緊急事態
夜の闇に溶けながら、アストルたちは舟から降りた場所を目指す。いくら夜とはいえ、サイモア兵の巡回が全くないわけではない。細心の注意を払いながら進んでいく。
「リエルナ、大丈夫か?」
後ろの方からついてきていたリエルナは、アストルに無言で頷く。リエルナは、決して体力がないわけではないはずだ。グランバレルの時も、アストルやクローリアよりも先に進んでいたくらいなのだから。それなのに、ひとり離れるようにしてついてくる。
「アストルは、何かのために、命を懸けられる?」
唐突に、今まで黙っていたリエルナが切り出した。
「どうしたんだよ、急に。……ああ、禁忌の話か。俺だったら、どうだろ?実際になってみないことには分からないな。でも、本当に大切なもののためだったら、懸ける……かも。その時になったら、分からないけどさ」
「そう……」
リエルナは、また黙り込むとアストルの横を通り過ぎて行った。
「リエルナ?ちょっと、待てって。別に怒ってるわけじゃないけどさ、心配なんだよな。理由くらい教えてもらえないか?」
リエルナは立ち止まって、少し振り向く。いつになく、真剣な表情をしていた。
「アストル、私まだ私のこと何も話してなかったの。でも、この旅が終わったら、きっと全部話せる。全部話したら、きっと楽になれるの……きっと……」
「リエルナ……」
楽になれる。そう言っている割には、話したくなさそうな素振りだ。しかし、やっと謎の多かったリエルナが話す気になってくれたのだから、こちらとしても聞いておきたい。果たして、彼女は何を語るのだろうか?遠ざかる背中を追うように、アストルは足を速めた。
「僕たちが舟から降りた場所は、この先なんですが……」
先頭に立って案内していたクローリアが急に足を止め、うっそうと生い茂る木々の間を睨み始めた。
「どうした?」
一閃が怪訝そうに尋ねる。しばらくクローリアは無言でいたが、何かを見つけたのか慌てたように後ろを振り返った。
「大変だ!あの舟が──燃えてる!」
「なんだって!?……俺にはよく見えない。どんな状況だ?」
一閃もクローリアが睨んでいた方に目を凝らすが、この距離ではクローリアにしか見えていない。
「舟は岸に揚げられていて……船頭のご老人が、舟の中に!」
そうこうしている間に、煙が立ち昇ってきた。その煙は、クローリア以外の目にも映る。
「早くしないと、翁が!」
天音が声を上げる。
「みんな、どいてくれ!クローリア、ここからじゃ爺さんの様子が分からない。俺が魔力で何とかするから、爺さんに危険がない方向を教えてくれ!俺、加減苦手だから……」
「アストル、それじゃ君が……って、言っても聞くわけないか」
「そういうこと。クローリア、早く!」
「仕方ないな……今見えてる煙の方向よりもやや左寄りなら、多少加減が荒くても大丈夫なはずだよ。多少だからね、多少!」
「了解!」
アストルは、クローリアに指示された方向に向かって立つ。そして、できるだけ集中する。
「加減……加減……、激流波!」
掛け声と同時に激流が放たれる。一閃たちが呆気にとられる中、煙が収まったことを確認した。
アストルはそちらをじっと見つめて、首を傾げる。
「加減、したはずなんだけど……」
「なんか……微妙、かな?早く行こう!アストルも、ここからすぐに離れた方がいい」
「ああ」
サイモア兵が追ってくる前にと、急いでその場を離れる。
──ピピピピッ!
ちょうどその時、サイモア兵に支給されている、簡易型の神石探知機が鳴った。ザイクがいつも使っているほど性能は良くないものの、ある程度近づけば問題なく探知できる。
「ぐおー……ぐがが……んー、うるさい!……むにゃむにゃ」
巡回中、さぼって眠りこけていたサイモア兵は、神石探知機の音を目覚ましと勘違いして警報を止めてしまった。そのおかげでアストルたちは幸いにも気づかれずに済んだ。
しかし彼は、のちのちそれがばれてクビになったことは言うまでもない。