一縷の望みに賭けて
ザイクの言葉に、アストルは一瞬頭が真っ白になった。しかし、思考が戻ってくると、今度は青くなる。中央の装置を見れば、先ほどまではしなかった、ゴウンゴウンという音を発していた。
「なっ!?こいつを壊しても止められないのか?」
アストルが操作パネルを指すも、ザイクは首を横に振る。
「この段階に入っては、もうどうにも……」
ここから分かるのはその音の変化くらいで、ザイクの言う段階がどの程度進んだものであるのか、アストルには理解できなかった。しかし、ザイクがもうどうしようもないと、完全に諦めきっている顔をしていることが、何よりそれを物語っている。
だが、それでもアストルはまだ諦めてはいなかった。
「諦めるな!何か考えろって!」
アストルはザイクの胸ぐらを掴んで、無理矢理立たせる。
半分怒りながら真剣な目をしているアストルの顔を見て、ザイクは少し考えた。
「……やれるだけ、やってみよう」
ザイクはアストルの腕を引き離し、操作パネルへと足を進める。その間にも、中央装置は危なげな音を発し続けている。その音も、次第に大きくなっているようだった。焦りながら、アストルはザイクの指の動きを目で追う。
しばらく操作パネルをいじっていたザイクが、バンとそれを叩いた。
「……駄目だ、止まらない!」
「これ、止まらなかったらどうなるんだ?」
「この国に従わなかった国々に、先ほどの神石のレーザーを更に強力にしたようなものが発射されるようになっている」
「くそっ、ここまで来て……何か、何かないのか!?」
頭を必死に回転させ、何かないのかとアストルは考える。これほどの大きな力に、どう対抗すればいいのか。
その時、アストルはあることを思い出した。
「ああ……そうだ、そうだった」
ひとりそう呟き、目を見開く。
可能性は、まだある。世界を、救うことのできる可能性が。
しかし、それを思い出したアストルの顔に、喜びは感じられない。だが、悲しそうなわけでもない。複雑な表情を浮かべながら、アストルは目を閉じる。
そうすれば、今まで出会った人々の姿が浮かび上がった。アストルが、守りたいと願った人々の姿が。
そして、アストルはゆっくりと目を開く。
「……各国には、ルルが教えてくれた魔導式がある。タイムリミットがきたら、残った国民全員で国を包み込む防御壁を張ることになってたんだ。少しの時間は稼げると思う。お前は、サイモア兵たちに戦いを止めるように言ってくれ」
扉のロックを開けるように促し、ザイクに背を向ける。
「どうする気だ?」
「まだ、世界を救える可能性があるんだ。それに賭けてみるよ」
振り返ることも、立ち止まることもしない。その言葉にも、迷いはなかった。
アストルが出てくるのを今か今かと待っていたリエルナが、部屋の中から姿を現した待ち人を見つけて駆け寄る。嬉しそうな顔をしたリエルナだったが、アストルの怪我を見て顔色を変えた。
「アストル!すごい怪我なの……」
「止血だけ頼む。間に合わなかったみたいだ……ごめん」
すぐ治療を開始したリエルナに血を止めるだけの応急処置でいいことを伝え、アストルは装置を止めることができなかった旨を説明し、頭を下げた。
そんなアストルの元に、治療を終えたクローリアが歩み寄る。ニトは座ったままアストルに手を振って自分は大丈夫であることを伝え、ゼロは置物のようにアストルが部屋に入る前の位置から動いていなかった。
「君のせいじゃないよ。ザイクは?」
クローリアは首を横に振りながらも、真剣な表情でそう聞いた。ザイクという名前に反応したのか、ゼロが視線をアストルに向ける。
「もう、大丈夫だと思う。それより、国に残ったみんなが危ない。防御壁を張ったとしても、そう長くはもたないはずだ」
「そうなると、どうすればいいんだろう……」
アストルの言葉に、顎に手を当てながらクローリアは考え込む。そんな彼の姿を見ながら、アストルは切り出した。
「……俺に、少し考えがある。けど、時間がないから、説明はしてられない。……ごめんな」
血が止まったことを確認すると、アストルはリエルナがそれ以上治療を続けようとするのを手で制し、急に走り出したかと思うと、下の階へと階段を駆け下りていった。
「アストル!?」
わけは分からなかったが何となく不安に駆られリエルナが走り出し、ニトに肩を貸したクローリアもそれを追った。
アストルが下の階に降りてみると、戸惑うサイモア兵と、傷つき疲れてはいるものの無事なグレンたちの姿があった。グレンがアストルに気がつき何かを言おうとするも、尋ねられる前にアストルはさらに下の階へと降りていく。
1階まで下りると、座り込むシルゼンと、そんな兄に寄り添うドガー、そしてイニスが待っていた。イニスは通信機のようなものを右手に握りながら、慌てたように降りてきたアストルに問う。
「このような戦いは無意味だと伝えに行こうとしたら、その前に戦いを止めるよう連絡が入った。一体何が?」
「本人が、これ以上の戦いは無意味だって理解したんだ。ごめん、時間がない」
アストルは簡単にだけ答えると、その横を通過して外へと走った。
「っ!」
外に出たところで、突然赤い光に視界が包まれる。ついに、その時がやってきたのだった。
眩しい光に目を細めながら、アストルはその光源を見る。
「……!?」
アストルは目を丸くした。
アストルだけでなく、今まで戦いを続けていた戦士たちが手を止め、口をぽかんと開けたまま空を見上げている。
アストルが出てきた建物の屋上から放たれた赤い光は、それを押し戻そうとする激しい水流によって、かろうじてその場にまだ留まっていた。
それは、水竜たちの力だった。
何十、何百という水竜たちが異変を感じ、主の呼びかけなしでこの場に居合わせている。その光景は圧巻だった。どんどん数を増やし、次々とその口から激しい水流を吐き出す。水竜の能力として、皮膚から吸収した水を自在に操るというものがある。これも、その力だ。
アストルは一目散に海を目指す。
海に近づいていくと、一頭の傷ついた、ひときわ大きな水竜の姿がアストルの目に映った。それは、彼もよく知る水竜。父ルクトスを主とする、海王ザナルカスだった。
この戦いで負ったと思われる傷は、遠くからでも確認できる。それでも、ザナルカスは仲間たちと同じように神石の力に対抗しようと水流を形成し始めた。しかし、上手くいかずにそれは途中で消え失せる。
【海王様!もうあれに対抗できるだけの力は、あなた様に残ってはおりません。あれは、私たちにお任せ下さい】
仲間たちに止められ、ザナルカスは悔しそうに唸る。自分がどんな状況になろうと、海王としてのプライドがあるのだろう。水竜たちの先頭に立つべき自分が役に立てないことが許せないのだ。そんなザナルカスの姿には、どこか尊敬の念すら抱く。
しばしザナルカスの方に気を取られていたアストルだったが、探していた水竜を見つけ、急いで水竜の笛を吹いた。
自分も仲間たちに混ざろうとしていたアクアレーンだったが、主の笛の音にはっとし、急いでその元へと泳いで行った。
「レーン、急いで俺を運んでくれ!場所は俺が案内する!」
着いて早々そんなことを言うアストルに、アクアレーンは驚きの声をあげる。
【ええっ!?いきなりどうしたの、アストル?ここ、このままにしていいの?】
「それを何とかするために行くんだ。時間がない、頼む!」
アストルの顔と仲間たちの姿を交互に見ていたアクアレーンだったが、アストルから鬼気迫るものを感じ、その背に乗せた。
【アストル……しっかり掴まっててね!】
アクアレーンに乗って去っていくアストルの姿を、遅れて外に出てきたリエルナたちも確認した。
「嫌な予感がするの……まさか!クローリア、水竜、呼べないかな!?」
何かピンときたリエルナは、去っていくアストルを眺めていた隣に立つクローリアの方を見る。いつもの彼女からは想像できないような慌てぶりに、クローリアは驚いた。しかし、すぐに現状を把握した上で、冷静な判断を下す。
「リエルナまで、どうしたの!?ナルクルは無理だよ……アクアレーン様もいないんじゃ、ここからこれ以上水竜たちを減らすわけにはいかない。本当にどうしたの?」
眉を顰めながら、クローリアは尋ねた。しかし、相当焦っているのか、とにかく急いでほしいと、ひたすら口を動かしている。
「とにかく急いで追わないと……アストルが!」
【……娘、我の背に乗れ】
突然の低い声に、リエルナは声の主を見た。その隣で、クローリアは呆気にとられて口を開けている。その肩に支えられるようにして立っていたニトも、驚きを隠せない。
そこにいたのは、海王ザナルカスだった。プライドが高く、自分の主以外を背に乗せることを好まない水竜。しかも、その中でも海王の名を戴く存在だ。その彼が、自分から主以外をその背に乗せると言い出すことなど、前代未聞だった。
それ以前に、誰が見ても彼の身体はもうボロボロで、限界なのは明らかだった。
【海王様、それはなりません!その身体で動かれては……】
案の定、仲間は必死に止めに入る。しかし、ザナルカスはリエルナをじっと見つめたまま、威厳に満ちた声で仲間を黙らせた。
【それは、我が一番よく分かっておる。だが、ここにいても、お前たちの力にはならぬ。それに、この身体は何もせずともあとわずかの命だ。ならば最後の時をどう迎えるかは、我の好きにしてよかろう】
「いいの……?」
リエルナが気遣うように傷ついたザナルカスを見上げた。ザナルカスは、そんな彼女に低い声で続ける。
【お前の意志が、強いものであるならな】
「……お願いします」
リエルナは、まっすぐザナルカスの瞳を捉えた。ザナルカスは鼻をひとつ鳴らし、リエルナの方に背を向ける。
【早くしろ】
リエルナはザナルカスの背に飛び乗る。それを確認すると、ザナルカスはその身体が限界であることを感じさせないほど堂々とした動きで、アストルを乗せたアクアレーンを追い始めた。