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羽鳥悠一の事件簿「羽化」

作者: 砂代ぼたん
掲載日:2013/05/18

 羽鳥繭子(はとりまゆこ)の告別式が開かれたのは、八月四日の事だった。

 故人である繭子が亡くなってから、間も無く一年が経とうとしていた。それなのに、告別式というのも、おかしな話だと思う。

 東京の商社に務める僕が、わざわざ有休を使ってまで、寂れた山奥の別荘で行われる告別式に赴いたのは、その招待状の所為(せい)だ。

 宛名しか書かれていない封筒に入っていたのは、何枚かの手紙だった。時候の挨拶の後に続いていたのは、不可思議な文言で、それは僕の興味を惹くのには十分な力を持っていた。


『繭子が、この日だけは蘇り、真実を語ってくれるでしょう』


 封筒には、丁寧に折りたたまれた別荘までの地図が入っていた。僕の家からの道順が、詳細に書かれたメモ書きも同封されていた事に、並々ならない執念めいたものを感じる。

 参加者全員の住所から、こうして羽鳥家の別荘までの地図を用意したのなら、告別式の主催者は余程、繭子の死が受け入れられないらしい。

 それは、僕も同じ事だが。

 僕は、繭子の従兄(いとこ)でありながら、彼女の恋人でもあった。彼女の死は、未だに信じられないし、信じたくもない。

 気味の悪さを感じながらも、僕はこの主催者の思惑に乗る事にした。


 ◆


 羽鳥の家は、不動産業を営んでいる。繭子の父親が、一代で起こした企業で、その功績は右上を向いて、年々大きくなりつつある。

 その羽鳥の別荘に到着した時、既に駐車場には三台のクルマが止まっていた。


「章吾くん……」


 クルマから荷物を降ろしていると、掠れた声が聞こえた。振り向くと、繭子の父親である幹久が草刈り用の鎌を手に立っていた。

 その手元から目を離さずに、僕は会釈をする。すると、彼は慌てたように鎌を持ち上げて笑う。


「すまんね、庭の草が、去年から、伸び放題になっててね」


「ああ、去年は来なかったんですね」


 この別荘は、羽鳥の避暑地だ。

 毎年、夏には家族総出で休暇を過ごすのだが、今年は繭子がいないので、使う予定がなかったのだろう。


「そんな気分にならなかったからね」


 幹久と話しながら、別荘へと向かう。


「誰が来ているんですか?」


「……私と妻と、悠一がさっき着いたばかりだね。あと、あかねちゃんが今朝早くから」


 繭子の父親である幹久と母親の久子、繭子の弟の悠一、それから繭子の幼馴染であり大学の同級生のあかねか、と僕は頭の中で反芻する。


「一体、何人呼んだんだい?」


「え?」


「あれ、告別式なんて考えるのは、章吾くんくらいかと思っていたんだけど」


 俺は目を剥いた。

 羽鳥の別荘で行われる告別式だ。幹久が企画したものとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。彼は、僕が主催者だと思っている。


「招待状が来て、この別荘が会場になっていたから、妻と驚いていたんだよ。ずっと手を入れてなかったからね、慌てて昨日の昼に前乗りして片付けていたんだけど」


「……悠一くんとか」


「悠一も、違うらしい。留学先から呼び戻されて、酷く怒っていたからね」


「じゃあ……」


「あかねちゃんなら、一言断ってくれるはずだけど……」


 なんだか、嫌な予感がする。主催者不明の告別式。不可思議な文言の招待状。


「とにかく、荷物を置いて来なさい」


 そう言って、幹久が開いた玄関の先を見つめて、僕は思う。

 来なければよかった。きっと、もう日常には戻れなくなるのだろう。それは、ただの予感でしかなかったが、とにかく強くそう感じていた。


 ◆ ◇


 別荘、というよりは屋敷といった方がいいのかも知れない。

 玄関から入ってすぐのエントランスの正面は、大きな階段になっていて、踊り場から左右に分かれて更に階段が続いている。二階建てのこの屋敷は、二階部分が全て寝室になっているのを、僕は知っている。何度も、繭子の家族と訪れた事があるのだから。


「あ、章吾くぅん」


 ぞわりとする程の猫撫で声は、エントランスに面した食堂から出てきたあかねの物だった。

 あかねは、私立の女子大に通う学生だ。繭子と同じ歳なので、今は三年生だろう。六つも歳上の僕に、あかねはいつでも馴れ馴れしく話し掛けてくる。苛つきはするが、繭子の真似をしているのだろうと思う事していた。


「久しぶりぃ、元気だったぁ?」


「……体調的なもので言えば、元気だったよ」


「そっかぁ。あたしはだめぇ、夏バテ酷くてぇ」


 あかねが僕に腕を絡めた時、がしゃんと大きな音がした。


「どうしたの?! あ、悠一……」


 食堂から、慌てた様子で出てきた久子が、踊り場を見上げて困ったような顔をする。見ると、踊り場に高校生くらいの男の子の姿があった。こちらを無表情に見つめる彼の足元には、陶器の破片が散らばっている。踊り場には、高価そうな花瓶が飾られていたのを思い出して、僕は思わず幹久の方を見やった。

 思った通り、彼は呆然と息子を見上げていた。


「……悠一、お前……それ……」


 どうにかそれだけ言うと、幹久は首を振る。


「手が滑った」


 悠一は父親を冷めた目で一瞥すると、階段を登っていってしまった。

 残された面々は、誰からという事もなく目を見合わせて、息を吐いた。

 悠一は、子供の頃から無表情で、何を考えているのかが掴めない少年だった。高校入試を控えた年に、クラスメイトと殴り合いの喧嘩をして停学になったのを機に、幹久がアメリカの高校へと留学させたのは、羽鳥家に関わる人間なら誰でも知っている事だ。

 繭子とは仲の良い姉弟(きょうだい)だったらしく、彼女だけは悠一の考えている事を理解している節があった。今となっては、繭子に先程の悠一の所業について、尋ねる事もできないが。


「片付けますね」


 僕がそう言うと、止まっていた時間が動き出した。

 幹久は庭いじりの続きをすると屋敷を出ていってしまい、久子も夕食の準備をすると食堂に戻る。エントランスに残された僕は、階段を登って、割れた花瓶を片付け始めた。


「びっくりしたぁ。悠一くんって、あんなにドジっ子だったっけぇ?」


「あかねちゃん、手伝わないなら、向こうに行っててくれないかな?」


 僕の背後に立って、あかねが手元を覗き込んでくる。甘い香水の匂いが鼻について、吐き気がする。


「ひどぉい。せっかく会えたのにぃ」


「ひどいのは君だろう。今日は、繭子の告別式なんだぞ」


 極力、鬱陶しげに見えるように、あかねを睨みつけると、彼女は肩を竦めて、階段を降りていく。もともと久子の手伝いでもしていたのだろう。食堂へと彼女が消えたのを見届けてから、僕は大きな溜息を吐いた。

 破片を片付け終わって、僕は荷物を持って二階に上がる。家族の寝室は決まっているようで、繭子と一緒にここへ来るようになってからは、僕にも専用の部屋を誂えてくれていた。踊り場から右に折れて二階に上がる。そこから南側ーー玄関は建物の北にあるーーに向かって、廊下が続いていて、その廊下に面して寝室の扉が五つ並んでいる。ちなみに、この建物はシンメトリーで、階段の反対側も同じ造りになっている。

 迷う事なく、一番手前の部屋に入る。懐かしい家具に囲まれて、僕はようやく安堵する。しかし、腰を降ろしている暇なんてない。

 荷物を置いて部屋を出て、一番奥の部屋へと向かった。扉をノックして開ける。


「……入っていいなんて言ってないけど」


 出窓に腰掛けて無表情に外を眺めていた悠一が、顔色を変えないまま僕を見据えた。僕は気にせず、口を動かした。


「さっきのは、良くないんじゃないかな」


「さっきの?」


「花瓶。お父さんの、大切なものなんだろう?」


 ああ、と悠一が呟く。


「あんなものよりも、大切なものがあるんじゃねえの、普通」


「……謝って、片付けるくらいの事をするんじゃないかな、普通」


 僕が皮肉を言うと、悠一が微かに笑った。


「俺、普通じゃねえし」


「悠一くん、君ね……」


 何かを言うべきだと口を開きかけたが、言葉は何も出てこなかった。悠一が、出ていけとばかりに手を振る。

 仕方が無いな。そう呟いて、僕は悠一の部屋を後にする。何が仕方無いのかは、僕にもわからなかった。ただ、大人としての対応をしなければと思った。

 彼は、繭子が生きていた頃から、まったく僕に懐かなかった。従兄だというだけでは、彼の心は開けないのだろう。

 悠一の部屋の扉を閉めた時、別の扉が閉まる音がした。音は、僕の部屋の方から聞こえて来た。


 ◆ ◇ ◆


 夕食の時間になって、食堂に集まった面々を見て、僕は内心穏やかではなかった。

 繭子の父親の幹久。母親の久子。

 幼馴染であり学友のあかね。幹久の秘書の葛井。同じく幹久の会社役員の保坂。

 そして、繭子の恋人である僕。

 悠一は、まだ食堂に降りて来ていないようだ。


「……悠一は?」


 幹久が、不機嫌そうに言うと、久子が渋々といった風に食堂を出て行った。悠一を呼びに行ったのだろう。

 久子が悠一を連れて来て、漸く屋敷にいる全員が揃った。


「……これだけ?」


 そう言ったのは、悠一だった。


「そうみたいだね。みんな、招待状を貰って来たのですか?」


 僕の言葉は、葛井や保坂に向けて発したものだ。彼らは視線を絡ませた後、胸ポケットから封筒を取り出して、テーブルに置いた。


「なるほどね。それで、誰が主催なんですか?」


「え、章吾さんじゃないんですか?」


 葛井が、驚いたように僕を見た。社長秘書というだけあって、しっかりとした雰囲気のある美人で、細いフレームの眼鏡が良く似合っている。

 ギャル系の女子大生より、美人秘書の方が好みだな、と僕は不謹慎な事を考えながら首を振る。


「違いますよ。僕ならちゃんと名前を書きますよ。差出人不明の手紙なんて、貰って気持ちのいいものじゃないでしょ」


「え、じゃーあ、保坂さぁん?」


 あかねが、保坂を見つめた。

 僕とそう歳の変わらない男が、うんざりしたように首を振った。彼がうんざりしているのは、このやり取りにではなく、あかねの口調にだろう。


「私なら、社長に別荘の使用許可を取りますね」


「確かにそうだな」


 肯定したのは、他でもない幹久だ。


「ついでに言うと、家内も私も違うよ。もし私たちが主催なら、もっと早くから別荘を片付けているし、こんな少人数ではやらないね」


「そうですね。すごく……少ない、ですわ」


 久子が、困ったような顔をした。


「ふぅん。一応言っとくと、俺も違う。招待状は日本からの消印だったけど、俺は昨日アメリカから戻ってきた」


 そこで、食堂にいる全員が、顔を見合わせた。どういう事なのだろう。ここに居る全員が、繭子の告別式の主催ではないと言っている。

 まだ到着していない人物が居て、その人物が主催者なのだろうか。


「時間だ」


 そう呟いたのは、悠一だった。

 食堂に据えられた振り子時計が、午後七時を告げる。手紙に記載されていた、告別式の日取りは、八月四日午後七時。場所は、羽鳥家別荘の食堂。

 告別式が、始まった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 告別式とはいうものの、実際には主催者不明で、進行役もいないので、ただの食事会になっていた。

 幹久は保坂と仕事の話をしている。その幹久の視線は先程から葛井にばかり向いている。葛井は悠一に留学先での暮らしぶりについて尋ねていた。悠一は葛井に興味なさげだが、その様子を久子がはらはらとした様子で見つめている。その久子に、あかねが料理のレシピなんかを熱心に聞いている。

 誰も、繭子の話をする者は居なかった。

 そもそも、このメンバーで、繭子の話なんかをする訳がないのだ。今、この食堂に居るのは、繭子が死んだ日に、繭子と共に旅行に出かけたメンバーなのだ。誰一人欠ける事なく、同じ顔が揃って居る。

 違うのは、今ここにいるのが繭子ではなく、悠一だというところくらいだろう。

 悠一は留学してから、まったく帰国していない。今回を除けば、ただ一度、繭子の葬儀の時にだけ、日本に帰ってきていた。


「……そろそろ、いいかな?」


 葛井の質問を躱して、悠一がカラトリーを置いた。食堂が、しんと静まり返る。


「何がだ?」


 幹久が、怯えたように言った。

 事実、怯えていたのだろう。僕だって怖い。ああ、敢えて言おう。僕は、恐れている。

 悠一の口から、聞かれる事を。


「繭ねぇが、どうして死んだのか。俺は知らない。知らされていない」


「繭子は、自殺したのよ」


 久子が、宥めるように言った。

 ああ、そうだ。繭子は自殺だった。


「それは、警察の見解だろ?」


「警察が結論付けたなら、それ以外に何もないはずですよ」


 葛井が、諭すように言った。

 まさに正論だ。警察が調べて、自殺だと断定されたんだ。


「警察だって、完璧じゃないだろ」


「でもぉ、じゃあ他殺だってゆーの?」


 あかねが、呆れたように言った。

 愚問だね。他殺ではない、自殺だ。


「そこまではわからないけど、繭ねぇが、自殺するなんて考えられない」


「悠一さん、世の中に絶対はありませんよ」


 保坂が、嘲るように言った。

 ああ、そうだよ。でも、これだけは絶対だ。繭子は自殺したんだ。それだけは……


「じゃあ、繭ねぇが絶対に自殺したって事もありえないんだな」


 悠一が、にやりと笑った。


「まあ、あれを他殺だなんて騒ぎたいわけじゃないんだけどさ。俺はとにかく、知りたいんだよ。なんで繭ねぇは自殺したんだ? 繭ねぇに何があった?」


 悠一は、一人一人の目を見つめながら、ゆっくりと首を動かしていく。その視線が、僕のところで止まる。


「繭ねぇが、自殺をしなきゃいけなかった理由を、俺は知りたい」


 振り子時計の針の音だけが、食堂に響く。

 ふう、と悠一が息を吐き出して、立ち上がった。そのまま食堂から出て行こうとする姿を見て、誰もがほっとしていた。

 ふと、悠一が振り返る。その目の暗さに、背中が粟立つ。黒い瞳が、更に暗い。


「今夜、繭ねぇが真実を語るって、あれ、俺は期待してるから」


 悠一の居なくなった食堂には、時計の音しかしなかった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 食事会が終わって、女性陣が食堂の片付けをしている間、悠一を除く男性陣は、遊戯室でダーツに興じていた。


「悠一さん、なかなかの眼力でしたね」


 保坂が、疲れたように笑った。丁度その時、幹久の投げたダーツが20のダブルに刺さった。


「あの目で睨まれたら、社員は必死に件数取って来るでしょうねぇ」


「……悠一が後継というのも、不安なんだが、ね!」


 幹久のダーツは、1のトリプルに刺さる。


「だから、私は繭子の婿に省吾くんをもらいたかったんだけどね」


「そんな、お父さん」


 僕は、困ったように眉を顰めた。


「もう、繭子は居ないのですし……それに、僕なんて」


「いやいや、兄貴が了承してくれるなら、省吾くんを養子にもらいたいくらいなんだよ」


 僕の父親は、幹久の兄だ。

 まあ、あの人なら、不動産会社の社長になれるのならと、僕を養子に出す事くらいするだろう。

 保坂が、こほんと咳払いをする。なんだ、と思って彼の視線を辿ると、遊戯室の入り口に、悠一くんがもたれかかっていた。


「悠一……いや、今のはな……」


「いいんじゃねーの、俺、父さんの会社に興味ねーし」


 悠一が、幹久に近づいていく。幹久の手から。ダーツの矢を奪うように取って、ボードを見ずに投擲する。ブルに刺さった矢が、余韻に揺れていた。

 悠一はつまらなそうにボードを見つめて、談話室の方へと消えていった。

 圧倒されたように固まっている幹久に、保坂が声を掛ける。


「……社長、大丈夫ですか?」


「大丈夫ではないのかもしれない。私は……私は、自分の息子を恐れている」


「え?」


「あの子は、何でも出来るんだ。本当に、何でも。でも、何もやりたくないと思っている。矛盾しているんだ。そんな悠一の事が解らなくて……恐いんだ」


 情けないな、と幹久が力なく笑った。

 その時、食堂の方から悲鳴が聞こえてきた。一人のものではない。おそらく、食堂に残っている女性全員の悲鳴だ。

 何事かと食堂に向かうと、久子とあかねが抱き合って震えていた。葛井が、窓を開けて身を乗り出している。


「葛井さん、何があったんですか?」


 不審者だろうか。そう思っていたが、彼女の返答は思いも寄らないものだった。


「繭子さんが……」


「え?」


「繭子さんが、いたんです」


 葛井自身も、何を馬鹿な事を言っているのだろうと思っているに違いない。幾度も首を傾げる彼女と、怯える久子達を見て、僕はそれが真実だと思った。幹久も、保坂もそうだろう。

 遅れて食堂に入ってきた悠一にも、葛井は「繭子が居た」と伝えた。

 すると、悠一は窓に駆け寄って、そのまま窓枠を越えて、外へと躍り出た。


「どっちに消えたか、わかる?」


「え、と」


「幽霊だっていうなら諦めるけど、誰かが成りすましているなら、捕まえる」


 悠一は、至極まともだった。

 外は暗く、窓の外ははっきりとしない。未だ現れない主催者が、繭子の格好を真似て立っていれば、繭子に見えない事もないのだろう。


「すみません、わからないです」


 葛井が、申し訳なさそうに頭を下げると、悠一が溜息を吐いた。葛井が、更に申し訳なさそうに身を竦める。


「じゃあ、適当に見回ってくるから。戸締りをちゃんとして、俺以外は入れないで」


「悠一くん、僕も行くよ。一人じゃ危ないよ」


「……お好きにどうぞ」


 珍しく、悠一があっさり折れてくれた。

 屋敷の周りを悠一と見回って帰ると、みんなが談話室に集まっていた。何もなかったと報告すると、曖昧な反応が返ってくる。

 不審者が見つかっても、見つからなくても恐いのだろう。

 何も見つからないという事は、やはり繭子が居たのかもしれないという思いを増長する。


「……ねぇ」


 悠一が、あの目で全員を射抜く。


「誰が、繭ねぇを殺したんだ?」


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「はぁ? 殺したって……何言っちゃってんのぉ?」


 最初に沈黙を破ったのは、あかねだった。

 彼女は心底怒ったように、悠一を見つめている。


「繭子は、自殺したんだって言ってんじゃん」


「自殺、ね。どんな状況だったわけ?」


「どんなって……悠一さん」


 保坂が、困ったように笑う。


「死因は?」


 交わされる視線の中で、久子が諦めたように言った。


「……悠一が留学してる間に、ここにいるみんなで旅行に行ったのは伝えたわよね」


「ああ」


「北海道に行ったのよ。現地でレンタカーを借りて、いろんな所を周ったりして……」


 久子の目に、涙が溜まる。


「三日目の夜に、層雲峡ってところに泊まったの。温泉があってね、すごくいいところで。山奥で、道がぐねぐねしてるから、みんなで怖いね、なんて言いながら宿まで行ったのよ」


「それで?」


 悠一は、あくまでも冷たい。しかし、いつも無表情な彼の感情の動きは、表情からは解らない。解るのは、繭子だけだったのだ。


「繭子は、みんなが寝静まってから、クルマに乗って宿を出た。その時、既に繭子は睡眠薬をたくさん飲んでいて……」


 久子は、その後の事を言えなかった。

 言わなくても、解ったのだろう。悠一が、固く目を瞑って、ゆっくりと目を開いた。

 そして、薄く唇を開いて、


「それで、誰が繭ねぇを殺したんだ?」


 悪魔のような笑みを浮かべた。


「俺は、真実を知りたいんだよ。いや、実は知っているんだけど……それを、是非とも本人から聞きたいんだけどな」


 知っている、という悠一の言葉に、部屋に居る殆どの者が生唾を飲んだ。


「殺すって、自殺に追い込むのも殺したっていう事にはならないかなーって、俺は思うわけ」


「そんなの、ここに居る人が、やるわけないじゃない」


 葛井が、気丈にも悠一に提言する。

 その彼女に、悠一は汚いものでも見るような視線を送る。


「……葛井さん、父さんと不倫してるんだってね」


「え?」


 声を漏らしたのは、葛井ではなく幹久の方だった。


「秘書になってからってことだから、俺がアメリカ行く前からなんだよな」


 そのまま、悠一の視線は久子に向けられる。


「母さんは、父さんと葛井さんの不倫の事、知ってたんだな。ってか、俺が成人したら離婚するんだろ」


「どうして……」


 久子の呟きは、肯定にしかならない。それに気づかずに、彼女は心底不思議そうに悠一を見つめている。

 悠一は、幹久の目の前に歩いていく。


「父さんの会社、脱税してるんだって? そんな会社、誰が継いでやるかよ」


「悠一くん、君ね!」


 保坂が、悠一に掴みかかろうとする。それを躱して、悠一は保坂に微笑みかけた。


「保坂さん、脱税の事を盾にして、繭ねぇに言い寄ってたんでしょ」


「……なっ」


 驚いたのは、僕だった。

 保坂は、繭子に取り入ろうとしていたのだ。それは僕も、幹久も知らないことだった。


「あかねさんさ……省吾さんと寝たんでしょ」


「えぇ?! なんで知ってるのぉ?!」


「馬鹿!」


 悠一の言葉に簡単に反応したあかねを、僕は睨みつけた。だが、もう遅い。ここに居る全員に知られてしまった。


「……省吾さん」


 悠一の目が、僕に向けられる。

 その目は、酷く悲しげで、切ない、泣き出しそうな目だった。


「繭ねぇの事、好きじゃなかったんだよな」


 僕は何も言えないでいた。

 何も言いたくなかった。


「繭ねぇは、あの日、省吾さんが用意した缶ビールに、睡眠薬が入っている事を知ってたんだ。繭ねぇが眠ってから、省吾さんはあかねさんの部屋に行ったんだろう」


 僕が何も言わないことは、みんなに肯定として捉えられている。みんなの視線が、僕に集まる。

 何故か、その視線が一つ多い気がする。


「でも、繭ねぇはその時眠ってなかったんだ。朦朧とする意識で、駐車場に向かった。そして、クルマに乗り込んだ」


 どうして、と誰かが言った。


「逃げ出したかったんだ。狂った家族から、恋人から、友人から。繭ねぇは、逃げる事を選んだんだ」


 弱かったのよ、とまた誰かが言った。

 やはり、視線が、一つ多い。


「俺は、昔から普通じゃなくてさ。中学の頃は、虐められてて……自殺を考えた事がある。繭ねぇは、そんな俺に言ったんだよ、逃げるなって。死ぬのは簡単だって。……その繭ねぇが、自殺なんてするはずがない」


 でも、結局は死んでしまったのだ。

 睡眠薬を飲んだ事を解っていて、クルマに乗るなんて馬鹿な事をしたばかりに、死んでしまったのだ。

 繭子は、死んだのだ。

 なのに、何故。

 何故、悠一の隣に。


「なんで、繭子がいるんだよぉ!」


 恨めしそうに僕を見る繭子が。

 悠一の隣で、血塗れで立ち尽くす女が。


「省吾さん?」


 繭子が嗤った。

 僕は、転がるように談話室を飛び出して、屋敷の外に出た。クルマに乗り込んで、エンジンをかける。だが、いくらキーを回しても、エンジンはかからなかった。


「無駄だよ。みんなのクルマ弄ってるから」


 屋敷の中から、悠一が出てきていた。

 ぞろぞろと後に続いて出てくる面々の中に、やはり繭子がいる。俺を見ている。


「俺は普通じゃないって言ったろ。昔から、霊が見えてたんだけど、まさか繭ねぇが見える日が来るなんて思ってもみなかった」


 僕の目は、悠一の隣に佇む繭子に注がれていた。血塗れの女は、事故の時の傷だろうか、頭が凹んでいて、片目が潰れている。

 有り得ない方向に曲がった腕を、俺の方へと伸ばす。


「さあ、最後にもう一度だけ、聞くよ」


 悠一が、凄絶な笑みを浮かべた。


「誰が、繭ねぇを殺したんだ?」


 答えは……


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 きゃらきゃらと、部屋のベッドの上で笑い転げる姉を見つめて、悠一は大きな溜息を吐いた。


『あー、おかしかったぁ』


「あんなんでいいわけ?」


 悠一が尋ねると、繭子が元気良く頷いた。

 薄く透けた、グロテスクな姿に変わり果てた姉が、アメリカのホームステイ先に現れた時には、流石の悠一も驚いて声を失った。

 よくよく話を聞くと、自殺するつもりはなかったのに、気がつくと死んでいたのだと言う。


「しっかし、繭ねぇも性格悪いよな」


『そーかなぁ? 他のみんなよりはマシでしょー』


 繭子が首を傾げる。もともと可愛らしい顔をしているはずの繭子だが、陥没した頭部の所為で、首を傾けると中身が零れそうになって、悠一は思わず目を背けた。


『あぁ!? 悠ちゃんひどい!』


「いや、流石に無理、そーゆーの」


『無理とかもっとひどぉい!』


 きゃんきゃんと喚く姉に、悠一は殊更大きな溜息を吐いてみせる。

 あれから、省吾は警察へ出頭した。

 幹久と久子は、正式に離婚するために動き出した。葛井は脱税を認めた幹久のために奔走しているし、繭子を強請っていた保坂は降格処分を受けた。

 あかねは、まあ、元気に学校にでも通っているのだろう。


「で、いつまでこっちにいるんだ?」


 今悠一が居るのは、実家の自室だ。

 そこに何故か、姉の霊も住みついてしまっている。アメリカの学校も夏休みなので、もうしばらくは日本に居るつもりなのだが、姉の霊は成仏する気がないらしい。


『うーん……なんかね、もう一つだけ、気になる事があって……』


「なに?」


『招待状。結局、誰が出したのかなぁって……』


 そこで、悠一の動きが止まる。


「繭ねぇ、食事会での会話信じたのか?」


『え?』


「あんなの、どうとでも嘘つけるじゃん」


『え、え?』


「いいか? あんな会話、“この場にいる人間が、嘘をつく必要がない”って前提の会話だろ。繭ねぇの告別式をやるのに、やましい事なんてありませんって前提で話してるから、嘘も真実になってるんだよ」


 繭子は、頭の中身をひっくり返しそうな程首を傾ける。


『え、わかんない』


「だーかーら、みんなから見て俺は、こそこそと告別式を企画しないといけないような立場じゃない。だから、俺が主催者じゃないと言えば、そうなのかって納得するんだよ。俺が主催者ならば、そうだと言うはずだって認識があるからな」


 繭子は暫く唸っていたが、やがて諦めたように首を振った。ちなみに、その時に不可視の血飛沫が飛んで、悠一は酷く不快な気分になった。


「ってことで、早く成仏してください。めーわくです」


『悠ちゃん、ほんとひどいー』


 泣き言を言いながらも、繭子の体がどんどん透けていく。


『まぁ、わたしも早く生まれ変わりたいし。悠ちゃんにこれ以上迷惑かけられないし……だから、ね』


 繭子が晴れやかな笑みを浮かべる。


『お姉ちゃん、先に行くね』


 その瞬間だけ、傷のない繭子の姿に戻る。

 そして、完全に消えてしまう。


ーー……ありがとう。


 微かに、囁くような声がした。


「馬鹿姉貴……」


 悠一は、やはり無表情に呟いた。

 その顔を、繭子が見ていたのなら喜んだだろう。彼は、繭子との別れを心底惜しんでいたのだから。

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