不穏な噂
晴天の空にカモメが2羽飛んでいる。アストルは日課の城下町の見回りがてら、海岸に座って潮風に当たっていた。
「今日も平和だな。平和、平わーっ!」
ぼーっとしていたところをいきなり後ろから押され、勢い余ってそのまま海に突っ込んだ。
「うわっ、ごめんアストル!んなにぼーっとしてると思わなくて……」
金髪の青年は申しわけなさそうに謝った。
「ゴホゴホ……いきなり押すなよ、クローリア」
ツンとしている鼻をおさえて、アストルは立ち上がる。それに手を貸しながら、クローリアと呼ばれた青年は頭を下げた。
クローリア=ヘイゲル。とある事件がきっかけで、アストルの従者をすることになった同い年の青年だ。出会ったばかりの頃は弱々しかったが、今ではその面影はない。自分のことを“従者”などと言うこともあり、友達を主張しているアストルは不服なようだ。
「お前……またそんな服着て、暑くないのか?」
クローリアはもうすぐ夏になるというのに、黒い長袖の軍服を着ている。見ているこっちが暑くなりそうだ。
「仕方ないよ、軍の規則なんだから。それに、これはいざって時に身を守ってくれる特殊素材でできてるし……アストルこそ、そんな軽装で危ないよ。王子だっていう自覚あるの?命を狙われてもおかしく……」
「分かってるって。でも、こんな日にそんな格好してる方が危ないと思うけどな……」
白い半袖のシャツに黒のハーフパンツというかなりラフな格好をしたアストルは、いつものようにクローリアの小言を聞いていた。
「大体、俺はいざとなったら自分で防御壁張れるから大丈夫だろ」
「そういうところが危険だって言ってるんだよ。僕も君を守るようにはするけど、君自身にも注意してもらわないと……」
「けど、魔力持ちの俺のこと守ったって意味ない。もっと別の……子供とか、そういう人たちを守ってくれよ。いざって時はさ。なっ、狙撃隊隊長?」
「アストル……君は本当に優しいんだから。それでも、僕は何かあったら第一に君を守るように言われてる。従者としてね」
アストルの口が何か言いたげに動いたが、それを遮るようにクローリアは続ける。
「もちろん、それ以前に友達として、ね」
「クローリア……それでも、頼むな?でも、危険なんて本当にあんのかな?こうしてる分には、世界で“戦争だ、戦争だ!!”ってさわいでるのなんて、全然実感ないのにさ」
波は穏やかで、キラキラと輝いている。
あたり一面海ばかりで、他の国の状況は見えない。
町の市場の方から、元気な魚屋の店主の声が響く。
波は、ただただ穏やかだった。
波は、ただただ穏やかに見えた。
──アルタジア最大の国 レティシア
シャンレルとはうって変わって、人口約20億人という大国だ。世界の中で、一番の人口の多さを誇っている。
その大国を治めている王、アラン=ルナス=レティシアは、今年で50歳。彼は、まさに王といった雰囲気を纏っていて、頭脳明晰で何事も冷静に対処することができ、面倒見がいい。これだけの人口をまとめ上げるのだから、相当な力量の持ち主である。歴代の王の中でも1、2を争うらしい。
「こうやってまとめられているのは、お前がいたからだと思うよ、本当に」
アランは定期的に行っている会談が終わってから、そう言った。
相手はシャンレルの現・国王、ルクトス=ウルヴァージュ=シャンレルだ。シャンレルは古くからレティシアの友好国である。
「そうか?いやぁ、照れるな」
そして、ルクトスはアストルの父である。アランよりは2つほど年下で、大ざっぱで言葉は荒いところがあるものの、人柄は優しく、民には好かれているようだ。アランとは、幼なじみである。
「誉めてない。昔から世話の焼けるお前の面倒を見ていたからだという意味だ。お前を超えるやつはそういないからな」
「あぁ!?何だよ、それ!俺のどこが世話焼けるって?」
「相変わらずだな……。おい、会談が終わったからといって上着を脱ぐな。王としての自覚はないのか?」
ルクトスはシャンレルの正装である水竜の美しい青い刺繍がしてあるローブを脱いで、白いシャツ一枚に黒のズボン姿になっていた。
「しゃーねーだろ、こんな暑い日にいつまでも着てられっか!」
「はぁ……まったく、子供か。おまえがそんなで、アストル君に悪影響が出ていないといいのだが……」
アランは呆れて額に手を当てた。この年になっても、頭を悩ませることになるとはと、アランは頭が痛い限りだ。
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その頃、シャンレルでは。
「くしゅん!」
アストルが何度かくしゃみをしていた。それを見たクローリアが眉間にしわを寄せる。
「アストル、風邪でもひいたんじゃない?そんな薄着だから……」
「違うって。誰かが俺の噂でもしてんのかな……」
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「お前も変わんねぇよな。昔っから真面目なんだもんなぁ」
手を頭の後ろで組みながら、少し鬱陶しそうにルクトスはため息をつく。
「お前が適当なんだ。……それで?何か聞きたいことでもあるんじゃないのか?お前が長々と話しているなんて、珍しい」
「鋭いな。……ちっと、気になる名前を聞いてな。“ザイク”って名だ」
それを聞いて、アランは眉をひそめた。
「やはり、お前でも気がついていたか。ザイク……まさかとは思うが、ありえない話でもない。あいつは、サイモアの人間だ。その上、もう何十年も音信不通……」
アランの口から出た『サイモア』という言葉。これは、18年前に王政から軍事主義国家へと変わった国だ。サイモアは昔、ひどい王が治める国だと有名だったが、王政が終わってからというもの、雰囲気がガラリと変貌したらしい。国民は団結し始め、暴動も少なくなったというのである。
それというのも、指導者の力。
新しく国の頂点に立ったのは、特に有名でもなかった男だという。しかし、人を惹きつけるカリスマ性を持ち、バラバラだった国民をまとめ上げた。それには誰もが感心したのだが、問題はそこからだ。
なぜ、軍事主義国家になったのか?
不安は的中した。サイモアは世界中に、神石を奪うため攻め込み始めたのだ。
サイモアは独自に神石を最大限生かす技術を開発し、次々と世界を支配していった。
「信じたくはねぇが……」
「まだ決まったわけではない。だが、もしもの時に私たちは王として国を守らねばならない。ルクトス、お前は甘いところがある。たとえ、相手が“あのザイク”だったとしても……」
「んなこと、分かってるよ……」
ルクトスはアランが言い終わる前にそっけなく答えた。
しばらく沈黙が続く。
それを切り裂くように、ルクトスの従者の声が響いた。
「ルクトス様、帰還の準備が整いました!」
「おう、分かった。じゃあな、アラン。お前も気をつけろよ」
「私より、自分の心配をしろ。……最後に忠告だが、“ザイク”は神石を扱う能力の高い人間を集めているという話だ。アストル君に、あまり目立った行動をさせない方がいい」
「……分かった。ありがとな、アラン」
──軍事主義国家サイモア 作戦室
「ザイク司令官、次はどちらに?」
ザイクと呼ばれた男は椅子から立ち上がり、腰にさしていた小型ナイフを机上の地図に突き刺した。
それは、ある一点を示す。
「次はここ……水上都市シャンレルを、攻める」
「ほら、アストル!風も強くなってきたし、そろそろ城へ戻ろう」
「さっきまであんなにいい天気だったのに、急に曇ってきたな……」
晴天は灰色の雲に覆われ、海も穏やかさを失っていた。