46. 1年後の約束
季節は、じりじりと太陽が照りつける真夏。
王都での騒乱から少し落ち着きを取り戻したヴォルフラム領だったが、執務室の熱気だけは、外の気温を上回っていた。
——いや、違う。
この妙な居心地の悪さは、向かいに座るギルバートの視線のせいだ。
「結婚式をするぞ」
ギルバートが事もなげに放った一言に、ルーナの思考が停止する。
「えっ……!? け、結婚式……!?」
ルーナの素っ頓狂な声が執務室に響く。
「……何故そんなに驚くんだ。当然のけじめだろう」
「いや、もう今更っていうか……。だって、私もうここでの生活に馴染みすぎていますし、今更ドレスを着て大勢の前に出るなんて、なんだかこそばゆいというか……」
「今更ではない。新国家の王妃として、正式にお前を迎え入れる必要がある」
驚きに固まるルーナを他所に、傍らにいたカイルが素早く手帳を開いた。
「いいですね。領民への新国家設立の挨拶もしなければいけないですし、準備期間としては一年間ほどですかねぇ」
「三ヶ月でいけるだろ」
「いけるわけないですからね?」
被せるように、カイルがぴしゃりと撥ね退けた。
「一大イベントをなんだと思ってるんですか。結婚式の準備、衣装作りに衣装合わせ、招待客の選定、それに合わせた新国家の設立宣言と戴冠式……。その日は確実に祝日になるでしょうし、警備体制も含めたら一年でも足りないくらいなんですから!」
「……近い近い。わかった、俺が悪かった」
勢いよく詰め寄るカイルに、さすがのギルバートも椅子を引いて顔を逸らす。だが、すぐに口端を不敵に上げた。
「まぁ、一年あれば。それまでにお前を完全に口説き落とせるだろうしな」
ギルバートは、ルーナの細い髪をそっと指先で掬い上げると、その銀色の毛先に、慈しむような口付けを落とした。
「へ!? 閣下、まだ奥様からお返事もらってな……ごめんにゃひゃい、ほおがちゅぶれりゅ!」
余計な一言を放ったカイルの頬を、ギルバートが万力のような力で掴み上げる。
そのやり取りを背に、ルーナは真っ赤な顔をして立ち上がった。
「わ、わたし……! 訓練場に行ってくるわ!」
逃げるように向かった訓練場では、すでに特撮プロデュースの「リハーサル」が始まっていた。
「セレス~! あれ、マリーナもいるのね」
「だってもうすぐ、"リハーサル"をやるんでしょ? 楽しみで!」
マリーナが弾むような声で笑う。
「……まさか、ステージで戦って歌まで歌うことになるとは思いませんでしたわ。しかも、アレンさんたちと違ってマスクもしないのですね?」
セレスティアが少しだけ不安げにスカートを翻す。その足元では、守護龍のシェロンがぐったりと地面に這いつくばっていた。
「ボク、もうセリフ覚えるの疲れたよぉ~。野菜パラダイスぅ~」
「よし、じゃあリハーサルがうまくいったら、野菜特盛を進呈しよう!」
「ほんとか!? ヤッター!」
(相変わらずチョロイな……)
ルーナが微笑ましく見守っていると、不意に隣で見ていたマリーナが不思議そうな顔をしていた。
「マリーナ?」
「ハッ! いや、なんでもない。この歌、ホント変わってるよね。聞いたことのないテンポだし、曲調がなんていうか……元気が出そうっていうか」
「歌ってみたい?」
「えっ……」
「いやっ、いいよ。アタシはセレスの舞台が見れたら……それで」
「そ、そう?」
(なんか、それ以上は聞けない感じ……)
深入りはできない雰囲気を感じていると、向こうからエルナとカイルの乳母であるマーサが、息を切らして走ってきた。
「奥様~! お針子さんたちが、いらしてますー!」
「え、もう!? 早くない!?」
結婚式と戴冠式で着るドレスのデザイン決めの時間だ。指揮を執るのは、いつもお世話になっている馴染みの仕立て屋夫婦。そこにはギルバートとカイルも待機しており、あっという間にデザインが決まっていく。
「こんなに背中を出したら、お前の冷えに障る。ボツだ」
「ここの腕の露出も……あまり好ましくないな」
「閣下、デザインを考えるとある程度の露出は必須です! デザイナーさんたちが困っていますよ。まったく……独占欲の塊なんだから」
採寸場から聞こえてくるカイルの呆れ声に、ルーナは顔を赤くして縮こまっていた。
「……あ、あと部屋を俺の部屋の隣にしなければな」
「なんで!?」
「なんでって……『王妃』になるんだ。当たり前だろう。ただでさえ今の私室は俺の部屋から遠いし、必要最低限なものしかなく、それに狭いだろう」
「い、いや今でも充分広くて快適に過ごさせてもらっ……」
言い募ろうとしたルーナだったが、ふと周囲を見渡して息を呑んだ。
いつの間にか、あれほどいたデザイナーもお針子さんも、カイルでさえも音もなく姿を消している。採寸部屋には、ギルバートと自分しかいない。
ジリジリと後退するルーナ。だが、その背中が壁に当たるより早く、長い腕が伸びてきた。
「捕まえた」
「ひゃいっ……!」
「そのうち寝室も一緒に……な」
その言葉の意味が分からないほど、ルーナは子供ではない。
「ハレンチ!」
「ハレンチで結構。愛する女に欲を抱かない男なんて、つまらないだろう?」
「よ…よく…」
「欲」という単語をダイレクトに浴びせられ、ルーナの顔が沸騰する。
「も、もう! ギルバート様って、私のどこが好きなんですか!? ちょっと、いまだに信じられなくて」
「どこ、だと? そうだな……まずはその、俺を死神と恐れずに真っ向から見つめてきた強さ。そして特撮とやらを語る時のキラキラした瞳。それから、照れるとすぐに真っ赤になる頬に、意外と柔らかいこの腰のライン。……それから」
「ストップストップ! 聞いた私がバカでした!」
全力で耳を塞ぐルーナ。
「なんだ、まだ三日は語れるが」
「三日もいりません! ……ど、どうせギルバート様は経験豊富だから、そんな甘い言葉がスラスラ出るんです。あの時だって、エスコートがすごくお上手でしたし……」
少しだけ拗ねたように唇を尖らせると、ギルバートはふっと表情を和らげ、ルーナの耳元に唇を寄せた。
「……人を好きになったのは、お前が初めてだぞ」
「へ?」
胸の奥が、きゅっと妙に騒いだ。
予想外の告白に、ルーナは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
「エスコートは小さい頃に義兄に仕込まれたんだ。一応これでも公爵だからな。……女を、抱きたいと思ったのはお前だけだ」
「わ、わたしが……はじめて」
(……嘘。あのギルバート様が、私が初めて……?)
言葉にできない喜びが、胸の奥からじわじわと広がっていく。
「今、ホッとしただろ」
「そ、そんなことありません!」
ニヤリと笑うギルバートに図星を刺され、ルーナは慌てて顔を背けた。
そんな彼女を愛おしそうに見つめ、ギルバートは優しく抱き寄せると、おでこに柔らかくキスを落とした。
「……その調子だと、お前も初めてか? ルディウスとは何もなかったのか」
「は、はい。私も興味なかったですし……。それに、あの頃の体型のこともあって、彼も私を『女』としてというか、もはや人として見てなかった気がします」
自虐的に笑うルーナの肩を、ギルバートが力強く抱きしめる。
「ほう。まぁ、俺はあの時の体型のルーナでも、愛せる自信があるがな。むしろ柔らかくて抱き心地が良さそうだ」
(いちいち甘い雰囲気に持っていこうとするんだから……!)
ルーナは真っ赤になりながら、ふと思い出した。
「あ、」
「なんだ」
「あの時……馬車の中で、危うくルディウスにキスされそうになったことを思い出して……」
ギルバートの銀の瞳が、すっと細められる。
言いかけた瞬間。
視界が反転し、強引に唇を塞がれた。
「んんんんん!!!」
深い、深い口づけ。心臓が跳ね、頭の中が真っ白になる。
ようやく唇が離れると、ギルバートは冷徹な「死神」の瞳で、しかし独占欲に燃える熱を孕んで言い放った。
「……消毒だ」
「されてませんってば!!!!」
ルーナの絶叫が、ヴォルフラム邸の廊下にまで響き渡ったのだった。




