第1話 集められた五人 前半
三ヶ日駅前のロータリーは、
いつ来ても、
変わらない静けさがある。
自転車を押して歩く橘花成実は、
無意識にスマートフォンを見ていた。
通知は、ない。
(……やっぱ、何もないよね)
そう思った瞬間だった。
「橘花成実さん」
呼ばれて、
思わず立ち止まる。
振り返ると、
少し離れたところに、
スーツ姿の女性が立っていた。
年齢は分からない。
若すぎず、
かといって威圧感もない。
「……はい?」
名前を呼ばれる理由が、
一つも思い当たらない。
「少し、お時間いいですか」
疑問形だけど、
断れる雰囲気じゃない。
「今は難しいです……」
成実が言いかけると、
女性はそれ以上踏み込まなかった。
「承知しています」
そう言って、
駅前に停められた一台のワゴン車に視線を向ける。
白でも、黒でもない。
会社名も、
ロゴも、
何も書かれていない。
「今から清水まで、送ります」
「……え?」
思わず声が裏返る。
「無理です。
ここ、三ヶ日ですよ?」
女性はうなずいた。
「分かっています」
分かってるなら、
なおさら意味が分からない。
「話を聞くだけで構いません」
「聞くだけ、って……」
成実は、自分の言葉が弱くなるのを感じていた。
「帰りも、
ここまでお送りします」
約束する、
とも言わない。
ただ、
事実のように告げるだけ。
成実は、
自転車のハンドルを握りしめた。
(……変なの)
でも。
断れば終わる話じゃない。
そう、成実は直感していた。
「……一回だけですよ」
自分でも、
なぜそう言ったのか分からない。
女性は、
「ありがとうございます」とも言わず、
後部座席のドアを開けた。
浜名湖の近くで、
車は一度、止まった。
窓の外に広がる水面を見て、
成実はここまで来てしまったことを実感する。
ドアが開き、
若い男が乗り込んできた。
年は、自分より少し上。
無言で会釈するだけで、
名前も名乗らない。
「……あんたも?」
成実が聞くと、
男は短くうなずいた。
「……連れてかれる感じ?」
「……たぶん」
それ以上、
会話は続かなかった。
車は再び走り出す。
牧之原に入った頃、
今度は畑道で止まった。
帽子をかぶった男が、
後部に乗り込んでくる。
少し年上。
いや、
だいぶ上かもしれない。
男は、
車内を一度だけ見回してから、
低い声で言った。
「……説明、あったか?」
成実と、
隣の青年が、
同時に首を振る。
「……そうか」
それだけ言って、
男はシートに深く座った。
それ以上、
何も聞かなかった。
⸻
ワゴン車が走り出してしばらくしてから、
成実は、
車内に音があることに気づいた。
ラジオだった。
軽いトークと、
短いジングル。
K-MIX。
(……あ、これ)
聞き慣れた音だ。
友達の家でも、
親の車でも、
どこかで流れている。
特別じゃない。
だからこそ、
ここがまだ“静岡の中”だと分かる。
成実は、
それだけで少し肩の力が抜けた。
隣のいずみは、
肘を窓枠に置いたまま、
外を見ている。
ラジオの話題には、
一切反応しない。
興味がないというより、
聞いていないわけでもなさそうだ。
後部座席のリョクは、
低く息を吐いた。
運転席の女性が、
ラジオの音量を
ほんの少しだけ下げる。
完全には切らない。
成実は、
その動作を横目で見て、
なぜか納得した。
(……これ、
黙らせるためじゃないんだ)
静かにしすぎると、
逆に不安になる。
だから、
K-MIXは流れたまま。
天気の話。
交通情報。
どうでもいい軽口。
それらが、
ずっと道中に流れていた。
清水ICを出てしばらく経った頃
成実は、
窓の外に広がる倉庫の灯りを見て、
「あ、清水だ」と思った。
ラジオが、
その認識を後押しする。
——ちゃんと、
知っている場所に来ている。
なのに。
ワゴン車は、
港湾地区の奥へと入っていく。
街灯の間隔が、
少しずつ広がる。
ラジオの音だけが、
相対的に大きくなった。
成実は、
無意識に音量つまみを探して、
やめた。
誰も、
それに触れない。
やがて、
車が減速する。
その瞬間。
ラジオが、
ふっと途切れた。
トンネルでも、
ノイズでもない。
——切られた。
成実は、
何も言わなかった。
けれど、
胸の奥で、
何かが切り替わったのを感じた。
(……ここから先は、
“いつもの静岡”じゃない)
車は、
静かに止まった。
16時ごろの由比港で、
海老原桜は、
最後の発泡箱を所定の位置に戻し、
手袋を外したところだった。
波は穏やか。
風も、強くない。
——それなのに。
胸の奥が、
微妙に落ち着かない。
理由は分からない。
ただ、
今ここで終わる気がしなかった。
「……?」
港の入口に、
見慣れない車が止まっている。
作業車でも、
観光客でもない。
無地のワゴン車。
そこから、
スーツ姿の女性が降りてきた。
歩き方が、
港の足場に慣れている。
「海老原桜さん」
名を呼ばれ、
桜は一瞬だけ身構えた。
「……はい」
「少し、お時間よろしいでしょうか」
丁寧だが、
遠慮はない。
「今は——」
断ろうとした桜の視線が、
無意識に海へ向いた。
何も起きていない。
いつもの由比港だ。
それでも、
今日じゃないと駄目な気がした。
「……どこですか」
自分でも驚くほど、
声は落ち着いていた。
「清水です」
近い。
逃げるほどでもない。
「帰りは?」
女性は、
即答した。
「帰りも、ここまで送ります」
約束ではない。
念押しもしない。
ただの、条件提示。
桜は、
少しだけ考えてから、うなずいた。
「……話だけですよね」
「はい」
それだけで、
女性は車のドアを開けた。
桜は、
一度だけ港を振り返る。
海は、
何も変わっていなかった。
それが、
なぜか少し怖かった。
清水港の路地は、
夕方になると影が長くなる。
湊一護は、
店の裏口で暖簾を外していた。
「……?」
視線の先に、
さっきから止まっている車がある。
港関係者の車じゃない。
観光客でもない。
その横に立つ男が、
こちらを見ていた。
スーツ姿。
年齢は分からない。
「湊一護さん」
名を呼ばれ、
一護は暖簾を畳む手を止めた。
「……はい」
「少しだけ、お話を」
「今、閉店で——」
「承知しています」
遮らない。
急かさない。
「場所は、
この近くです」
男は、
清水港の奥を指した。
遠くはない。
歩いても行ける距離。
「……理由は?」
「現地で説明します」
警察でも、
役所でもない。
それでも、
港の名前と、自分の名前を知っている。
一護は、
短く息を吐いた。
「……十分だけですよ」
男は、
「承知しました」とだけ答え、
車の方へ歩き出す。
一護は、
暖簾をしまい店を閉じた。
(呼ばれた、
って感じじゃないな)
ただ、
確かめに行くだけ。
そう自分に言い聞かせて、
後を追った。
由比港を出た車は、
清水港の外れで一度止まり、
そのまま倉庫街へ入った。
海老原桜は、
助手席で窓の外を見ていた。
近い。
来ようと思えば、
いつでも来られる距離だ。
それでも。
車が奥へ進むほど、
胸の奥が重くなる。
「……ここです」
運転席の女性が言う。
桜は、
頷いてドアを開けた。
夜の空気が、
一気に流れ込む。
目の前には、
大きな倉庫。
人気はない。
(……話だけ、
のはずだったよね)
そう思いながら、
桜は車を降りた。
少し遅れて、
倉庫の反対側から
足音が聞こえた。
舗装された地面を踏む、
落ち着いた歩き方。
湊一護だった。
清水港から、
歩いて来られる距離。
店を閉めて、
そのまま来た。
誰かに連れられたわけじゃない。
それでも。
「……ここか」
立ち止まった瞬間、
一護は理解した。
——偶然じゃない。
二台の車が、
倉庫の前に止まっている。
片方から、
成実、いずみ、リョク。
もう片方から、
桜。
少し離れた場所から、
一護。
五人が、
自然と同じ場所に立つ。
誰も、
名乗らない。
誰も、
理由を聞かない。
ただ、
互いを見ている。
成実は思った。
(……あたしだけじゃ、
なかったんだ)
一護は、
それを確かめるように言った。
「……説明、
受けてる人いる?」
誰も、
答えない。
それで、十分だった。
その背後で、
低い駆動音が鳴る。
——ギ……
——ギギ……
倉庫の壁に、
一本の線が走る。
扉が、
ゆっくりと開き始める。
中は、
まだ見えない。
ただ一つだけ、
はっきりしていた。
ここまで来て、
何も起きないわけがない。
五人は、
誰一人、動かなかった。
後半につづく
5人のプロフィールを紹介します。
名前で誰が何色になるのか想像できるかもしれないですがまだ秘密です。(笑)
湊 一護
年齢:27歳
出身:静岡市清水区
職業:寿司職人
人物像
・寡黙だが芯が強い
・包丁を握る集中力と判断力は一級品
・年下に対しては面倒見が良い
茶谷 リョク
年齢:30歳
出身:牧之原市
職業:茶畑経営
人物像
・穏やかで落ち着いた性格
・自然と向き合う生活で培った忍耐力
・感情を表に出しにくいが仲間想い
橘花 成実
年齢:18歳
出身:浜松市三ヶ日町
職業:高校生/みかん農家手伝い
人物像
・素直で前向き
・年齢以上に責任感が強い
・努力を努力と思わないタイプ
宇那木 いずみ
年齢:19歳
出身:湖西市
職業:うなぎ養殖業
人物像
・口数は少なめ
・我慢強く、粘り強い
・一度決めたことは最後までやり切る
海老原 桜
年齢:24歳
出身:静岡市清水区
職業:由比港勤務
人物像
・明るく社交的
・現場対応力が高い
・責任感と行動力を兼ね備える




