あの日、守れなかった君へ③
今日の波は穏やかだった。
ニトは、メルフェールと一緒にナルクルの背中に乗せてもらってご機嫌だ。
「ありがとう、ナルクル。ニトたちも乗せてくれて」
【子供がひとりやふたり増えたところで、問題はなかろうて。だが、いつもだとは思わぬことだ。本来ならば、水竜は自らの主しか背に乗せることはない。──メルフェールの祝いもかねて、今回だけ特別だ】
【キュウキュウ!】
【はは、礼を言っておるのか】
ナルクルは、まるで孫を見ているようだった。ナルクルも1000歳近い高齢だし、メルフェールがかわいいのだろう。
【わしも、アクアレーン様の世話を任され、メルフェールといられる時間が減ってしまってな。メルフェールに主が見つかって、ようやく肩の荷がおりた】
ナルクルは、いつになく穏やかに見えた。
日暮れが近づき、メルフェールは元いた浅瀬に戻る。
【キュウゥゥ……】
メルフェールが寂しそうな声を出す。ニトはメルフェールの頭を撫でる。
「大丈夫だよ、メル。また明日、会いに来るからね」
【キュウ!】
そうニトが言ってやれば、メルフェールは嬉しそうに声をあげる。
また明日。
事件が起こったのは、その日の夜だった。
ニトは、自宅でベッドに入り眠ろうとしていた。波の音が子守唄のように、優しく包み込む。
うつらうつらと、まぶたが閉じてくる。
ザザーッ──
いつもと変わらぬ波の音。
しかし、それに混じって何か別な音が──
──キュイィィィ!
ニトの眠気が吹っ飛ぶ。
「メル?」
──キュイィィィ!キュイィィィ!
間違いなく、これはメルフェールの鳴き声だ。しかし、今まで聞いたこともない、ひどく怯えた声。
ニトは、パジャマ姿のまま外に飛び出した。
両親は、すでに家の外に出ていて、隣に住むクローリアの両親と何か話している。ニトの姿に気がつくと、両親は家の中に戻るよう言った。
「ニト、クローリア君と家の中にいなさい。絶対、外に出てはいけないよ」
「おとうさん……でも、メルが……メルが私を呼んでるの!」
必死にそう訴えるが、ニトの言葉は聞き入れられない。
「メルは、父さんたちに任せなさい。さ、早く!」
「クローリア、ニトちゃんの傍にいて守ってあげるんだよ」
「父さん……うん。ニト、部屋に戻ろう?」
クローリアが掴んだ手を、ニトは振り払う。
「いや!あたし、メルのところに行くの!」
「ニト!」
ニトの両親は、力ずくでニトを家の中に押し戻した。
「クローリア、ニトちゃんを絶対外に出すな!もちろん、お前もだ!」
「父さんたちは?」
「父さんたちは、お前たちを守る。必ずだ。お前は、ニトちゃんを守るんだよ」
「うん……約束する」
「すまないね、クローリア君。──あの子を、頼んだよ」
「クローリア君、年の割にしっかりしていますな。うちの子を任せてしまって、申し訳ない」
ニトの父が、クローリアの両親に頭を下げた。クローリアの父は、とんでもない、と首を横に振る。
「いえ……うちの息子も、人前ではああなんですが、そんなに強い子じゃないんですよ。あの子を置いて行きたくはありませんでしたが、仕方ありません」
「大丈夫よ、あなた。ニトちゃんがいるわ」
クローリアの母が、言った。
「私たちは、守らなくてはなりませんね。あの子たちの未来を」
ニトの母は、海の方を見て覚悟を決める。
海岸には、シャンレルの人々が口々に何か叫びながら集まっていた。城の兵士たちも、手に松明を持ちながらやってくる。
「みなさん、ここから離れてください!危険です、早く……」
「なぁに、お前さんたちだけに任せるわけにゃあいかねぇよ。覚悟は決めてんだ、みんなでなんとかしようぜ」
大人たちは、兵士が止めるのも聞かず、決して逃げようとはしない。
「我々が止めなくては、子供たちの未来が奪われてしまいますからね……戦わせてください」
クローリア、ニトの両親もそれに加わる。
「みなさん……」
兵士たちは、その姿にただ頭を下げるしかなかった。
夜の闇に溶けながら、こちらに向かってくる大きな鳥。
──猛毒保有種、超危険種指定、怪鳥ドクドリス
10年ほど前から、世界でたびたび目撃されるようになった危険種。ドクドリスに噛まれたり、毒の息を浴びた生き物は、その猛毒でほぼ確実に死に至る。
その群れが、シャンレルに押し寄せてきたのだ。
早く食い止めなければ、シャンレルは地獄と化す。
「クローリア、ニトちゃん……お前たちの未来が、どうか幸せなものでありますように……」
大人たちは、ドクドリスの群れに向かって身を投げた。
どうか、シャンレルに未来が訪れますように。ただ、それだけを祈って。