あの日、守れなかった君へ④
外の騒がしさが増していく。クローリアは、ニトが飛び出して行かないように、しっかりとその手を掴んでいた。
「……クローリア、なにがあったの?どうして外に出ちゃいけないの?」
「……」
「ねぇ、どうして!?どうして、メルが呼んでるのに行っちゃいけないの?」
「……ニトを守るって、約束したんだ」
「それじゃ、分からないよ……ちゃんと教えてよ!」
「……」
ニトに詰め寄られると、クローリアは泣き出しそうな困った顔をした。
クローリアは、偶然両親が話していることを聞いてしまった。
これから自分たちは、戦いに行くのだと。そして、おそらくもう生きて帰ってくることはできないだろうと……。
クローリアは飛び出して止めようとしたが、そこにニトがでてきてしまい、口をつぐんだ。両親はクローリアにニトのことを任せると言った。
止めても、きっと行ってしまうのだろう……クローリアは両親に従い、ニトだけは絶対に守ると心に決めた。
「とにかく……だめなんだよ」
ふっ、と窓の外に目をやったクローリアは言葉を失う。
視力のいいクローリアには、はっきりと見えてしまったのだ。
──毒を浴び、苦しみながら倒れる両親たちの姿が。
クローリアは叫びたかった。そのまま、飛び出してしまいたかった。
だけど──
クローリアはぐっとこらえ、ニトに外を見せないように気をつけた。
しばらく、家の中でじっとしていると、急に音が止んだ。不気味なくらい、しんと静まりかえっている。
──終わったのか?
おそるおそる、クローリアは立ち上がり、窓の外を見た。なるべく、海岸に視点を合わせないようにしながら。
見たところ、何もいない。
「ニト、僕が外を見てくるから、ちょっと待ってて」
クローリアは、そっと玄関の扉を開き、外へ出た。あたりをぐるりと見回す。
「何も──いないな」
引き返そうと振り返ったクローリアは、恐ろしいものを目にした。ドクドリスが窓から入ってきて、ニトを連れ去ったのだ。
「きゃあああっ!」
「ニト!」
「クローリア、逃げて!」
ドクドリスはニトをくわえたまま、海岸の方に飛んでいく。
屋根の上で様子をうかがっていたのだろうか?
そんなことは、どうでもいい。
「ニト、ごめん!守るって約束したのに!」
クローリアは、ドクドリスを追いかけた。
「離して!」
暴れるニトに、ドクドリスの歯が食い込む。
「痛いっ!」
──キュィィィィ!
どこからか、激しく鳴く声が聞こえた。
「メル!?何で出てきたの!早く隠れて!」
【キュィィィィ!】
メルフェールは、ニトの危険を察知したのか、自分から岩穴を抜け出してドクドリスの気をひこうとしていた。
ドクドリスが、メルフェールの姿を捉える。
仲間のドクドリスが、メルフェールめがけて下降していく。
「メル!」
【キュ、キュゥゥゥ……】
メルフェールは、驚いて動けない。たとえ動けても、メルフェールの足では逃げられないだろう。
小さなメルフェールは、あっという間にドクドリスに捕まってしまう。苦しそうなメルフェールの鳴き声が耳に届く。
「メル……すぐ、たすけ……てあげ……る……」
ニトは頭がぼうっとしてきた。毒が、回り始めたのだろう。
「……クローリア」
遠のく意識の中で、彼女はその名を口にした。
「ニト!……メルまで」
海岸にたどり着いたときには、すでに手の届かない場所に飛んでいってしまっていた。
クローリアは、膝をつく。その周りには、動かなくなった人間や、ドクドリスの死骸が転がっている。
しかし、どれもクローリアの目には入らなかった。
もう、どうでもよかった。
結局、自分には何も守ることができない。
もう、自分の傍にいてくれる人間も──いない。
クローリアの周りを、ドクドリスたちが囲み始めた。まだ、こんなにいたのか。
逃げる気力もなくなっていた。ただ、呆然とそこに座りこむ。ドクドリスたちが、自分を殺してくれるのを待った。
──だが、その時
「何してるんだ、お前!?危ないだろ!」
自分と同じくらいの少年が、クローリアの前に立った。
「悪いが、こっちも手加減してられない。燃え盛れ、怒りの火炎!」
少年は、一気に周りにいたドクドリスたちを倒してしまった。
「はぁはぁ……お前、怪我してないか?」
息を切らしながら振り返った少年の姿を見て、クローリアは目を丸くした。
「うそ……アストル王子?」
目の前に立っていたのは、紛れもなく王子だった。
「王子ー、勝手に走っていってはなりませぬぞ!」
遅れて従者と思われる年配の男性がやってきて、アストルの様子を確認する。
「あー、ジギルさん」
「お怪我はありませぬか?あまりご無理をなされては、倒れてしまいますぞ。お父上も心配なされます。……おや、その少年は?」
アストルが勝手に走っていってしまった理由を、ジギルは察したようだ。
「お優しいが無茶をなされるのは、本当にお父上にそっくりですな」
「あーあー、分かってるよ。で、怪我はないか?」
ジギルの小言を聞き流しながら、アストルはクローリアに視線を戻した。クローリアは驚いて上手く言葉にできない。
「あの……はい」
やっとそう答えたクローリアに、アストルは忠告する。
「早く帰れよ。まだ残ってるはずだ」
帰る場所か──
そんなもの、もうクローリアには残っていない。
顔を曇らせながら、ぽつりとつぶやく。
「──帰る場所は、もうないんです」
ジギルは、海岸で繰り広げられたであろう戦いの跡を見た。
「ご両親も……戦われたのですな」
それに気がついたアストルは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめん……俺がもっと早くきていれば……」
「別に、王子のせいじゃ……」
突然頭を下げたアストルに、クローリアは戸惑った。相手は王子、自分はただの一般市民に過ぎない。
そんなクローリアをよそに、アストルはとんでもないことを思いついた。
「──なぁ、お前うちにこないか?」
「え?」
クローリアは驚いて、話がつかめなかった。
「王子……しかし、それは──」
ジギルも顔にしわを寄せるが、アストルの気は変わらない。頑固なところがあるアストルは、一度決めたらなかなか後に引かないのだ。
「友達として、きてもらいたいんだ。お前、名前は?」
「……クローリア、です」
「クローリア、きてくれないか?」
「友達だなんて……そんな……」
首を振るクローリアを見て、ジギルは仕方なしに提案する。
「王子、いきなりではこの少年も気が重いというものです。どうしてもというなら、まずは従者ということでどうでしょう?」
「えー、俺は嫌だけどな。お前はその方がいいのか?」
「……」
「このまま、どうするつもりだよ。行くとこないなら、とりあえずこいって!」
アストルはクローリアの返事を待たずに、腕を引っ張って連れて行く。
その途中、ドクドリスの群れが襲ってきた。
「やっぱり、まだいたか!怒りの火炎……」
アストルはもう一度、ドクドリスたちに魔法攻撃をしようとするが、ぐわんと視界が歪んだ。
「無理です、王子!先ほどの攻撃で体力が限界なのですよ、逃げて下さい!」
「くそっ……」
ドクドリスがアストルたちに迫る。
「王子、ここは私が食い止めます。早く!」
「無理だよ、ジギルさん!」
「なに……老いぼれのことなど気にせずとも構いません」
アストルたちをかばうように、ジギルは立ちはだかった。ドクドリスの鋭いくちばしが、ジギルを捉える。アストルが叫ぶ。
──あと数センチ
「馬鹿野郎!んなこと、許した覚えはねぇぞ、ジギル!」
突然、怒号が走ったかと思うとドクドリスが吹っ飛んだ。
強烈な蹴りを繰り出したのは、ルクトス王だった。ジギルは、半ば呆れたように笑う。
「……ルクトス様。まったく、本当に無茶苦茶ですなぁ……」
「お前に言われたかねぇよ」
ルクトスはアストルに向き直る。
「大丈夫か、アストル。まったく、勝手に行きやがって……怪我してねぇか?」
そこに、集まった兵士たちも駆けつけた。兵士たちは、城下町に入り込んだドクドリスを倒すべく走り回っている。
「国民が足止めしてくれたおかげで、最悪の事態は防げそうだ。だが……」
ルクトスは海岸に広がる光景を見て、口を閉じる。
「俺が、もっと早く来ていればこんなことにはならなかったかもしれない……」
うなだれるアストルの頭を、くしゃくしゃとルクトスがなでる。
「うわ……何すんだよ、父さん」
「んな顔すんな。……いいか?いくらお前に力があっても、まだまだ子供なんだ。お前の力は認めてる。その力は、きっといつかみんなを守れるさ。だが、今じゃない。子供のうちは、もっと大人に頼ればいいんだ」
「ルクトス様、立派になられて……昔のあなたに見せてやりたいですなぁ」
からかうように、ジギルが言った。
「う、うるせぇよ!」
その後、長い戦闘の末にドクドリスの件は収束を迎える。
しかし、あまりに大きな傷跡を残した。見える傷跡も、見えない傷跡も──
ルクトスは、アストルを背負って城に戻る。その手に引かれるようにして、クローリアも城に向かっていた。
「……助けてやれなくて、悪かった。こんなこと頼むのもどうかと思うんだが、アストルの傍にいてやってくれねぇか?こいつを産んで、母親はすぐに死んじまった。だから、こいつは母親の顔を知らねぇで育ったんだ。お前とは違うだろうが、近いものはあるんじゃねぇかと思ってな……。アストルもお前が気に入ってるみたいだし、嫌なら途中で出て行ってもらっても構わない」
ルクトスは、その背で眠るアストルを見ながら言った。
「でも……僕は誰も、守れません……」
「言っただろ?もっと大人に頼っていいんだ。お前は、俺たちを頼ればいい。人間ってのは、ひとりひとり違うんだ。できねぇことも、山ほどある。だから、人を頼るんだろ。できねぇことが悪いんじゃない。頼れないことが、結局みんなを苦しめるんだ」
「ほっほっほ……今日のルクトス様は聡明に見えないこともないですな」
「微妙な言い方だな……」
ルクトスはジギルの言葉にため息をつく。
そうして、4人は城へと戻って行った。
僕は居場所をもらった。
ひとりで生きるには、僕は弱すぎる。目の前に与えられた居場所に、すがるしかなかった。
傷跡は消えないけど、ここでならそれを背負って生きていけるかもしれない。
僕は、守ろう。今度こそ、僕に居場所をくれた人たちを。
ニトは、そんな僕を恨むだろうか?いくら恨まれても、きっと足りない。
僕を許さなくていい。だけど、大きくなって誰かを守れるのなら、まだ生きていたいと思う。もう少しだけ、ここにいてもいいだろうか?
──ねぇ、ニト?
だから、驚いたんだ。
なぜ、昔の変わらぬ笑顔のまま、また僕の前に現れたのか。
そして、なぜ僕はまだこれほどまでに弱いままなのか──
そろそろ、次の大陸に入ります。
いろいろと抱えるものはありますが、それがアストルたちをどういった方向へ向かわせるのか…