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水面の影と光  作者: 与一
第2章 ある先輩と後輩について
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壊すべき虚像

「親とOB……ですか?」

中野の声色が変わる。

「そうだ。特に歴史のある強豪校の部活動にはよくある話だ。部員の親やOBの中にはな……」あたしは言葉を選ぶように一旦区切った。「……その部活の顧問や監督を、まるで神様か何かのように絶対視している人間がいる。彼らにとっては、顧問こそが部の繁栄のシンボルであり、勝利の源。顧問の采配は絶対であり、批判することはあってはならないと固く信じ込んでいるんだ」

「それは……」

「彼らにとってみればな、たとえその顧問が法的にも倫理的にもアウトなことをしていても関係ない。むしろ『指導熱心』の裏返しだと思い込み、擁護に回る。逆に被害者であるはずの選手の方を『生意気だ』『感謝の心がない』と責めたりする。こうなるともう手が付けられない」

中野は絶句している。その表情には驚きと共に深い憂慮が浮かんでいた。

「そういう連中がな……特に梅垣のように『結果を出している』タイプの顧問には多くつくものだ。連中こそが、梅垣をあそこまで増長させたと言ってもいいかもしれん。彼らの絶大な支持と庇護があるおかげで、梅垣はやりたい放題できたんだろう」

彼女が所属する学会やレクリエーション系のスポーツ現場では考えられないであろう光景だろう。「そういう連中がな……特に梅垣のように『結果を出している』タイプの顧問には多くつくものだ。連中こそが、梅垣をあそこまで増長させたと言ってもいいかもしれん。彼らの絶大な支持と庇護があるおかげで、梅垣はやりたい放題できたんだろう」

彼女が所属する学会やレクリエーション系のスポーツ現場では考えられないであろう光景だろう。

「それは本当に……質が悪いですね」

中野にしては随分と強い言葉を使った。

「全くだ。私も何度かそういう話は聞いたことがある。去年もニュースになっていたじゃないか。 どこかの高校の運動部の顧問が飲酒運転でひき逃げ事故を起こして捕まったがな。学校や生徒の親たちがこぞって『人格者で指導熱心な先生だ』という嘆願書を持ってきて裁判所に提出したという話を。あれも同じ構図だ。親たちもOBたちも顧問の暴走を止められないどころか、あらゆる面で応援してしまう。それどころか被害者を批判する始末だ」

あたしは苦々しい表情で言った。何より面白くないのは、その部がバレーボール部だってことだ。あたしが顧問をしているのと同じ種目なのに。

「そういう人たちはなぜそこまで顧問を信じるのでしょう? 自分の子どもが同じような目に遭う可能性だってあるでしょうに」

中野が根本的な疑問を呈した。彼女の問いはもっともだ。親ならば我が子を守るために立ち上がるのが当然の感情だろう。

「そこだ」あたしは大きくため息をついた。「なぜか? 答えは簡単だ。大元はな……顧問の人間性でも、ましてや部活動自体への純粋な喜びでもない。もっと即物的な理由だ」

「即物的……?」

中野が身を乗り出す。

「ああ。ズバリ『進路保証』だ」

あたしはビシッと言い放った。

「進路……ですか?」

中野が少し拍子抜けしたような声を上げる。

「そうだ。梅垣のような顧問はな……結果を出す代わりに『私についてくれば将来の面倒を見てやる』という約束事を暗黙のうちに作っているんだ。勝ち続けて強豪校の地位を盤石なものにすれば、その顧問の裁量で大学や企業への推薦枠が確保されやすい。『〇〇先生の指導を受けた生徒なら間違いなし』という謎の信用が生まれるんだ。それが最大の報酬さ」

「なるほど……」

中野が納得の表情を浮かべる。

「つまりな、梅垣という存在は親やOBにとって単なる顧問以上の存在なんだ。子どもの輝かしい未来へと導いてくれる『救世主』みたいなもんさ。『この人についていけば人生うまくいく』という打算が働くんだよ。だからどんなに問題があっても、いやあるほど『愛の鞭だ』『厳しさこそが愛情の裏返しだ』と曲解する。そんな顧問に刃向かったりしたら……推薦枠から外されるかもしれない。下手をすれば部活自体を辞めさせられて終わりだ」

あたしはグラスを空け、新しい一杯を注文する。喉の奥がヒリヒリする。こんな話題だ、酒がなければやってられない。

「つまりな、梅垣という存在は親やOBにとって単なる顧問以上の存在なんだ。子どもの輝かしい未来へと導いてくれる『救世主』みたいなもんさ。『この人についていけば人生うまくいく』という打算が働くんだよ。だからどんなに問題があっても、いやあるほど『愛の鞭だ』『厳しさこそが愛情の裏返しだ』と曲解する。そんな顧問に刃向かったりしたら……推薦枠から外されるかもしれない。下手をすれば部活自体を辞めさせられて終わりだ」

しばし沈黙が流れる。店の喧騒が遠くに聞こえる。中野はテーブルに視線を落としたままじっと考え込んでいたが、ふと顔を上げた。その顔には先程までの憂いの色はなく、どこか挑戦的な、不敵な笑みが浮かんでいる。今まで見たことのない表情だった。

「ということは……」中野の声のトーンが僅かに変わった。「もし仮にですよ? その顧問……梅垣が、部員たちの進路を保証できなくなったら? 彼女の推薦や後ろ盾が一切通用しなくなったとしたら……どうなると思います?」

その問いかけに、あたしは思わず息を呑んだ。中野の瞳が鋭く光っている。

「……どういう意味だ?」

「言葉通りの意味です」中野は落ち着き払って答えた。「親御さんたちやOBさんたちが顧問を支える最大の理由は『将来の保証』ですよね? だったらその土台が崩れてしまえば……彼らの忠誠心は一気に揺らぐんじゃないでしょうか。砂上の楼閣みたいなものですよ」

中野は高3の担任でもある。受験シーズンになると親たちの目の色が変わるのを誰よりもよく知っているのだ。進路こそが彼らの最大の関心事であることを。

「……可能なのか? そんなことが」

あたしは半信半疑で尋ねた。そんな都合良くことが運ぶとは到底思えない。学校や親たちの結束は堅いはずだ。

「私は現在も高3の担任をしていますので、各大学の職員の方や教員の方と頻繁に接する機会が多いんです。それに、私の所属している学会は競技水泳とは直接つながりはありませんが、会員には大学関係者や地域の有力者、公務員の方や企業関係者といった幅広い人脈を持つ方がいらっしゃいます」

中野は淡々と説明する。その冷静さが不気味なほどの迫力を伴っていた。

「もし……そういった各方面の影響力のある方々がですね、『多香美女子校の水泳部の生徒は一切受け入れない』『あそこのコーチの推薦は信用できない』とでも明確に表明してきたら……」

「学校としても梅垣としても、大ダメージだな」

あたしは低い声で呟いた。中野の提案の本質を理解したのだ。彼女は正面突破ではなく、外部からの圧力をかけることを考えている。

「ええ。しかも『体育教師としての資質に問題がある』とか『部活動における適切な指導が行われていない』といった具体的な理由づけがあればなお効果的でしょう。表向きは『指導方針の相違』として片付けられるかもしれませんが……」

中野はそこで言葉を切り、ニヤリとした。

「実際に進路に影響が出れば、親御さんたちは黙っていないでしょう。今まで恩恵を受けていた連中こそが最も早く手の平を返すものです」

その言葉には皮肉が滲んでいた。あたしはグラスに残った最後の一口を飲み干した。酒が胃に落ちていく感覚が妙にはっきりと感じられる。



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