第2話 「甘さを刈り取る死神」前半
土曜日だった。
学校は休みで、
成実は朝からみかん畑の手伝いをしていた。
昨日のことは、
うまく言葉にできないまま、胸の奥に沈んでいる。
清水の倉庫。
円形のフロア。
手の中に残った、冷たい感触。
思い出そうとすると、
輪郭だけが、ぼやける。
ただ――
手首のブレスレットだけは、はっきりとそこにあった。
重さも、冷たさも、昨日と変わらない。
なのに、外す気にはなれなかった。
「……何だったんだろ」
呟いてみても、答えは浮かばない。
成実は何事もなかったように籠を持ち、
枝に手を伸ばした。
その時だった。
――ぼと。
足元で、鈍い音がした。
落ちたみかんが、
音もなく潰れている。
成実は首をかしげ、拾い上げた。
軽い。
皮は残っているのに、
中身だけが、消えていた。
「……え?」
周囲を見る。
同じことが、畑の奥でも起きていた。
実が落ちる。
色が抜ける。
残るのは、空っぽの皮だけ。
風は、吹いていない。
――キン。
手首で、小さな音が鳴った。
ブレスレットが、初めて熱を持つ。
理由は分からない。
けれど、確信だけがあった。
(……来てる)
畑の奥。
夕闇が濃く溜まった場所から、影が歩いてくる。
ローブを纏った死神。
表面は、みかんの皮のように粒立ち、
裾が房状に裂けて揺れている。
右手には、鎌。
湾曲した刃が、鈍い橙色に光っていた。
「……刈り取るだけだ」
低く、淡々とした声。
「熟したものから、終わる」
成実の喉が鳴る。
「……それ、
うちの畑なんだけど」
返事はない。
鎌が振るわれる。
地面をなぞっただけで、
畑の一角が、音もなく色を失った。
みかんの木が、
一斉に俯く。
「――やめて!」
考えるより先に、足が動いていた。
勝てるはずがない。
近づいても、意味はない。
それでも。
手首の熱が、強くなる。
ブレスレットは、反応している。
だが――
何も起きない。
成実は、息を詰めた。
(……違う)
その時、
ポケットの中で、硬い感触が指に当たる。
昨日、倉庫で渡されたもの。
橙色の円形メダル。
——みかん。
「……そうか」
考えている暇は、ない。
鎌が、再び振り上げられる。
成実は、震える手で
ブレスレットの溝に、メダルを押し込んだ。
――カチリ。
小さな音。
次の瞬間、
橙色の光が弾ける。
光は、成実の身体に沿って流れ込む。
体温のすぐ外側に、
もう一枚の皮膚が重なったような感覚。
息を吸うたび、
胸元の光が、わずかに揺れる。
完全ではない。
頭部は覆われず、
ラインも定まらないまま、
不安定に形を保っている。
足元が、少しだけ軽い。
けれど――
強くなった実感は、ない。
みかんリーパーが、立ち止まる。
「媒介を確認」
淡々と、そう告げる。
鎌が、振り下ろされた。
成実は、腕を上げた。
――衝撃。
受け止めきれず、
地面を転がる。
割れる音はしない。
代わりに、身体の外側で、
光が一瞬、乱れた。
息が、詰まる。
(……無理だ)
膝に、力が入らない。
それでも、
畑の向こうに目を向けた。
家の屋根。
灯り。
「……勝手に、
終わらせないでよ」
成実は、立ち上がった。
拳を握る。
橙色の光が、
一瞬だけ、強く脈打つ。
だが、それ以上は続かない。
「……未成熟」
みかんリーパーが言う。
「刈る段階ではない」
鎌が、下ろされる。
「回収効率が悪い」
「次の地点で行う」
死神の影は、
畑の奥へと溶けていった。
静けさが、戻る。
残ったのは、
荒れた畑と、立ち尽くす成実。
光が、ゆっくりと消えていく。
ブレスレットの熱も、引いた。
「……負けた」
声にすると、
悔しさが胸に落ちた。
でも。
畑は、すべて奪われてはいない。
成実は、
手首のブレスレットを見つめた。
(……一人じゃ、無理)
(でも……)
風が、みかん畑を渡る。
「……逃げなかった」
それだけは、
確かだった。
後半へ続く




