24. 二人の「おかあさま」
リハーサルが無事に成功し、私は城の広間でささやかな慰労会を行うことにした。
会場は、これまでにないほどのお祭り騒ぎだった。琥珀色のエールや香草を効かせたワインが振る舞われ、騎士団の面々はそれぞれお酒を煽りながら、「あのレッドが飛び出した瞬間が最高だった!」「アルスの応援で涙が止まらなくなった」と、身振り手振りを交えて熱っぽく語り合っている。
エルナもアルスも、本当に楽しそうだ。特にアルスは、片時も『魔道具』であるスターブレードを離そうとせず、まるで自分の一部であるかのように大切に、何度もその銀色の刃を確かめるように抱きしめていた。
そんな時、不意にエルナが私のスカートの裾を引いた。
「ねぇ、ルーナ様。このスティックもきっと、あんな舞台で光り輝く時がくるんでしょ!? 楽しみにしてるね――"おかあさま"」
屈託のない、春の陽だまりのような笑顔で放たれたその言葉に、私の肩がびくんと跳ねる。
「……!?」
驚く私をよそに、アルスもまた、潤んだ真剣な眼差しで私を見上げた。
「あれって続きがあるんだろ!? 早く本物の舞台で見せてくれよ、"おかあさま"!」
二人が、私のことを……「おかあさま」と呼んだ。
あまりに唐突で、けれど重みのあるその響きに、視界が急激に歪んでいく。
「……あ、あのね。二人とも、無理しなくていいんだよ? あなたたちにとってのお母様はエルヴィラ様だけなんだから。なんなら呼び方を変えたり、今まで通りルーナ様でも……」
動揺してしどろもどろになる私の手を、エルナがぎゅっと握りしめた。
「いいの。私たちにとって、ルーナ様は……二人目のおかあさまよ!」
その純粋な宣言が、私の心の堤防をあっけなく決壊させた。
まさに涙が零れ落ちる、その瞬間――。
「う、うわあああああああん!!!」
不意に横から、私以上の音量でマキナさんが号泣した。
「ルーナ良かったねぇぇええ! 本当に良かったぁぁ!」
完全に出来上がった彼女は、私の肩を抱き寄せ、ぐりぐりと頬擦りしてくる。そのあまりの豹変ぶりに、溢れかけていた涙も一気に引っ込み、私は思わず大笑いしてしまった。
ふと見れば、少し離れた椅子に座り、シオンが穏やかな表情で見たこともない形の弦楽器を爪弾いていた。
リハーサルの時のような迫力ある劇伴ではなく、今はその場の空気を彩るような、弾むようなメロディ。
それに合わせるように、アルスが小さな声で「……ゴー! ゴー! スターレンジャー!」と主題歌を口ずさんでいる。
実はアルス、あの日から毎日、お風呂の中でも稽古の帰り道でも、この歌を口ずさんでいるのだ。今では完璧に歌詞を覚えている。
「ルーナ様、楽しんでますね」
賑やかな喧騒を割って届いたその声に、アルスが弾かれたように顔を上げた。
「その声は……スターレッド!」
声の主――アレンは、お酒の入ったグラスを片手に、少しだけ照れくさそうに肩をすくめていた。
「おっと。よく気づいたね。でも今ここにいるのは、ただの平民のアレンだから。そこんとこ、よろしくお願いしますですよ、若!」
「なんなら、ここにブルーとブラックもいますよ」
「はっはっは~! ダークネス団もいるぞ~! 逃げろ~!」
リオンやガトラスさん、さらには敵役のメンバーまでが次々と現れ、広間はさらに活気づく。アルスは初めてできた「推し」を前に、憧れと緊張ではわわ……と硬直し、エルナは「キャー!」と笑いながら、わざと追いかけてくる敵役たちの間をすり抜けて逃げ回っている。
ふと周りを見渡せば、マキナさんはいつの間にかカイルさんを捕まえ、ジョッキを片手に「爆発音が足りない! 次はもっと指向性を持たせた共振を――!」と熱弁を振るい、カイルさんは死んだ魚のような目で遠くを見ている。料理長はいつも通り次々と大皿料理を運びながら、自分も豪快にジョッキを空けていた。
(いいな、こういうの……)
温かな幸福感で胸がいっぱいになっていると、アレンがふと真剣な表情を浮かべ、一歩近づいてきた。
「ルーナ様、本当にありがとうございました。……俺、もう迷わずにヒーローを演れそうです。まぎれもなく、俺のヒーローは……あなたです、ルーナ様」
いつになく真摯な声。彼は私の手をそっと、けれど力強く握りしめた。その瞳の奥には、単なる感謝だけではない、言葉にできない熱い想いが揺らめいているように見えた。
――ガシッ。
その瞬間、アレンの手を振り払うように、背後から冷徹な圧迫感が降りてきた。
ギルバート様が、有無を言わせぬ力で私の肩を掴んだのだ。
「ルーナ」
耳元に低く響く、氷のような声。
「妻は酔ってしまったようだ。少しバルコニーの風に当たらせてくる」
アレンの手から私を奪い取るようにして、彼は強引に私をバルコニーへと連れ出した。
残されたアレンの背中に、リオンが静かに声をかける。
「……おまえ、まさか……」
アレンは空になった手のひらをじっと見つめ、喉の奥で絞り出すように呟いた。
「うるせぇ。……想うだけなら、いいだろ」
リオンはそんな相棒の肩をポンと叩き、呆れたように、けれど優しく笑った。
「……まぁ、あの人は天然の人たらしだからな…好きになっちゃうよなぁ。今日は飲め飲め!」
そんな切ないやり取りも知らず、私は夜風の吹くバルコニーへと引き出されていた。
肩に置かれた手は、まだ離してくれそうにない。まるで捕獲された小動物のような気分になりながら、私はバルコニーで大人しくしていた。月明かりの下で改めて見上げるギルバート様は、どこまでも冷たく、そして溜息が出るほどに綺麗だった。
なんだかこの距離に恥ずかしくなって離れようとすると、いっそう強い力で抱き寄せられる。
「ありがとう。君は領地を救ってくれただけじゃなく、あの子たちの……俺の心も救ってくれた」
それは、風に溶けてしまいそうなほど優しい声だった。
「リハーサルとやらが終わったあの日、アルスに言われたんだ。――剣の稽古がしたい、あいつが自分から言ってきたんだ」
抱きしめられた肩が、微かに震えている。……泣いているのだろうか。
「『怖くないのか』と聞いたよ。あの日、あんなに震えていたあいつに」
「アルスは……なんて?」
「『強くなるって約束したんだ。エルヴィラおかあさまと。ルーナおかあさまに』……そう言って、俺を真っ直ぐに見返した。とても綺麗な目をしていたよ」
月を見上げる彼の声が、夜風に乗って低く響く。
「俺のヒーローは……お前だな、ルーナ」
その言葉に、私は少しだけ照れ隠しをするように、クスクスと笑いながら返した。
「それ、さっきアレンにも言われました」
……その瞬間。
さっきまでのしっとりとした雰囲気が、一気に凍りつくのを感じた。
「ルーナ」
顎に手をかけられ、強制的に顔を向けさせられる。
え、まって、顔が――。
『キケン! キケン! 極大級接触アリ!』
私の脳内では、ミニルーナが赤いサイレンを鳴らし、巨大な垂れ幕で危険信号を叩き出していた。
「なんだこの手は」
反射的に、私はギルバート様の口を両手で塞いでいた。至近距離で見つめる銀色の瞳に、逃げ場を失う。
「ギ、ギルバート様、酔ってますね!? そうです、お酒のせいです! はい、撤収ー!」
心臓の音がうるさすぎて、私は必死に誤魔化そうと声を張り上げた。
だが、彼はその鋭い銀の目を、獲物を捉えたかのように細めた。
塞いだはずの私の手のひらに、熱く、柔らかな感触が走る。
「ひぇ……っ!」
舐められた。手のひらを、ペロリと。
このままだと、本当に食べられてしまいそう。
羞恥心で耐えきれなくなった私は、逃げ出すようにその腕をすり抜け、広間へと一目散に駆け込んだ。
広間でジョッキを煽っているマキナさんに合流すると、真っ赤になった顔を隠すように、冷たい水を一気に飲み干していた。
一方、一人残されたバルコニー。
ギルバートは乱れた前髪をかき上げ、熱を帯びた瞳で夜空を仰いだ。
「……何をやってるんだ、俺は」
その呟きは、冷たい夜風に虚しく消えていった。
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~王都・王宮の一室~
「なんで!? ハッピーエンドになったのに、どうしてうまくいかないのよ!!」
豪華な調度品に囲まれた部屋に、聖女リリアの苛立った叫びが響き渡る。
彼女の目の前には、かつて自分が思い描いていた「完璧な物語」とはかけ離れた現実の報告書が散らばっていた。ルーナマリアを追い出し、自分が王都で輝くはずだったシナリオが、どこかで狂い始めている。
半開きの扉の隙間から、部屋の中の様子をじっと見つめる少女がいた。その瞳は、どこか冷ややかだった。
この国の第三王女、セレスティア。
まだ幼さが残る顔立ちながらも、その瞳には王族特有の鋭い知性が宿っている。
(お兄様も、とんだ人と結婚しましたわね……。聖女様が、これほどまでに思慮の浅い方だったなんて)
セレスティアは優雅に紅茶を啜りながら、心の内でため息をついた。
彼女が耳にしているのは、リリアの失態だけではない。
(最近は辺境に人が流れていると聞くわ。死に体だったはずのギルバート様の領地で、何か面白いことが起きているのかしら……。お父様に頼んで、様子を見に行こうかしらね)
王都の喧騒を離れ、新しい風が吹く場所へ。
まだ幼さが少し残るお姫様が、今まさに、新しい物語の1ページをめくろうとしていた。




