終わりと始まりの日
サイモアでは、水竜たちに触発され、魔力を使える人々も撃ち出された神石の力に対抗していた。その中には、サイモア兵の姿もちらほら見える。実際にその場に立ってみて、事の重大さに気がついたのだろう。
みんな、必死でそれを止めようと、魔力を放出している。おそらく、これまでの歴史の中で、これほどの人々が力を合わせたことなどなかっただろう。
だが、水竜や人々の必死の努力も、少しの時間稼ぎにしかならなかった。
遂に力負けし、各国へと次々赤い光が撃ち落とされていく。それを見た者たちの顔が、みるみる絶望に染まっていった。だが、それが例え意味をなさないと分かっていても、抵抗を止めようとする者はいなかった。
ドクドリスを片付けたリベランティスたちも、例外ではない。
撃ち落とされた後も、リベランティスたちは歯を食いしばり、魔法を形成し続けていた。
「くそ、まだだ……ぐ……うああああっ!」
「リベランティス様!?」
その時、突然リベランティスが呻き声をあげた。驚いてその傍に寄ろうとしたルルの肩を、何かに勘づいたグレイが慌てて押さえる。
反射的に身構えたカルラが、カッとその目を見開く。
「暴走か!?」
カルラが叫んだ通り、それは暴走が始まる前の症状だった。
「これだけ力を使ったら、安定しなくなるのも無理ないよ」
グレイは唇を噛んだ。
このままあの力に抵抗を続けていても、何も解決にはならないと分かっている。もし、このままリベランティスが暴走するなら、それを止めるために力を使おうと、3人は無言のまま顔を見合わせて頷いた。
古の大陸は、サイモアに従わなかった。きっと滅んでしまうのだろうと、誰も口にはしないものの諦めている。おそらく、リベランティスは立場から言っても、止められなかったことを一番悔やむだろう。守れなかったことを、責めるだろう。
だからせめて、彼との約束だけは守りたい。暴れても、自分たちが止めると約束したのだ。仲間を傷つけることを恐れ、自分から仲間の元を去ったリベランティス。そんな優しい彼に、これ以上の傷を負わせないために。
誰もが、最悪の事態を想像せずにはいられなかった。
しかし──
突然、世界が眩しい光に包まれた。人々は驚き、その眩しさに目を閉じる。遂に自分たちの国が破壊されたのかと、そう頭をよぎった者もいたが、ほのかに赤いその光は、優しく、そして温かだった。不思議と、この光は何かを破壊するためのものではなく、守るためのものなのだと、誰もが直感した。
そして、誰かの言葉を聞いたような気がした。それが何と言っていたのか、果たして言葉だったのかも分からない。しかし、その声ともつかない“言葉”を受け取った者たちは、心がじんわりと温かくなるのを感じた。
しばらくすると、その光は幻のようにすうっと消えていく。目を開いた人々の眼前に広がっていたのは、先ほどまで戦いを繰り広げていたサイモアの戦場。しかし、誰もが武器を投げ捨て、呆然と立ち尽くしていた。
何が起こったというのか。不意に、ひとりの青年が空を見上げ、あっと声をあげる。
「ジェイド様、あれを!」
ルアンは、隣に立っていたジェイドに呼びかけ、先ほどまで神石のエネルギーが打ち出されていた建物の屋上を指す。
何だ、とルアンの指さす方に目をやったジェイドは、驚きで目を丸くする。
「攻撃が、止まった?」
少し前までそこで存在感を放っていたそれは跡形もなく消え去り、後には青空ばかりが広がっていた。
ルアンの声に気がつき、誰もが空を見上げた。ざわざわと、急にあたりが騒がしくなる。
京月も、嘘のように澄んだ青を見た。その青に、彼女はひとりの青年を思い出す。彼の瞳の色も、こんな美しい、優しい青をしていたと。
「……先ほどの光は、あなたのものか」
魔術に鋭い感性を持つ京月は、あの光から彼のものだと思われる力を感じていた。目を細めて空を見上げながら、京月は思う。この空は、悲しすぎるほど優しく、美しい。
太陽の光に照らされ、天音の髪飾りがきらりと輝く。天音と、その傍に立っていた一閃も、空を見上げていた。突然の出来事に、天音が不安そうな声を出す。
「一閃、攻撃が……」
一閃もさすがに動揺していた。
「あれほどの力が、消え失せたというのか?」
一閃は、あの光から自分の知る感覚と似たものを感じていた。
生命転化──魂を力と為す禁忌を使った時と。
リベランティスの暴走を覚悟していた時、突然謎の光に包まれた。
光が収まってしばらくしてから、そのことを思い出す。しかし、慌てて振り返ったグレイは首を傾げた。
「……あれ?」
「暴走、止まった?リーベ、大丈夫なのか?」
カルラも不思議そうに、座り込んで両手を握ったり、開いたりしているリベランティスの顔を覗き込んだ。
当のリベランティスが一番驚いているようで、眉を寄せながら立ち上がる。
「止まったっつーか……俺の中にあった神石の力が、なくなったのか?」
「どういうこと?」
グレイは眉間にしわを寄せる。
リベランティスは神石を直接体内に取り込み、身体の一部に融合させるという魔導式を自分にかけていた。しかし、それには欠陥があり、副作用として暴走する体になってしまっていたのだ。
神石の力が、彼の中からなくなった。それが事実だとするならば、もう暴走することはないということになる。だが、なぜそんなことがと、4人は考え込んだ。
しばらくして、ルルが何かを思い出したように叫ぶ。
「……あっ!ルルたちの持ってる神石も確認してみるルル!」
ルルが小さな神石を取り出したのを見て、グレイとカルラも同じようにそうする。横から、リベランティスがそれを覗き込んだ。
ピシッ、とグレイの掌に載せられていた神石にひびが入る。
「神石が割れて……あっ、消えた……」
あっという間に神石が砕け、赤い光となったそれは、大気に吸い込まれていく。続けざまに、ルルとカルラの神石も割れて消え去った。
「魔導式も、もう発動しないみたいルルよ」
ルルが、地面に描いていた魔導式を発動しようと試みるも、それはもはや美しく描かれた図柄としての役目しか果たしていないようだった。
「うぎゃっ!?」
建物の外に出て空を見上げていたイアンが、突然奇妙な声をあげて耳を押さえる。
「どうした、イアン?」
「急にピアスが割れたんだよ、びっくりした~」
何事かと尋ねたガヴァンに、イアンはそう答えた。見れば、その耳に傷はついていないが、神石で作られたピアスは跡形もなく消えていた。
「……私の腕輪もだ」
イアンの方に視線を向けていたガヴァンも、自分の腕にはめられていた腕輪が砕け散るのを見て、眉をひそめる。同様に、ディランとブレインも自分たちの持っていた神石が消え去ってしまったことを不思議そうにしながら、顔を見合わせていた。
グレンは、自分の持っていた神石が形を失い、その光が空に昇っていくのを目で追いながら、ぽつりと呟く。
「……お前のそういうところが、俺は嫌いなんだ」
ドガーとイニスに肩を支えられるようにして、シルゼンも建物の中から外に出る。
シルゼンはどこまでも続く青空を見上げ、何か喪失感を覚えた。それが何であるか大体の見当はついているのだが、彼やドガーにはそれを確信へと導く力がない。そこで、隣に立つイニスに、シルゼンはその答えを求めた。
「イニス……俺たちには神石が使えない。お前には分かるか?」
イニスはそれが何を聞いているのか察し、頷いた。
「はい。魔力が、完全になくなりました」
イニスが神石を取り出すと、それはパリンと音をたてて割れ、光の欠片になって溶けるように消えていった。
ニトを支えながら立っていたクローリアは、光が収まった後、しばらくぼうっとあたりを眺めていた。
しかし、自分が所持していた双銃にはめ込まれた神石が砕けて消えたことに気がつくと、急に頭が回り始めた。それと同時に、その顔がぐにゃりと歪む。
「神石の力が消えたってことは……まさか、君も……。本当に君は馬鹿だよ、アストル!」
クローリアはそう叫ぶように言い、視線を落とした。
「クローリア……」
ニトを支えるクローリアの手に、無意識のうちに力が入る。その手をそっと握り、ニトは彼の隣に立ちながら、空を見上げていた。
神石の力が失われたということが何を指すのか、一部の人間は知っている。
ルクトスは、光が消え、自分の神石が砕け散った後、それを悟った。サイモアに無事上陸した後、共に戦っていたアランが、そんな友の傍に歩み寄る。
ルクトスは、アランに背を向けたまま、空を見上げていた。アランも、しばらくは何も言えずにいた。
しかし、まだ立ち止まるわけにはいかないのだ。
「……ルクトス」
アランは遠慮がちに、背を向けたままのルクトスに呼びかける。しかし、ルクトスはアランがその先を言う前に、自分から口を開いた。
「分かってるよ、アラン。まだ……終わってないからな」
世界が崩壊する危険からは脱した。
しかし、まだ戦いは収束していない。まだ、やらなければならないことがある。
事の発端となった“彼”をどうするか、決めなくてはならない。
ルクトスたちは、それぞれの思いを胸に、この戦いを終わらせるために歩き出した。