従った者、従わなかった者
部屋に案内された後、シルゼンはひとり裏庭へと向かった。
重い鉄の扉を開くと、月明かりに照らされた庭に出る。すでに、そこにはルアンの姿があった。ルアンは裏庭に置かれている石造りの長椅子に座るよう勧め、シルゼンはそれに従い腰を下ろす。ルアンはその向かい側の椅子に腰掛け、シルゼンと対峙した。
「いきなり呼び出してすみません」
ルアンは、はじめに謝った。
「別に、気にしなくて構わない。何か、俺について知っているようだな?」
ルアンは頷く。
「グレゴルドの一族は、18年前のあの日、新しい国の方針に……司令官に従った家だ」
「……その通りだ。詳しいな」
シルゼンは、妙にサイモアについて詳しいルアンを不思議に思った。
ルアンは一呼吸おいて静かに話し始める。
「……僕も、サイモアの出身なんです。僕の本当の名前は、ルアニスク=ロンディル。小さいながらも、一応貴族の家でした」
「ロンディル……名前は聞いたことがある」
「グレゴルド家ほど有名でもありませんでしたから。グレゴルドは王政の時代、王家に仕える騎士の一族だった。数多く、優秀な人材を出してきた名門。それに対して、主に作戦の指揮をとることにおいては右にでる者のいなかった一族……それが司令官の産まれた、ブレンディオ家です。ご存知ありませんでしたか?」
「俺も幼かったからな……多少、物が分かってきたころにはすでに王政ではなかった。ブレンディオの話は噂程度でしか知らない。それに、あの人はさほど有力な地位には就いていなかったと聞いたが……」
「まぁ、そうですよね。僕も色々あって後から調べましたし。彼の名があまり知れていなかったのは、彼の兄たちが彼を遙かにしのぐ能力の持ち主だったからなんですよ。司令官が、どうやって今のサイモアを造り上げたか、それは知っているでしょう?」
「ああ……ひどい王政に不満を溜めていた国民の前で王族をひとり残らず殺し、王家に仕えていた自分の家族がそれに抵抗してきたため、それすらも容赦なく切り捨てた……だな?」
「はい。そして、貴族たちにもその手は及んだ。従うなら配下に、従わないなら……」
ルアンは言葉を切った。
「僕のようになりました。──獣化!」
すると、ルアンの左手が獣の腕に変わった。鋭い爪、針のような毛並み……。これは一体どういうことなのだろうかと、シルゼンは食い入るようにそれを見つめていた。
「僕はまだ、生きていただけいい方です。ロンディル家をはじめ、従うことを拒んだ一族は、猛獣ラディンバルと人間の合成実験の実験体にされました。成功すれば、強力な戦力になる実験です。ちょうどいいように、実験体が手に入った形でした。──しかし、あまりにリスクが高く、耐えられずにみんな死にました。僕の家族も友人も……僕だけが、なぜか生き残ってしまったんです。僕が実験体にされたのは、4年前くらいで、おそらくあなたが隊長に命じられたころですね」
猛獣ラディンバル、この世界で最も凶暴だと言われる獣だ。雑食で、時には人間を襲うこともあるという。生息域は定かではない。
「そんな話……初めて聞いた。それでは、4年前までずっと──」
「はい。19になるまで、地下の奥深くの牢獄に入れられていました。今でも、その実験が続いているのかは分かりません」
ルアンは獣化を解く。
「髪も瞳も、すっかり昔とは変わってしまいましたから、たとえ僕を知っている人でも分からないでしょう。何とかあそこから逃げて、海に流され何度も死にかけながら、偶然この国に流れ着きました。幸い、この国は力があればある程度何とかなる。力には……困りませんから。最低限の知識も、牢獄の中にいた大人たちに教えてもらっていましたし」
「ジェイド殿は、ご存知なのか?」
ルアンは首を横に振る。
「僕に獣化する力があることしか、伝えていません。もし、僕があの実験の生き残りだとばれれば、サイモアが何をしてくるか分かりませんし……。名前を明かしたのも、サイモアに反する人間であるあなただからです」
「かつてはサイモアに従っていた俺を信じるのか?」
「皮肉にも、この身体になってから感覚が鋭くなっていますので。嘘などといった類は、すぐに分かります。あなたがサイモアを滅ぼしたい、という話は本当だと判断しました」
それで、アストルの話を信じたのか。しかし、サイモアを滅ぼす話に食いついてくるとは、何かあるとシルゼンは思った。
「何を考えている?」
「僕だけでも、いざとなったら協力するとだけ伝えておきたかったんです」
ルアンはそう言った。シルゼンはルアンのまっすぐな瞳を見る。
「──復讐か」
ルアンは何も言わなかったが、鋭い瞳がそれを物語っている。
「……協力は、確かにありがたい。だが、お前は俺のようにサイモアに従っていた人間を許すのか?」
「あの時、どうするかを決めたのはあなたのご家族でしょう?僕だってそうです。今となっては、従うべきだったのかもしれないと思いますよ。そうすれば、あなたのようにみんな生きてサイモアと戦えたかもしれない。ロンディル家は、ただ方針に賛同しかねるからと、後先考えず抵抗して滅んだ。……先ほど、グレゴルド家も滅んだようなことを言っていましたが、どういうことですか?あなたが隊長になったという話は地下まで届いていました。司令官に気に入られ、グレゴルドは健在かと思っていたのですが……」
「──真実を、あの人が隠したんだ。俺が受けるべき罰を、闇に葬った」
「あなたが……受けるべき、罰?」
シルゼンは無表情のまま、庭を照らす月を仰いだ。
「グレゴルドを滅ぼしたのは──俺だ」
ルアンは息をのんだ。
「それは、一体……」
「このことを知っているのは、ごく一部の人間だけだ。表向きには、グレゴルドの一族は国外の別荘でひっそりと暮らしているということになっている。──サイモアが軍事国家になって8年後、俺が14歳の時だったか…。俺は、家族をこの手にかけた」
「どうして……もしかして、弟さんの件ですか?あなたの弟さんは、その……」
「だいぶ世間からは問題児扱いされているな。だが、根はいいやつなんだ。それを分かってくれる奴が、近くにいなかっただけで……」
「兄であるあなたは、それを分かっていた。何か、弟さんの身が危なくなるようなことでもあったんですか?」
シルゼンはそれ以上、事件については語らなかった。
「何を言っても、言い訳にしかならない。その弟さえ、俺は裏切ったことになるのかもしれん。あいつはまだ、サイモアにいる」
「……弟さんと、戦えるんですか?」
「……」
シルゼンは何も答えない。
「そうですか……。あなたには、まだ聞きたいことがありますが、また今度話してください。あなたの決心がついたときにでも。──さて、僕が言いたかったのはそれだけです。明日はアンヴァート様がいらっしゃいますから、しっかり休んで明日に備えるとします。あなたも休んでください。長々とつきあわせて申し訳ありませんでした」
ルアンは軽く会釈すると、裏庭から出ていった。
ひとり残されたシルゼンは、月明かりを浴びながら目を閉じる。
「どんなに闇に葬ったつもりでも、光に照らされる時はくる──か」
どんなに闇で塗り固めようが、決して消えることはない。
ただ闇が濃くなるだけ。
ただ罪が重なっていくだけだ。
ここまで闇に染まってしまうと、闇に染められていることにすら気がつかなくなってくる。
だから、こういう時にふと思い出して、再認識させられるのだ。
(……弟さんと、戦えるんですか?)
ルアンの言葉が、脳裏をよぎった。
シルゼンは自分の両手を空に掲げる。青白い月明かりに照らされているはずなのに、シルゼンには自分の手が赤く染まっているように見えた。
「俺は、俺の意思でここにいる。だが──」
シルゼンは拳を握りしめると、月明かりに照らされる庭を後にした。
今回はちょっと暗い話でした…。
次回はアンヴァート登場予定です。