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グレートヒェンの祈り  作者: 藤和
第1章 メフィストの呪縛
3/4

3:静かな駆け引き

 桜が散り、今年の新入生も徐々に高校生活に慣れてきた頃。卒展以来両親からも牛久先輩の話は全く聞かなくなり、ほんとうに遠い人になってしまったように感じていた。今でもありありと思い出せる強い瞳。あの強さで、どこまででも駆けてゆくのだろう。

 一抹の寂しさを感じながらも日々は過ぎていく。生物室の窓から見える土手の上で、山羊が草を食んでいるのを眺めていると、僕の日常は今まで通り続いていくんだと言われているような気になった。

 そう。たしかに去年までと同じ日々が続いていた。授業の内容は変わっていくけれど、放課後の部活の時間は穏やかで、家ではなにかと縛られることの多い僕の気持ちをほぐしてくれていた。今年もなんとか新入生の部員も入り、なんとか安泰と言ったところだ。

 五月に入ったら文化祭の準備だ。連休前に生物部のみんなでどんな出し物をするか話し合う。

「俺、大腸菌のマスコット作って売るー」

 意気揚々とそう言う竜ケ崎君に、新入生が意外そうに訊ねる。

「え? 竜ケ崎先輩、裁縫できるんですか?」

「こう見えて家庭科の成績はいいのだぜ」

 竜ケ崎君の返事に、新入生は伸びをしながら辟易したような顔をする。

「うわー、俺は家庭科全然なんだよな」

 助けを求めるような態度の新入生に、小絹君が釘を刺す。

佐貫(さぬき)、家庭科が苦手でもボタン付けくらいはできるようになったほうがいいぞ。その方がなにかと役に立つ」

 小言めいたことを言われた新入生の佐貫君はふるふると頭を振って、水海道さんの方を見る。水海道さんは一生懸命に手を伸ばして、佐貫君の頭をぽんぽんと叩いた。

「できないんだったら、一緒に練習しましょう!」

 いつものように明るい笑顔で佐貫君を励ます。僕たちのことを頼ってばかりのようにみえた水海道さんも、いざ後輩ができてみてわかったけれど、だいぶ面倒見が良い。

「う……うーん、水海道先輩がそう言うなら、一緒にがんばってみます」

 水海道さんと目を合わせたり目をそらしたりしながら照れたようにそう返す佐貫君に、竜ケ崎君がにっと笑ってちいさな裁縫セットを出す。

「まずは大腸菌マスコットからやってみる?」

「そもそも大腸菌マスコットなんて作って売れるんですか? 需要なさそうですけど」

 訝しげな佐貫君の言葉に、小絹君は理解しがたいといった顔で言う。

「僕もそう思うのだが、去年なぜか謎の好評だった」

「ええ……」

 困惑する佐貫君の気持ちもわかる。なぜ去年あのマスコットが完売したのか、僕にもわからないのだ。戸惑う佐貫君をよそに、竜ケ崎君が小絹君と一緒に家庭科の教科書を見て、改めて大腸菌の写真を確認している。僕もそれに加わると、水海道さんはまだ理解しがたいといったようすの佐貫君の頭を撫でている。あたたかくて穏やかな時間だ。

 ふと時計を見る。生物室を出るいつもの時間よりもだいぶ早いけれど、僕はざわめく気持ちを抱えながら鞄を手に取って立ち上がる。

「話がまとまっていないところ申し訳ないのですが、今日は家の用事があるので早めにお暇しますね」

 すると、小絹君がなにかを察したように言う。

「ああ、明日から連休だから面倒ごとがあるんだな」

「その通りです」

 小絹君と僕のやりとりを聞いて、他の三人はきょとんとしている。なので、僕は日が傾いていく中にこりと笑って軽く説明する。

「明日から親戚がうちに集まるので」

 それを聞いた佐貫君が納得したように頷く。

「それだと準備とかたいへんですよね。がんばってください」

 きっと、にぎやかで楽しい集まりを想像しているのだろう。佐貫君は明るく笑っている。その声に気が重くなる。

 続いて、竜ケ崎君がいつもみたいに笑って、でも目は笑わないまま口を開く。

「なにかあったら俺のところに来い」

 佐貫君は僕の事情を知らないだろうけれども、竜ケ崎君は家の集まりがどんなものかわからないながらに、僕にとって歓迎しがたいものだというのはわかってくれているようだ。

「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」

 軽く会釈をして冷たい廊下に出ようとすると、水海道さんが不安そうな目で僕を見ていた。


 連休に入り、入れ替わり立ち替わり親戚が僕の家にやってきていた。住んでいる土地は近いけれども縁は遠い親戚や、土地は遠いけれども縁は近い親戚など、それぞれに日を変えて連日やってきている。

 その度に、お母さんは振る舞うご馳走の準備と出すお酒の手配をする。お母さんが作る料理だけでは足りずに、寿司屋の出前も頼んでいるし、酒屋さんはケースに入った酒瓶を持ってくる。あまりにも忙しそうなので僕も手伝おうかとお母さんに声をかける。

「僕もなにかやりましょうか?」

 その問いにお母さんはせわしなくしながらもにっこりと笑う。

「大丈夫。こういう準備は親の仕事だからね。(いつむ)はゆっくりしてて」

 そのやりとりを聞いてお父さんは渋い顔をする。

「お前はこの家の跡取りなんだから、跡取りらしく堂々としていろ。女の仕事を男のお前がやる必要はない」

 女の仕事、というお父さんの言い分には納得しかねるけれども、酒瓶を運んだりたくさんの料理が盛られて重くなったお皿を運んだりといったことはお父さんがやっている。なんだかんだでお母さんのことを気遣っているのだろう。親戚が家に来るのは気が重いけれども、お父さんとお母さんがお互いを気遣っているさまを見るとなんとなく安心する。

 親戚が帰ったあとの片付けも、お父さんとお母さんがやる。それは僕も手伝うのだけれど、ふと空のお皿を落として割ってしまった。

「あっ、すいません」

 僕がおどろいてその場で動けなくなっていると、すぐさまにお父さんが声を飛ばしてくる。

「愛、そこから動くな」

 じっとその場に立っていると、お父さんが割れたお皿をほうきとちりとりで集めて、ガムテープで床を掃除する。それから、僕の足下を見て厳しい声で言う。

「怪我はないか?」

「えっと、痛いところはないです」

「そうか、それならいい」

 割ってしまったお皿は現代物とはいえ伊万里焼の良いものだ。そのお皿の残骸を、お父さんはためらいなく新聞紙でくるんでガムテープで巻く。そこへ、台所仕事をしていたお母さんがやって来くる。

「お父さん、片付けなら私がやったのに」

 その言葉に、お父さんはぶっきらぼうに返す。

「お前が来るのを待って愛が怪我をしたらどうするんだ。この子は迂闊なんだから。

 それに、こういう危険なものを片付けるのは女のやることじゃない」

 男として、女として、長男として。お父さんはことあるごとにそう言うので家を重んじる古い考えの持ち主だというのはわかるのだけれど、その奥にはたしかに家族に対する気遣いがあるのもまじまじとわかる。

 それでも、お父さんが重んじる家というものを重苦しく感じるのも事実だ。

 親戚を家に迎えるたびに緊張する。なにか下手なことをやらかして家の格を落とすようなことがあってはいけないし、万が一親戚が変な気を起こして僕が誘拐されるようなことがあったら、自決するようにと言われているのだ。

 親戚を迎える前の日に、お父さんから何度も腹を切るときの方法や心得を教え込まれる。それ自体はもう昔からのことで慣れているけれども、いざその時か来たらと思うとぞっとする。

 緊張の中連休を過ごし、最終日に東京に住んでいる親戚が従姉妹を連れてやってきた。僕はこの親戚と従姉妹とは仲がいいのだけれども、お父さんは少々この親戚が気に入らないようだ。気に入らない理由は明白。妹である叔母さんがお父さんの言うとおりに動かないからだ。

 それでも、東京に土地を持ち、僕と同じようにこの家の本家の血筋から近いこの親戚を無碍にはできない。無碍にはできないというより、なんとかして取り込みたい。そういう考えが両親から感じられた。

 大きな窓から日が差し、そこから見える庭の木には花が咲いている。その花はしおれかかっていて今にも散りそうだ。部屋の中の空気はあたたかいけれど、まとわりつくように重い。叔父とお酒を飲んでいるお父さんが従姉妹に話しかけろと目で訴えてくる。別にそれに応えるわけではないのだけれども、僕は叔母の影のようにして座っている従姉妹に目をやって話しかける。

「そういえば、花恵(はなえ)さんももう高校生ですよね。学校はどうですか?」

 その問いに、従姉妹の花恵さんはお父さんをちらりと見てから僕を見て、お茶を飲みながらぼんやりと返す。華奢で楚々と振る舞うその姿は、極力自分の存在感を消そうとしているかのようだ。

「まあ、ぼちぼちかな。頼りになる先輩もいるし」

「そうですか。それはよかったです。

 中学の時仲のよかったお友達とは会えていますか?」

「会えてるもなにも、同じ学校だよ。部活は別々だけど」

 相変わらず花恵さんの本心は読めない。彼女はすっかり本心を隠すのに慣れてしまっているようだった。それも仕方ないだろう。花恵さんが親戚の集まる場で自分の好きなように振る舞えるわけはないのだ。理由は牛久先輩が自分から僕との縁談を断れなかったのと同じ。女だからだ。しかも都合の悪いことに、花恵さんは僕と同世代の親戚内で唯一の女性だ。彼女が誰と婚姻を結ぶかで親戚内の力関係と財産の動きが変わる。花恵さんの両親はともかく、他の親戚がそんな花恵さんに勝手な振る舞いを許すはずがない。

 僕と花恵さんで当たり障りのない話をしていると、お父さんがにこにこしながら僕たちに言う。

「愛も花恵ちゃんもそんなに仲がいいなら、いっそのこと結婚すればいいのになぁ。

 どっちも年齢的にそろそろ大丈夫だろう」

 またこの話か。僕は心の中でため息をつく。

 お父さんは昔から、なんとかして僕と花恵さんの間で婚姻を結ばせようと口を出してきている。お母さんとしては牛久先輩の方が好ましかったようだけれども、それこそ、お父さんは花恵さんを正妻にして牛久先輩を二号にできればしめたものと思っていたのだろう。

 お父さんがビールを飲んで自慢げに言う。

「私が言うのもなんだけれどね、愛は礼儀正しいし優秀だし、花恵ちゃんの旦那として文句ないだろう?」

 室内の空気が張り詰める。時計の音が耳につく。その中でお父さんは顔を赤くして酔っているように見えるけれど、目は真剣だ。実際には意識をしっかりと持っているのだろう。決して酔った勢いではないことは鈍い僕にもわかる。

 自分が言い返せる立場でないことがわかっているのだろう。花恵さんは曖昧に笑っている。もちろん僕も、言い返せる立場ではなかった。

 賑やかなのに重い空気の中、僕と花恵さんが言葉を詰まらせていると、叔父さんが陽気に笑ってお父さんの肩を叩く。

「いやいや、たしかに愛君はいい子だけれどね。まだ未成年だしその話は早いんじゃないかなぁ」

 お父さんの目が鋭くなる。それを察したのか、すかさず叔母さんがおっとりと口を開く。

「でも、仲がいいのは事実だし、ちょっとふたりきりにさせてみましょうか。兄さんどう?」

 普段は僕と花恵さんの仲を無理には深めようとしないのに、突然の言葉だ。その言葉の裏が読めないながらも叔母さんの提案には納得できたのだろう。お父さんの目つきがすこし緩む。

「それじゃあ、愛と花恵ちゃんは愛の部屋でゆっくりすればいい。大人の相手ばかりもつまらんだろうしね」

 その言葉になんとか安心する。従姉妹とはいえ女性を自室に入れるのはすこし気恥ずかしいけれども、お父さんに絡まれ続けるよりはましだ。

「それじゃあ、行きましょうか」

 僕が立ち上がって花恵さんに声をかけると、花恵さんもにこりと笑い素直に頷いて立ち上がる。僕の手を取っているのは、お父さんの目を考えてのことだろう。

 居間を出た瞬間、お母さんの声が聞こえた。

「そういえば、(いさお)君はどうしたんですか?」

 功というのは僕の従兄弟で花恵さんの兄だ。たしか、今年から専門学校に通っているのだっけ。

「功は要領が悪いから、学校の課題を貯めちゃって今頃家でがんばってますよ」

 叔母さんが笑いながらそう言う声が聞こえる。功さんは人当たりがいいし人懐っこいので人望があるけれど、正直言って優秀ではない。それになより、男性だから僕と婚姻を結ぶことはできない。だから、お父さんもお母さんも功さんに甥であるということ以上には興味がないようだ。叔父さんと叔母さんは功さんに好きなことをさせているし、それを誰も邪魔しない。

 そんな功さんが、僕は羨ましかった。それはおそらく、花恵さんも同じだろう。

 二階に上がり、静まりかえって薄暗い自室に花恵さんを招き入れる。一階の居間の声はここまでは届かない。

「どうぞ、おかけください」

 僕が花恵さんに椅子を勧めると、花恵さんはなにも言わずに座る。僕はベッドに腰掛け、本棚に隠し持っている聖書に目をやる。

 それに気づいた花恵さんも同じところを見て訊ねてくる。

「教会には行けてるの?」

 僕は黙って頭を横に振る。花恵さんはふぅん。と一言漏らしたあと、言葉を続ける。

「伯父さんたちから文句が来るから?」

 今度は黙って頷く。花恵さんが言うとおり、お父さんとお母さんが反対するので、信仰しようと決めた神様の家に行くこともままならないのだ。

 花恵さんが僕を見る。すこし人を軽蔑したような、僕は見慣れている素の表情だ。

「愛お兄ちゃんは、このまま伯父さんの言いなりになるの?」

 その一言に、僕はため息をつく。

 別に、お父さんの言いなりになりたいわけじゃない。でも、言いなりにならないためにはどうしたらいいのかわからないのだ。お父さんもお母さんも、僕のことを大切にしてくれているのはわかる。きっと息子として愛してくれているのもわかる。けれども、旧来の家というものに縛られているお父さんとお母さんが僕に要求してくるものを飲むわけにはいかない。僕だって未来と信仰の自由が欲しいのだ。僕がお父さんとお母さんを大切に思う気持ちに偽りはないけれど、だからこそ僕は言いなりになってはいけないと思った。でもどうしたらいいのかはわからない。今はまだ。

「花恵さんはどうするんですか?」

 伺うように訊ねると、木のざわめきが聞こえる中花恵さんは毅然と答える。

「表面上は伯父さんの言うことを聞く。

 でも、私が伯父さんの言うことを聞くのは、伯父さんを騙そうっていう下心があるから」

 ふと、牛久先輩のことが頭に浮かんだ。今の花恵さんからは、牛久先輩と同じような強さを感じたのだ。

「私が言うことを聞くのは、大学を出るまでだけどね」

 花恵さんが射貫くような目でカレンダーを見る。そして銃を撃つ仕草をした。

「私は私を縛るやつらに復讐してやる」

 花恵さんの憎悪の籠もった言葉に身震いすると同時に、大学を出るまでという、その一言を聞いて胸がざわめく。おそらく、僕は大学に行かせてはもらえるだろう。そして、大学を卒業するまでになにかしら手立てを打たないと、僕はこの家の言いなりになったままになってしまう。

 僕のタイムリミットは、長くて五年だ。

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