現実と反する想い
アクアレーンの背に乗りながら、アストルは“ある場所”へと向かっていた。
“ある場所”──そう、幻の大陸へ。アルタジアの元へと。
しばらくして、アストルは目的の場所までたどり着く。
「レーン、ありがとう。お前は、みんなを手伝いに戻ってくれ」
アクアレーンの身体を優しく撫でてから、アストルは深い海を見下ろす。
【アストルはどうするの?】
こんな場所でどうする気かと心配そうに尋ねるアクアレーンの言葉に、アストルは少し困ったように答えた。
「俺は……しばらく帰ってこれないかな」
アストルはそう言い残し、海へと身を躍らせた。すると、すぐにまばゆい光がその身体を飲み込む。
【アストル!?】
アクアレーンが驚いた声をあげた。主の名を呼ぶ水竜の声は、かすかだが、アストルの耳にも届く。アストルは、その声を耳に焼き付けた。
海に飛び込んだと同時にまばゆい光に包まれたアストルは、その光が収まってからゆっくりと瞼を持ち上げる。そこに広がっていたのは、前にも一度来たことがあるミストクルスの地。外の様子とは裏腹に、ひどく穏やかな場所だ。その温度差に眉を顰めながらも、アストルはその足を進め、奥まで入って行った。
しばらく進むと、探し求めていたものが目に入る。それは、前回と変わらず、煌々と赤い輝きを放っていた。アストルは、アルタジアの前まで歩み寄ると、その足を止める。巨大な原石を見上げ、静かに呼びかけた。
「久しぶりだな、アルタジア」
「ああ、来ると思っていたぞ、アストル」
アルタジアは驚く様子もなく、淡々と応じた。外の世界で起こっていることは、アルタジアも知っている。こうなってしまった以上、アストルがここに現れるであろうということも予期していた。そして、ここに来て、何をしようとしているのかも。
互いに最初の言葉を発した後、しばしの沈黙が流れる。答えは予想しているものの、実際に聞くとなるとアストルは僅かばかり怖くなった。おそらく返ってくるであろう答えは、自分が考えていたものと相違ないはずだ。だが、それが肯定されるということに、恐怖を感じずにはいられない。
けれど、尋ねないわけにもいかないのだ。それが肯定されることよりも、されなかった時の恐怖の方が大きい。それこそ、絶望としか言いようがなくなる。
アルタジアは、アストルが口を開くのをじっと待っている。アストルは気持ちを整理するため、深呼吸をひとつした。そして、覚悟を決めて問いかける。
「神石は、アルタジアから力を供給されてるんだよな?リエルナの母親が言ってた」
叔父であるヴェインズがここで見せてくれた映像の中で、
──私たちアルタジアの子孫は、この原石から直接力を供給してもらっているのよ。神石にも、同じように力が供給されているわ。
と、リエルナの母リエラが言っていた。
「そうだな」
アルタジアは、その問いを肯定する。しかし、本当に聞きたかったのは、その先のことだ。アストルは無意識のうちに拳を握りしめる。
そして、本当に確認したかったことを告げた。
「なら、神石のエネルギーは……原石を壊せば、消えるのか?」
原石を、アルタジアを壊す。突如そんなことを言いだしても、当のアルタジアが淡々とした口調を変えることはない。やはりそれを聞きにきたのかと、納得しているようでもあった。
「……ああ、神石から得た力をそのまま保管しておいたものなら、そうなるだろう。それだけでなく、神石という存在そのものが、この世界からなくなるだろうな」
それは、アストルが想像していた答えと合致していた。その答えに、アストルは世界が崩壊しないことを確信する。
ただ、それには後ろめたさも残っていた。
「……アルタジア」
「分かっている。お前の選んだ道を、私は受け入れると決めていたのだ」
申し訳なさそうにその名を呼んだアストルに、アルタジアは己の覚悟を示した。優しく穏やかに語り掛けるその口調からは、迷いなど感じられない。自分のことは気にするなと、そう言ってくれているようでもあった。その言葉に、アストルは頭を下げる。
「ごめん。でも、神石の力は、俺たちには大きすぎたよ。確かに、生活は豊かになったけど、俺たちには扱いきれない力だったんだ。だから、神石の力に頼る時代は、ここで俺が終わらせる」
「だが……それの意味をお前は理解しているのか?」
アルタジアが気にかけていたのは自分ではなく、この目の前に立つ青年のことだった。
アストルは、原石であるアルタジアが壊れることで神石の力がなくなることを知っていて、ここへ来た。それを分かった上でこの選択をしたのなら、アストルは“それ”を覚悟しているはずだ。
アルタジアの問いに、アストルは頷いた。
「ああ……俺も、消えるんだよな」
静かに答え、アストルは視線を地面に落とす。
命を神石の力で形成することは、非常に特異な例だ。アストルの場合、その命は神石の力を供給し続けていないと、やがて消えてしまう。
しかし、それはアストルも分かっていた。自らが神石と相違ないということは、つまりそういうことであるということを。
「よいのだな?」
アルタジアが、そうアストルに確認しようとした時だった。アストルの背後から、聞き覚えのある声がかけられる。
「──アストル」
「リエルナ……」
振り返ってみると、そこにいたのは胸の前で手を組んだまま立ち尽くすリエルナだった。それを見て、アストルは眉間にしわを寄せる。この様子だと、リエルナに先ほどの会話を聞かれてしまったようだ。よく見れば身体が小刻みに震えている。
しかし、リエルナは決意したように組んでいた手をほどくと、アストルの横を通過してアルタジアの前に立った。
「アストルにも、アルタジアにも消えて欲しくないの!だから、やめて、アストル!」
怒鳴る、という言い方が合っているのかもしれないが、そんな感じの口調だった。そして、リエルナはアストルと対峙する。彼女がこんな風になるのは、アストルも初めて目にした。必死に自分を止めようとしてくれているのは、痛いほど分かる。しかしアストルは、ならやめる、とは言えなかった。
「リエルナは、ずっとアルタジアと一緒にいたんだもんな。ごめん……俺のこと恨んでも、許さなくてもいいから……」
「嫌!どうして……どうしてアストルも、アルタジアもそんな風にしていられるの!?」
「リエルナ、止めてくれるのは嬉しいよ。でも、現実はそうもいかないんだ。分からないか?」
「分かってるっ……でも、それでも!」
リエルナは叫ぶようにそう言い、大きく首を横に振る。そして両手を広げ、原石は絶対に壊させないという態度を示していた。
リエルナは芯が強い。こうと決めたら、きっといくら言っても動かないだろう。もしこのまま彼女がそこを動かないのなら、気は進まないが、アストルも手段を選んではいられなかった。
「リエルナ……たとえリエルナが相手でも、これは俺も譲れないんだ。それでも止める気なら、俺も本気でいく」
アストルは、静かに構える。
「……っ、防御壁!」
それを見たリエルナは歯を食いしばると、アルタジアを守るように防御壁を張った。防御壁の中では、いつもの笑みが消えたリエルナから、絶対通すまいという意志が漂っている。それを見て、アストルはリエルナと戦わなくてはならないことを理解した。できることなら、戦いたくはなかった相手だ。
しかし、それでもこれだけは。これだけは譲ることができない。
「やるんだな。……空波撃!」
アストルは迷いなく防御壁目がけて拳を振り下ろす。手加減などしていない。防御壁を張っていたリエルナの顔が歪む。しかし、さすがはアルタジアの子孫。その一撃だけでは、守りを崩すことができなかった。
それが崩れるまで、アストルは何度も攻撃を叩き込む。
「っ……あなたの意志は!?本当にそれでいいの?」
顔をしかめながらも、必死で防御壁を形成していたリエルナが、アストルに向かって叫ぶ。連撃を繰り出しながら、アストルは静かにそれに答えた。
「本当は生きたいよ」
「だったら!」
「でも、ただ生きることが望みじゃないんだ」
ピシリ。
防御壁に亀裂が入る。それと同時に、リエルナが大きく目を見開くのが分かった。力を最大限まで解放させ、その形状を保とうとしている。
しかし、無理な力の使い方をすれば命に関わる。世界にも、彼女にも時間がない。アストルには、これを長引かせる気などなかった。
「俺が望むものは2つある。でも、どっちもは無理なんだ。両方選ぶことができないのなら、俺はこっちを選ぶ」
拳に力を入れ直し、様々な思いを乗せた重い一撃をぶつける。ピシピシピシ、と亀裂が広がる音がした。それに混じって、リエルナの悲痛な叫び声が聞こえる。
そして、遂にリエルナの守りが砕けた。