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水面の影と光  作者: 与一
第2章 ある先輩と後輩について
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組織という名の城塞

「先輩、同じ体育教師として、こんなのが水泳の指導者として幅を利かせているというのは看過できません。許せませんね」

中野が珍しく強い口調で言い放つ。彼女の握った拳がテーブルの上で固まっているのが見える。

あたしはゆっくりと首を横に振った。

「 気持ちは分かる。だがな……うかつには動けんぞ」

「どうしてですか? こんな非道を許しておくんですか?」

中野が食い下がる。

「ああ。確かに許しがたい。だが……芦川自身がそれを望んでいないことは明白だ」

あたしは静かに言った。

「彼女は多香美女子校にも梅垣にも接触することを何よりも拒否している。この件を蒸し返すことは……あいつ自身の心の傷を抉り返すことになりかねない」

「……」

中野が黙り込む。

「それにだ。あたしが不用意に嗅ぎまわっていることが梅垣の耳に入るのも避けたい。奴のことだ。どんな手段を使ってくるか分からん。特に水泳競技の世界というものは……意外と狭く、人脈が複雑に絡み合っているもんだ。地方の小規模な大会であっても、参加者の親やコーチが知り合いだったりすることもザラにある。どこから情報が漏れるか分かったもんじゃない。それに競技関係者の中には、勝利のための暴力を「伝統」や「愛情」と勘違いしてる老害もまだまだ多い。だから、あたしも、こうした周辺の情報しか集められなかった。長谷川先生にはかなり協力してもらったがな」

「なるほど……」

「さらに言えばだな……万が一、あたしが学校を通じて正式に訴えかけたとしても……」

あたしは意味ありげに言葉を切った。

「どうなるというのですか?」

中野が続きを促す。

「恐らく、十中八九、多香美女子校も梅垣も上手くかわすだろう。あの学校は県内有数の名門私立だ。内部の問題を外部に漏らしたがらない保守的な体質がある。それに、たとえ、あたしが学校を通じて正式に訴えかけたとしても……」

あたしは意味ありげに言葉を切った。

「どうなるというのですか?」

中野が続きを促す。

「恐らく、十中八九、多香美女子校も梅垣も上手くかわすだろう。ああいう名門私立は、内部の問題を外部に漏らしたがらない保守的な体質がある。それに、学校としては、梅垣は部活動で成果を出してくれる優秀な教師だ。彼女のおかげで学校の評判があがり、生徒も多く集まってくる。そんな教師を簡単に辞めさせることはできない。だから、学校としては梅垣を守ろうとする。多香美女子校も梅垣本人も、こっちがどんなに強く訴えても、証拠不十分だとか、個人的な感情の行き違いだとか言ってはぐらかすのがオチだろうとあたしは見ている」

あたしは腕を組み、深いため息をついた。

「ですが……」

中野が口を開く。その声には諦めない意志が込められていた。

「決定的な証拠を突き付けたらどうでしょう?」

「決定的な証拠?」あたしは眉をひそめた。

「ええ」中野は落ち着いて語り始めた。「例えば、芦川さんが受けた暴言や不当な扱いについての具体的な証言を集めることとか……。恐らく梅垣は、芦川さん以外にも、似たようなことをそれ以前から繰り返しているはずです。彼女の性格や指導スタイルを考えると……同様のケースは芦川さん以前にもあったと考えるのが妥当ですよね」

確かにその通りだ。梅垣が芦川が入学してから豹変したわけではない。芦川が中学に入ってからの標的にされたというだけで、それ以前から同種の行為は行われていただろう。

「それに」中野は続ける。「梅垣の行動は水泳部だけにとどまらない可能性があります。体育の授業でも露骨に芦川さんだけを狙っていましたし、他の教科担当の先生たちも彼女の偏った態度に薄々気づいているかもしれません。学校内の閉鎖的な環境では、そういった問題は水面下で広がっていくものです」

「学校内に不満を抱えている人間がいるかもしれないというわけか……」

あたしはぽつりと言った。その視線はどこか遠くを見ているようだった。

「そうです」中野が力強く頷く。「現に、芦川さんが卒業した日、体育館の靴箱に密かに励ましの手紙を入れた後輩がいたでしょう? あの生徒だって、梅垣のやり方に疑問を感じていたからこそ、ああいう行動を取ったのではないでしょうか。彼女のような思いを抱えている人間は他にも必ずいるはずです」

「確かにそうかもしれん……」

あたしは顎に手を当てて考え込んだ。中野の指摘は鋭い。現に芦川自身も孤立していたとはいえ、全ての人間に敵視されていたわけではない。少なくともあの手紙の主のような理解者がいた事実は心強い。内部の証言者を慎重に探せば突破口になるかもしれない。だが……。あたしはグラスの縁を指でなぞりながら続けた。

「だがな……たとえ決定的な証拠や、そうした正義感のある証言者がいたとしてもだ。それでも、厄介なものが一つある」

「厄介なもの……ですか?」

中野が怪訝そうな顔をする。あたしは苦い顔で頷いた。

「ああ。強豪の部活動でありがちな問題だがな。部員の親とOBだ」


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