここなら、サイモア兵にも気づかれにくい。もちろん、普通の笛だが、練習せずにはいられなかった。滝の音で、自分の演奏がよく聞こえないが、それでも吹けるようにしなくてはならない。戦場でも、かき消されてしまうだろうから。
天音の母は、そこで失敗した。
天音は、休憩するために滝から少し離れた岩の上に座り、あの日のことを考える。
普段は、誰よりも演奏が上手かった母。しかし、精神面では非常に弱く、ことに騒がしい場所では集中できないという欠点があった。
天音の母と、一閃の父が禁忌を使った日、母は集中力を欠いて、演奏を間違えた。あと少し、最後の数小節のことだった。
結果として、生命転化自体は発動したが、サイモアに致命的なダメージは与えられず、おまけに生命回帰の失敗により、一閃の父は亡くなった。
一族の長を失った攻のエルトラムは、長の力が通用しなかった以上、残された者が生命転化を使用したところで意味はないと悟る。
ただひとりを除いて。
ただひとりだけ、可能性のある人間がいた。
それが、一閃──
当時の一閃はまだ子供で、生命転化を扱える年ではなかった。しかし、大人たちは一閃に一族の未来を託す。
子供たちが避難していた洞窟──アストルたちを連れて行った場所に、一閃と天音も震えながら身を寄せ合っていた。そこに、翁と天音の母、それから何人かの大人たちがやってきて、国から逃げると言う。
一閃は、父はどうしたのかと尋ねた。翁はそんな一閃に、ただ黙って宝剣を渡すだけ。一閃は、宝剣と翁の顔を交互に見て、最後に天音の母を見た。
『私が、あなたのお父上を殺してしまった』
天音の母は、そう言って深く頭を下げた。一閃はその様子をしばらく眺めていたが、自分のすべきことを理解したのか、子供たちに逃げるよう指示を出す。
一閃は、天音の母を一度も責めなかった。
逃げる途中で、サイモア兵に見つかる。辺りはサイモアの攻撃で火の海になった。
『危ない!』
天音の母は、子供たちに向けられた銃弾を代わりに受け、その場に崩れる。とっさに、一閃は天音の視界を遮った。母の手から、生命回帰の笛が転がり、炎の中に消えていく。
逃げ場を失い、数人の大人たちは苦渋の決断をした。
──一閃、天音、翁の3人を優先して助ける。
強力な生命転化を使用できる可能性の高い一閃、母譲りの演奏技術を持った天音、禁忌の道具を作ることのできる翁。
その後のことは、翁以外詳しく覚えていない。どうやって逃げ延びたのか、他の子供たちはどうなったのか。盾になった大人たちは、まだ生きているのか。
今、かつてのことを思い出す。
「──まだ平和だったころの、最初の記憶にあるのはこんな満月の夜空だった」
「一閃!」
いつの間にやら、一閃が背後に立っていた。
「アストルたちの話が本当なら、月は再び昇った。俺たちも、そろそろ太陽の下に帰ろう」
「ええ、もちろん」
一閃は、天音の隣に立った。
「……不安か?」
「それは……まったくない、とは言えないわね」
天音は悲しげに微笑んだ。
「生きたいと願え……翁に、そう言われてしまった。俺は今まで、よく考えもしないでいろいろ言ってきたが……死にたいとは思っていない」
「もちろんよ!あなたには、絶対に生きていて欲しいもの……」
「今まで悪かった。お前の気も知らないで、余計に心配させてしまったな」
「いいえ、それが聞けてよかったわ」
微笑む天音に、一閃はもごもごと何かを言い出した。首を傾げる天音に、一閃は何かを差し出す。
「それで──だな。俺の発案ではなくてだな……ニトが無理矢理になんだがな……これを、お前に」
「これは、神石のかんざし?桜の花かしら……とても綺麗」
渡されたかんざしには、桜の花びらのような、美しい飾りが付けられていた。赤い神石が薄く削られてできたもののようで、薄桃色に見える。
「お守り……ということにでもしてくれ。無理につける必要はないからな!」
「ふふ、ありがとう。これ、一閃が作ってくれたんでしょう?」
「い、いや?これは、ニトがお前に渡してくれと──」
慌てたように顔を真っ赤にして言い訳する一閃を見て天音は思う。
(嘘ばっかり……これは、あなたが作ってくれたのよね)
桜は、私が子供の時から好きだった花。元々、好きな花だったが、一閃が幼いころ私のことを、春の温かさを感じる桜のようだとたとえたことがあり、さらに好きになった。そのことまで覚えてはいないだろうが、私が桜の花を好んでいることは一閃にしか話していない。まったくの偶然なのかもしれないが、それでも嬉しかった。
花が散っても、その後には緑の葉をつけ、雪の花を咲かせた後、また春を待つ。
私も、それを見習おう。今は、ちょうど冬なのだ。ならば、もうすぐ咲くだろう。長い冬を耐え、春を待ち焦がれる花が。
「一閃、絶対に成功させましょう。絶対、成功するわ……大丈夫」
先ほどまでとは違い、力強い眼差しだった。
「ああ、絶対2人で帰ろう」
そして、その時は訪れる。