4:抜け道を探る
連休が終わり、文化祭の準備も大詰めになってきた頃。周りから賑やかな声が聞こえてくる生物室の中で、僕は日の届かない長机でハーブを詰めたサシェを縫いながら誰とも無しにつぶやいた。
「家を捨てるというのは、悪いことなのでしょうか」
突然のことだったのだろう、窓近くにある日の当たる長机で水海道さんが作った折り本を折っていた佐貫君が声を上げておどろく。
「突然なに言ってるんです?」
いかにもとんでもないことだと言いたそうな佐貫君を片手で制して竜ケ崎君が言う。
「お前の家がめんどくさいのは知ってるけど、具体的にどんな状態なのかは知らないから、俺はなんとも言えないな」
佐貫君が説明を求めるような目で僕と竜ケ崎君を見る。けれども僕は、家のことを話していいのかどうか判断しかねた。
一方、向かいに座った小絹君が文化祭の展示用に書いた小論文をファイルにまとめながらこう言う。
「自分が自分であるために、家を捨てた方がいいこともあるだろうな。悪いこととは言い切れない」
おそらく、小絹君も自分の家に思うところがあるのだろう。その言葉のあと、手を止めてすこし思いにふけっているようだった。
「松戸先輩も小絹先輩も、家を捨てるなんてなに考えてるんですか!」
食いつくようにそう言ってくる佐貫君は、きっと家族に恵まれていて、平凡な家庭なのだろう。僕や小絹君の家の事情など想像もできないようだ。もっとも、僕たちは家の事情をまだ佐貫君に話していないのだからしかたがないのだけれど。
窓から差し込む光を背負い、怒ったような顔をする佐貫君を不安そうにちらりと見てから、水海道さんが折り本を折る手を止めて、にこりと笑って訊ねてくる。
「もしかして、松戸先輩も留学するんですか?」
それを聞いて佐貫君ははっとした顔をしてため息をつく。
「ああ、なんだ。留学するかもって話ですか?
びっくりした」
佐貫君が落ち着いて折り本を折りはじめたのを見てから、僕は水海道さんに返す。
「一応、いったん国内の大学に進学する予定ではありますが、そのあと留学できたらとは思っています」
小絹君がちらりと僕を見てから伺うように竜ケ崎君のことを見る。その視線に気づいたのか、竜ケ崎君はマスコットを縫っている手元に視線を落としてから口を開く。
「それだと、学生のうちからお金貯めなきゃだろ。なにかしらで困ったら俺を頼ってくれよ」
彼の言う、なにかしら。という言葉にはさまざまな意味が含まれているようだ。それをわかった上で、僕はくすくすと笑いながら言う。
「僕が困ったとき、助けてくれるんですか?」
「おうよ、まかせろ」
自信たっぷりの竜ケ崎君の言葉にひどく安心する。彼の助けがあるなら、僕は家から逃げるための決心もできる気がしたし、行動に移すための勇気を得られる気がした。
「でも、バイトで留学費用まかなえます?」
僕たちのやりとりを聞いて難しそうな顔をした佐貫君の言葉に、はっとした水海道さんも訊ねてくる。
「そうですよね! もしかして松戸先輩も働きながら夜間学校ですか?」
正直なところ、それも考えはした。けれどもここで牛久先輩と同じ手を取ったら両親に怪しまれる。なにより働きながら大学に通うなどと言ったら、僕の生活と健康を心配してくれている上に、家の面子が許さないと思っている両親が猛反対するだろう。現状、自力でお金の工面をできない僕が選べる道は、両親が納得する範囲で、なるべく家から遠い大学にすることくらいだ。僕のことを大切にしてくれている両親の気持ちを利用する形になるけれど、これ以外にいい方法が浮かばない。
そんな考えを隠して、僕は笑いながら水海道さんに返す。
「さすがに働きながら大学に通うのはたいへんですからね。夜間学校にはしませんよ」
そこでふと、佐貫君がまた手を止めて、真剣にマスコットを縫っている竜ケ崎君に訊ねる。
「そういえば、松戸先輩もって言ってましたけど、他に夜間学校に行く先輩いるんですか?」
その問いに、竜ケ崎君は生物室の前方、正確には芸術棟の方を指さしながら答える。
「美術科の先輩で、夜間学校に通ってる人がいるんだよ。その人もいずれ留学するって言っててさ」
「そうなんですか。その人も生物部だったんですか?」
疑問が尽きないようすの佐貫君に、今度は小絹君が返す。牛久先輩のことを思い出してすこし動揺したようだけれども、平静を装っている。
「生物部員ではなかったが、なにかと水海道がお世話になった人なんだ」
「ああ、なるほど」
なぜ水海道さんが美術科の先輩のお世話になっていたのかまではわからないようだけれども、佐貫君は納得したようだ。理由については、おそらくあとで水海道さんにでも訊くだろう。
小論文をまとめる手を動かしはじめた小絹君が小声で僕に言う。
「上手く立ち回れ」
僕は黙って頷く。大学に入って留学のめどが立つまでは、うまいこと両親を誤魔化し続けなくてはいけない。
僕も、牛久先輩や花恵さんのように強くならねば。
文化祭も終わり、校内を行き交う生徒達の中に半袖の人も混じるようになった頃、三者面談の時期が近づいてきた。ここにきて僕は困ってしまった。まだ行きたい大学を決めていないのだ。
自分から行きたい大学を指定しないと、三者面談の時に両親が勝手に都合のいい大学を選んでしまうだろう。それは避けたかった。
なんとか、少しでも両親の手が届きにくいところで、両親が納得するようなレベルの学校はないか。そんなことを考えながら、まぶしい光が差し込む生徒ホールの前を通り過ぎ生物室に向かう。生物室のドアを開けると、窓辺では水海道さんと佐貫君が青々としているミントやレモンバームの世話をしていた。
清々しい香りを吸ってから挨拶をし、生物室の中に入る。やはり、家にいるときよりもここにいるときの方が安心すると実感した。
ふと、薄暗いいつもの席を見ると小絹君が本を開いたまま硬い表情で長机の前に座っている。
「どうしたんですか?」
僕がそう訊ねると、小絹君は額を押さえてため息をつく。
「もうすぐ三者面談だろう?
どうやって母親をいなすかで悩んでいる」
「ああ、なるほど……」
どうやら小絹君も僕と似たようなことで悩んでいるようだ。たしかに、小絹君の家もいろいろと面倒なことがあるからたいへんだろう。彼自身、あまりその話はしたがらないのだけれど。
小絹君が顔を上げて僕に訊ねる。
「お前も暗い顔をしているが、なにかあったのか?」
小絹君も青い顔をしているのに。そう思いながら向かいの椅子に座り、僕もため息をつく。
「僕も三者面談のことで悩んでいます」
「どの大学に行くか、決めたのか?」
その問いに、僕は黙って頭を横に振る。
「希望の学科はあるのですが、具体的にどの大学かまでは決めていないんです。
でも、早く志望校を探さないと……」
思わず焦りが滲む。僕が早く志望校を探さないといけない理由を、小絹君ならわかってくれるはずだし、どんな条件の大学を望んでいるかもわかるだろう。けれども小絹君はその条件を満たした大学を探すことはできない。なぜなら、小絹君もまた地元に縛られているものだからだ。
僕と小絹君で暗い顔をしていると、生物室で飼っている亀の世話を終えた竜ケ崎君が手を拭きながらやってきて、陰のかかる小絹君の隣の席に座る。
「なんだ、大学探しで困ってんのか。
俺も探すの手伝おうか?」
その言葉に、僕と小絹君は顔を上げて日向の名残がある竜ケ崎君の方を見る。
「松戸が探してるのは、ひとり暮らしするのに家からアクセスしづらい学校だろ?
どういう条件ならアクセスしづらいか教えてくれ」
竜ケ崎君の問いに、僕は家から徒歩と自転車で行ける距離にある駅を挙げてから答える。
「この駅から乗り換えが二回以上ある場所が良いです」
すると、竜ケ崎君は難しい顔をする。
「乗り換え二回以上かぁ。たしかに、たまに電車で学校来るとき、乗り換えが二回以上あって心底だるいもんなぁ。
でも、その駅から乗り換えが二回以上ある場所ってどう探せば良いんだ……?」
うめくようなつぶやきに、小絹君が生徒手帳を出して、挟んでいた紙を取り出す。その紙には絡み合った色とりどりの線が引かれている。
「東京近郊の路線図だ。これを見ればわかるんじゃないか?」
差し出された路線図は小さくて複雑だ。竜ケ崎君は目を細めてじっと路線図を見ながら言う。
「これ、コピーとらせてもらっていい?」
「かまわない。それだと小さいだろうし」
小絹君の返事を訊いて、あとでちょっと職員室に行ってくる。と言って竜ケ崎君は路線図を自分の生徒手帳に挟む。
「今度東京のばあちゃんち行ったときに探してみるよ。なんなら駅員さんにも訊いてみる」
「あの、お願いできますか……?」
震える声で訪ねる僕に、竜ケ崎君はにっと笑う。
「まかせろ。東京の地の利は俺の方が多少はある」
それから、竜ケ崎君は僕から希望学科を訊いてメモをし、小絹君にも訊ねる。
「小絹の大学も探しとく?」
すると、小絹君は青い顔で頭を横に振る。
「僕はもう、志望校は決めてるんだ。
あとは、母親を納得させるだけだから……」
本を持つ手が震えている。こんなに緊張するなんて、小絹君は一体どこの学校に行くつもりなのだろう。疑問に思ったけれども、その疑問もすぐに消えてしまうくらい、僕は自分のことで手いっぱいだった。
今はただ、竜ケ崎君を頼るしかない。




