雲に隠された月
「俺は──」
アストルが話し出そうとしたときだった。突然、怒号とともに誰かが転がり込み、京獄に飛びつく。
「貴様ら……京獄に何の用だ!」
アストルたちは目を丸くし、ぽかんと口を開けたまま固まった。
いきなり怒鳴ってこちらを睨んでいるのは、肩より伸びた美しい黒髪の少女だったのだ。外見からは予想もしない反応に、どう返してよいのやら分からない。
「お京殿」
京獄は冷たい視線を少女に送った。少女は慌てて口に手をあてると、にっこり笑いながらアストルたちに向き直る。
だが、どうしてだろう?ひどく殺気がこもっている気がするのは……。
「失礼いたしました。私は、京と申します。京獄様の許嫁ですので、京獄様に近寄る輩がいると、どうしても反応してしまうのですよ」
「別に、あたしたち何もしないって」
ニトがそう言うも、お京は首を横に振る。
「人は信用なりません。京獄様は、私が守ります!」
興奮気味のお京を引き離し、京獄は諭す。
「お京殿、いい加減になさって下さい。あなたを待たせたことは謝ります。しかし、このままでは話が進まない。──牛丸、いるんだろう?入ってこい」
「へい、お見通しで。すんません……あっしの手には負えませんで」
廊下で隠れるように聞いていた男性が、頭をぺこぺこさげながら現れた。
「構わん。追いかけろとまでは言わなかったからな。お京殿、あまり牛丸を困らせないでいただきたい」
「むっ、分かっておりますけど……けど……」
お京は牛丸に鋭い視線を送る。京獄が牛丸を気にかけていることに不満ありげだ。
「うへぇ、恐い恐い……」
牛丸は、さっと視線を逸らした。
「お京殿、牛丸と別な場所で待っていてはもらえませんか?今日は、ちゃんと参りますよ」
「いつもそうですのね……しかし、分かりました。京獄様を困らせたいわけではありませんもの。牛丸、行きますよ」
「へいへい。それじゃ、みなさんごゆっくり~」
「牛丸!早く来なさい!」
お京に急かされながら、牛丸は部屋の外に出て行った。
出て行ったのを見届けると、京獄は頭を下げて謝った。
「申し訳ない。お京殿は、私の許嫁でね……遠縁の血族なんだ。口はああだが、優しい方でね。どうか許していただきたい」
「ああ、ちょっとびっくりしたけど、別に気にしてないよ。──自己紹介の途中だったっけ。俺は、アストル。一応、シャンレルってところの王子だ」
「王子?これはたいへん無礼を。しかし、申し訳ないが、シャンレルという国は存じ上げない。私は外の世界に疎くてね」
「シャンレルは小さな人工島だから、結構知らない人はいると思うよ」
「そうか。──アストル王子……あなたは……」
京獄は、目を細めてアストルを見た。何か見透かすように。
「俺が、何か?」
「……いや、そちらの方々は?」
「僕は、クローリアです。こっちがシルゼンで、そっちがニト。それから、リエルナ」
リエルナは、ぺこっと頭をさげた。リエルナの前で、京獄の視線が止まる。
しばらく、アストルとリエルナを交互に見てから、京獄はふっと表情を崩した。
「ふ……面白い客人だな。それで、用件はなんだろうか?」
「実は──」
****
「それで、あの者たちは、どうしたのですか?」
日が傾く頃、アストルたちと話を終えた京獄は、約束通りお京に会いに来ていた。2人は向かい合うように座っていたが、お京は先ほどと打って変わって真剣な表情をしている。
京獄は、アストルたちにサイモア討伐の協力を頼まれ、断ったことを話した。
「だが、泊まるところもなさそうだったからな。今夜は泊まっていってもらうことにした」
「なっ、私も泊まっていきます!」
お京が身を乗り出す。しかし、京獄は悲しい表情で制した。
「お京殿、ご両親が心配なされる。──ただでさえ、あなたは一度多大な心配をかけておられるのだから」
お京はそれを聞いて座り直す。しばらく沈黙が走った。
沈黙の後、やはり悲しげにお京が口を開く。
「それは、あなたも同じでしょう。あなたに関しては、今なお心配がつきまとっています」
「まだ、問題ないさ」
「しかし、そう長くは保ちますまい……まだ、隠し通せるのですか?」
「ああ……まだ、隠し通さなくてはな。あいつらを、追いつめるまでは」
「あまり無理のないよう。あなたに何かあれば、あの方に顔向けできませんからね……」
「ああ……」
2人の顔には、深い悲しみが張り付いていた。
****
「ニト、情報なかったの?」
今晩泊めてもらえることになった部屋には、布団というものが5人分敷かれていた。
その部屋で、クローリアはニトに尋ねる。
先ほど京獄に協力を頼んで断られた際、京獄に術を扱う力がないと聞かされたからだ。クローリアの問いかけに、ニトは頬を膨らませる。
「情報屋にも、ランクがあるんですー。ランクが低いと、重要な情報は預けてもらえないの。あたしは、術者のいるところとしか、教えてもらってないんだよ。詳しい情報は、ここにいるベテランの先輩が持ってるはずなんだ」
「他に術者がいないかとかも、情報がないとね。で、その先輩は?」
「だいたい目星はついてるよ。コンタクトがとれたら、みんなにも教えまーす」
ニトは、任せなさいというが、どこか頼りなかった。
しかし、今はニトに頼るほかないだろう。京獄から聞いた話では、むやみに外を歩き回っては危険な状況下らしい。
この土地にかなり詳しく、抜け道でも知らない限り、移動は困難だ。
「ニトに任せるしかないな。焦っても、仕方ないし」
アストルは布団に横になった。
「ゆっくりで、いいの」
突然、リエルナがそう言った。
リエルナは、珍しく難しい顔をしている。いつもニコニコしているのに、どうしたのだろうとアストルは疑問に思った。
「リエルナ、どうしたんだ?」
心配してアストルが起き上がる。
「──何でもないの」
しかし、リエルナはそれだけ言うと、布団を頭まで被って黙ってしまった。
本当に変だとは思いながらも、仕方なくアストルたちも横になる。
リエルナは、布団の中で目を開けていた。
そして、ずっと考えていた。この旅に自分が同行してきた理由を。
──リエルナ、お前には話しておこう
──辛くても、最後までこの仕事はやり遂げてほしい
──彼は、知らなくてはならない
──これは私の勝手な考えだが、知らないまま彼は戦い続けることができなくなるだろう
──その時は、お前が導くのだ
──知った上で、彼が何を選択するかは分からない
──だが、私は彼の選択に従おうと思う