生命の大樹
急いで舟へと向かう。徐々にその全貌が明らかになり、一行はひとまず胸を撫で下ろした。舟の方はだいぶ黒こげになっていたが、老人の方は軽い火傷をしているものの、意識はある。
「翁!一体、何があったのですか?」
天音が、驚いた顔でこちらを眺める老人に駆け寄った。
何があったのかと繰り返し尋ねる天音に、老人が答える様子はない。
「──翁、あなたがやったのか?」
一閃は、黙ったままの老人に尋ねた。返事はない。
「ひとまず、手当しないと……。リエルナ、頼めるか?」
重い沈黙の中、アストルはリエルナを振り返る。
「うん」
リエルナは老人に駆け寄ると、いつものように胸の前で手を組み、火傷を治癒し始めた。
「これは……娘さん、何者だね?それに、さっきの水流は……」
リエルナの力に、さすがの老人も口を開かずにはいられなかったようだ。一閃も驚いてはいたようだが、それ以上に苛立っているのが見て取れる。
「翁……あなたがやったのかと聞いたんだ」
声が震えている。
老人は一閃の様子をしばらく眺めた後、観念したようにつぶやいた。
「……そうじゃ」
「その舟は、生命の大樹で作られているのか?」
「……そうじゃ」
「なぜ……なぜ俺たちに隠していたんだ!?」
手当をしてもらっている老人に掴みかからんばかりの勢いで、一閃は声を荒げる。慌てて、天音はそれを押しとどめた。
「一閃!……落ち着いて」
なおも睨み続ける一閃に、老人は言った。
「一閃、天音……【生命回帰の笛】を作ることにする」
思いも寄らぬ言葉に、一瞬しん、と静まり返った。
「……え?」
一閃は、睨むのを止めて困惑の表情を浮かべた。天音は再び聞き返す。
「翁、本当に?」
老人は立ち上がると、一閃たちに背を向けた。
「わしも、本当は禁忌なぞ使って欲しくはない。じゃが……こうして葬り去ろうとしても、何かが止めるんじゃなぁ……。ここで、このおいぼれを死なせてくれなかったのも、世界の意志なのじゃろう。だいぶ焦げてしもうたが、その大樹の残骸を持って家までこい」
手当が完全に終わっていたわけではないが、もういいからと老人は歩いて行った。
「……行くぞ、天音」
「え、ええ……」
ずんずん歩いていく一閃の背中を見つめながら、天音はしばらく動こうとしなかった。
「天音さん、どうしたの?」
「どうしたの、って?」
突然、ニトに話しかけられた天音は首を傾げる。
「なんか、嬉しくなさそうだなぁって。探し物、見つかったんじゃないの?」
「そうよ。ついに……見つかってしまったの」
覚えている。はっきりと。
母が生命回帰に失敗した、あの日のことを。
「私、少しやることがあるから、遅れていくわね」
天音はそう言い残すと、ひとりどこかへ歩いていった。
「──天音はどうしたんじゃ?」
一閃の後について行くと、小さな小屋がひとつ建っていた。中では、老人が座って一閃が運んできた舟の残骸を注意深く見ている。
「何か、やることがあるって、どこかに行っちゃった」
ニトがそう答えた。
「そうか。天音とは、後で話をしようかの」
「翁、できそうか?」
老人が手に持った、焼けずに残った大樹を心配そうに一閃は眺めた。
ひととおり確認し終えた後、老人は頷く。
「なんとか、大丈夫そうじゃ。──よいか、一閃?お前はちゃんと生きるのじゃよ。死んでもよいなどと、考えてはいかん。禁忌は心の乱れでも、失敗に繋がるからのぅ」
「分かっている。そのために、探してきたのだから。かといって、天音に無理は言いたくないが……」
「ほれ、それじゃ。人がなんと思おうが、生きたいと強く願え」
「……ああ」
「天音も、それを強く望んでいるはずじゃ。天音をひとり残すでないぞ」
よいせ、と老人は立ち上がり、戸棚から使い古された道具袋を取り出す。
「今から、生命回帰の笛を作るでな。お前さんたちは、作業が終わるまで外にでていておくれ。食事と睡眠の時間以外は、全て作業にあてる。そうじゃな……1週間はほしいかのぅ」
アストルたちは、言われたとおり外に出た。
「サイモア兵たちが、気づいてなければいいけど……」
クローリアは、近くにサイモア兵たちが潜んでいないか、辺りを見回した。
「今来ていないところをみると、気づかれてはいないはずだ。巡回にでも気をつければ大丈夫だろう。……さっきの、あれは何なんだ?」
ごたごたがあって聞けなかったことを、一閃はようやく尋ねた。
「あー……俺もよく分かってなくてさ。生まれたときから神石がなくても、力が使えるんだ」
「そうか……羨ましいな。お前くらい力があれば、みんなを助けられたかもしれない」
「そんなことないよ。俺は、自分の国を救えなかった……」
アストルはうつむく。
世界中を巡っても、自分と同じような人には出会えなかった。見たことのない力を持っていた人はいたけれど、やはり違う。
ああ、だけど──ひとり、気になる人はいる。
リエルナ。彼女には、何か近いものを感じる。最初に会った時に感じた懐かしさ。それは、そこからきていたのかもしれない。とはいえ、“近い”とは感じても、“同じ”ではないのだ。もしかしたら、彼女は何か自分の存在に関するヒントになるのかもしれないけれど、よく……分からない。
俺は──どうしてこんな力を持っているんだ?