20. 強制休養(※死神閣下付き)
医師が退出し、バタンと重い扉が閉まった。
部屋には私とギルバート様の二人だけ。薪がはぜる音だけがやけに大きく響いている。
実は、医師が「過労です」と言っていたあたりから、私の意識はうっすらと回復していた。
(ああ、やっちゃった……。みんなに心配かけちゃったなぁ……)
そう思って目を開けようとしたけれど、瞼が鉛のように重い。それに、なんだか今の状況で「あ、おはよー!」と起き上がるのは、空気を読めていない気がする。
そんな私の葛藤など知る由もないギルバート様は、私の手をそっと握りしめた。
その大きな手が、わずかに震えているのが伝わってくる。
「……すまなかった」
ぽつり、と。懺悔するかのような低い声が落ちてきた。
「お前の力と、その優しさに甘えていた。……本当は、こんなにも華奢で、小さいというのに」
(えっ、ギルバート様……?)
心臓がドキンと跳ねた。いつもは無骨で、不器用なあの人が、今まで聞いたこともないような弱々しい声を出している。
「お前のおかげで、一年も経たずに辺境領はこんなにも豊かになった。……俺は、ただ見ているだけだった。素直になれず、いつの間にかお前が次に何をしでかすのか、それを楽しみにしている自分に気づかないふりをして……」
ギルバート様の指先が、私の手の甲をなぞる。
そして、熱い体温と共に、柔らかい感触が手の甲に触れた。
――そっと、誓いを立てるようなキス。
触れた場所から、じわりと熱が広がっていく。
(っ!!!!!?)
その瞬間、私の指先がピクリと跳ねてしまった。
(やばいやばいやばいやばい!!!!!)
脳内のミニルーナが、サイリウムを投げ捨てて頭を抱え、のたうち回る。
(これ、もう『実はさっきから起きてまーす!』なんて言える雰囲気じゃないじゃん! 死ぬまで寝たふり決め込むしかないやつじゃん! ていうか手にちゅーは無理! 心臓に悪い! 騎士団長、破壊力が特撮のラスボス級なんですけど!!)
必死に呼吸を整え、石像のように固まろうとする私。
しかし、握られた手は離されない。それどころか、上から覗き込まれるような気配がした。
「……ルーナ」
握っていた私の指先を、彼の親指がゆっくりとなぞる。
「起きてるだろ」
耳元で、やけに色気のある声が聞こえる。
低くて、どこか楽しそうな、逃げ場のない声。
その声に、ビクッと肩が跳ね…そうになった。セーフセーフ堪えた。ここで「はい、そうです!」なんて起き上がれるほど私の心臓は強くない。最後の悪あがきとして、私は渾身の演技を繰り出した。
「……ぐぅ」
……数秒の沈黙。
その直後、「ふっ……く、ふふっ」と、こらえきれないといった風な笑い声が部屋に響いた。
「あはははははは!」
「ぐっ……もう! そんなに笑うことないじゃないですか! っていうか、いつから気づいてたんですか!」
私はガバッと飛び起き、真っ赤な顔で抗議した。恥ずかしすぎて頭から湯気が出そうだ。
「……最初からだ」
「なっ…!ぐぬぬ……!」
いつもの無表情はどこへやら、少し意地悪そうに目を細めて笑うギルバート様に、私は枕を掴んで顔面に叩きつけようとした。が、その手はすかさず空中で捕まえられてしまう。
「とにかく。お前は働きすぎだ」
ギルバート様の声から笑みが消え、真剣なものに変わる。
「領地の収入も安定してきた。特許だか何だか知らないが、あの青汁とやらの利益で十分やっていける。畑や酪農は新しく人を雇って管理させよう。市場の様子も、もう部下たちに任せて大丈夫なはずだ」
ギルバート様は私の手を握ったまま、一歩も引かない構えだ。
「冬は人通りも少なくなる。……ひーろーしょーとかいうあの訓練も、もうあいつらだけでできるだろう。魔道具のことも、ひとまず考えるのをやめろ」
「えぇ〜、でも……」
「冬の間は休め。……分かったな?」
「え、ええ〜……(でも、まだBGMの事とか……)」
不満げな私の顔を見て、ギルバート様がグイッと顔を近づけてきた。整った顔面が、視界を埋め尽くすほどの至近距離に迫る。
「わ・か・っ・た・な?(圧)」
「近い近い近い近い! わかりましたぁ!!」
(顔面偏差値の暴力! この距離でその圧は反則だってば!)
こうして、辺境領の最強プロデューサーは、ギルバート様の監視のもと、三ヶ月ほどの強制休養を強いられることになったのである。
――もっとも。
その三ヶ月が、私にとって一番落ち着かない休養になるなんて、 この時の私は、まだ知らなかったのだけれど。
「ルーナマリア様ぁぁ!!」
部屋の封鎖が解かれるなり、マキナさんに泣きつかれ、エルナには顔をぐしゃぐしゃにして泣かれた。
アレンは「……チッ、紛らわしいんだよ」とツンツンしながらも、真っ赤な目で必死に涙をこらえている。
さらに料理長からは「特製の濃縮青汁です!」と、いつもより緑が深い液体を無理やり飲まされた。
そんな中、カイルさんだけが死んだ魚のような目で私に囁いた。
「奥様……早く良くなってくれないと、私も死にます。というか、もう半分死んでます……」
目の下には、くっきりと濃い隈が浮かんでいる。
「えっ、なんでギルバート様の仕事がカイルさんに!?」
「四六時中、あの人がここに居座っているからですよ……」
そう、ギルバート様は不器用ながらも、驚くほど甲斐甲斐しく私の看病を始めたのだ。
「ほら、おやつを持ってきてやったぞ。糖分が必要なんだろ?」
「退屈なら童話でも読むか? そのくらいなら俺が……」
「何か欲しいものはあるのか。……何でも言え」
「……あの、ギルバート様」
「なんだ」
「そんなに監視しなくても、もう無茶はしませんってば」
「かん……(ゴホンッ!)」
ギルバート様はわざとらしく咳払いをして視線を逸らした。
「……いや、お前は信用できない。放っておけばまた爆発物でも作りかねないからな」
「カイルさんが『仕事が山積みだ』って泣いてましたよ?」
「大丈夫だろ。ほとんどをお前に任せていたツケが来ただけだ。……気にするな」
(……えええ。あの『戦場の死神』と呼ばれた閣下はどこへ?)
もはや首輪を外された、大きな……いや、ものすごく大きな大型犬に見えてくる。
夜。
ようやく賑やかな面々が去り、静かになった部屋でぼーっと天井を見つめる。
本当に、ここまで突っ走ってきた。
私、本当に異世界にいるんだなぁ。
エルナとアルスがあんなに激しく泣くなんて思わなかった。……そういえば、なんであの二人はあそこまで閣下と距離を置いているんだろう。
閣下も、双子を見るときはいつも少し苦しそうな、切ない顔をしている気がする。
いつも明るいアレンだって、たまにふっと暗い顔をするときがあるし……。
(……私は、この家の人たちのことを、まだ何も知らないのかもしれない)
物語を届ける側の私が、一番大切な家族の物語を知らないなんて。
静まり返った暗闇の中で、私は少しだけ胸がチクリと痛むのを感じた。
数日が過ぎ、窓の外ではしんしんと雪が降り積もり始めていた。
前世では保育士として、たくさんの子供たちと賑やかに過ごしていた私。孤独ではなかったけれど、この異世界で感じる「誰かに守られている」という感覚は、また少し違う温かさがある。
そして翌朝。
すっかりいつもの調子に戻った私は、庭にいた。ギルバート様に何度も「もう大丈夫です!」「健康そのものです!」と頼み込み、ようやく短時間の散歩の許可を貰えたのだ。
「……うわぁぁぁ! 辺境領の雪! 雪だーーーーーーー!!!」
一面の銀世界。不純物のない真っ白な雪が、視界を埋め尽くしている。
テンションが振り切れて、思わず助走をつけて走り出そうとした瞬間。
「……はぁ。お前は、今度は何をしようとしているんだ」
ガシッ、と後ろから首根っこを掴まれた。
「へ? ダイブだけど」
「お前は阿呆か。病み上がりで雪に突っ込んで、また風邪でも引いたらどうするんだ」
「なっ……! これくらいで風邪なんて引きませんよ! 私、こう見えても鍛えてますし! 閣下は過保護すぎます!」
「……ほう」
ギルバート様の目が据わった。
逃げようとしたけれど、背後の壁に追い詰められ、ドカッ!と大きな音が響く。
いわゆる「壁ドン」。それも、逃げ道を塞ぐように股の間に脚まで入れられ、完全にロックされてしまった。
(あの時の壁ドンとは別人のよう…)
「……言う事を聞けないなら、俺が部屋で『寝かしつけて』やろうか?」
低く、甘く、そして逃げ場のない声が鼓膜を震わせる。
(ギャーーーーー! 耳が溶ける! 何そのエロい低音ボイス!!)
「分かりました分かりましたごめんなさいごめんなさい!! 言うこと聞きますから!!」
「ふん、ならいい」
ギルバート様はニヤッと不敵に笑うと、ようやく私を解放してくれた。
(~~~~~~~~! あの不器用死神閣下、いつの間にあんなテクニックを……!)
顔を真っ赤にしながら、私はゆっくりと雪に足をつける。ギュッ、ギュッという心地よい感触。
その時、屋敷の方から二つの小さな影がやってきた。
「あっ……おとうさま」
エルナとアルスだ。私を見つけて駆け寄ろうとした二人が、ギルバート様を見てぴたっと動きを止める。
ギルバート様は一瞬、眉を下げて苦しげな顔をしたが、すぐにいつもの無表情に戻って言った。
「アルスにエルナか。……ルーナが寂しがっていたぞ。遊んでやってくれ」
「は、はい!」
ギルバート様が少し距離を置くように歩き出すと、双子の表情がぱっと明るくなった。
「あ、アルス~!!! エルナ~!!!」
私は早速、雪玉を丸めてアルスに投げつけた。
「~~~~!! やったな、ルーナ!」
「こっちだよー!」
キャッキャと楽しそうに雪合戦を始める私たち。
少し離れた場所で、ギルバート様はそんな三人の姿を、眩しそうに、そしてどこか遠くを見るような目で見つめていた。
しかし、双子を見ていた彼の瞳が、ふと険しく、そして深い悲しみを湛えたものに変わるのを、私は見逃さなかった――。




