第7話 平成の里の秘密その2
「俺は歴史の専門家、ショウは索敵、諜報、戦闘のスペシャリストだった。偶然とはいえ最高の組み合わせだった。」
「まず、ショウに近隣の様子を探ってもらったよ。数時間後戻ってきたショウはこう言った。」
『気をしっかり持って聞けよ。どうやらここは過去の時代だ。遠目から探っただけだから詳しい時代まではわからんが、江戸以前で間違いないだろう。』
「そう言われても実は不思議と驚きは無かったな。
もうこの雰囲気だけで只事でないことはわかっていたし、ショウを待つ間タイムスリップという事も十分考えていた。」
同じタイムスリップ経験者ながら、三太夫の語りは驚くべき内容だった。
僕らはこの世界に来た時から、未来の人が迎えに来てくれて、同じ境遇の仲間が暮らす集落に迎え入れられただけで、具体的な苦労は全く無かった。
だが、三太夫のように最初に来た人は現実の把握から始まり、この世界で生きるための地盤作りから入らなければない。
衣食住何もかもゼロからだ。
この時代、同じ日本人と言えないくらい人々の言葉も風習も価値観も違う。
三太夫のようにそうした時代の風習や言葉に精通した人がいなければ、この時代の人と話もできないだろう。
応仁の乱以来100年以上、戦に明け暮れてる時代の人々である。不審な人の命を奪うことになんの躊躇もない。
そんな中に平和ボケの現代人が、突然放り込まれることを想像すると身震いする思いだった。
三太夫は続けた。
「まず、自分も集落の近くまで連れていってもらい、ショウの持っていた双眼鏡で集落を覗いた。
なるほど、服装、住居の作り、刀の形状、農耕具などから恐らく戦国期と見当がついた。
戦国ならば専門なので、言葉は恐らく理解できるだろうが、現代の格好はまずい。」
「それにな、野良仕事が当たり前のこの時代の人に比べて、色が白く筋肉も付いてないひ弱な人間など怪しさ満載だからな。
しばらく肌を焼き、刈り上げてた髪の毛も蓬髪になるくらいまで山奥に隠れていたよ。
ショウに教わって筋トレもしたが、その点は焼石に水だっだな。」
クスッと思い出し笑いをしながら、三太夫はどこか懐かしそうだった。
それはそうだろう。もう25年前の話だ。
「その点ショウはレンジャーで鍛えた体だったからそうした苦労はなかったが、言葉はわからなかったから、この時代の人間の前では口の聞けぬ男で通すことにした。」
「それまで着るものや食べ物はどうしてたんですか?」
僕が問うと三太夫は、「ふー」と小さく嘆息し、視線を落とし軽く手を合わせる仕草をしながら呟いた。
「…奪ったんだよ」
「この時代のものを何も持たず、放り込まれたんだ。溶け込むためには誰かのものを奪うしかなかった。」
三太夫の顔には苦渋の色が浮かんでいる。
「無論そういう時に俺は何も役に立たなかった。汚れ仕事は…全てショウが担ってくれた。
あいつも国を守る為、身につけた高度な技能を他人から奪い取るために使うのは不本意であったろうがな。俺たちも生きるために必死だった。」
「近くの集落で盗みを働いては、今後降りていく時盗んだものを身につけているとすぐバレるから、ショウにはなるべく遠くの集落へ行って事を成すよう頼んだよ。
アイツは黙って頷き山を降りて行った。」
ショウという人の心中を思うと、僕はやるせない気持ちになっていた。
そして目の前の三太夫の、悲しみとも悔恨ともつかない表情と声音の意味もわかる気がした。
人から奪わなければならなかったこと、それを自らは手を汚さずショウという人にやらせてしまったこと、それらが仕方なかったとは言え今でも心残りなのだろう。
三太夫が咳払いをしながら、少し言い難そうに口ごもっている。
何か重大なことを話そうとしているようだった。
僕とアヤカは、ジッと三太夫が落ち着き言葉をつなぐのを待った。
「…ある時、ショウと共に山中で仕留めた猪の肉を焼いていた…
その時フイに木陰から人が現れてな。
この時代の人間と俺は間近に接するのが初めてだったから、物凄く緊張したよ。」
聞きながら僕もアヤカも緊張していた。
「男は山伏の格好をしていた。
間者などの変装にもよく使われていたから、警戒すべき相手である事は間違いなかった。」
『こんな山奥でいい匂いに誘われ来てみりゃ凄ぇご馳走じゃねぇか。
こりゃあツイてる。俺も仲間にいれてくれよ』
山伏はにこやかに話しかけながら、ズケズケと近づいてきた。
肉を焼いていたショウの瞳が山伏の方へ一瞬動いたが、すぐにまた伏せた。
「あぁ、2人で食いきれん量でどうしようかと思っていたところだ。ささ、座れ座れ!」
三太夫は笑顔で男を手招きした。
調味料などなかったが、肉は旨かった。
他愛もない四方山話をしながら、ひとしきり肉を平らげた頃、山伏がぽつりと聞いてきた。
『…こんな山奥で何をしてる?』
ギクリとした。心臓の鼓動が速くなる。
『木こりか?』
重ねて聞いてくる山伏。
「そ、そうだ…」
三太夫は、咄嗟に何のひねりもなく答えてしまった。
『その割には辺りに切り株がねぇな。見たところ斧も切り出した木もねぇ。』
迂闊な三太夫の回答は、かえって山伏を有利にしてしまうものだった。
絶句している三太夫に対し、山伏はニヤリと笑い核心を突いてきた。
「…お前らもどこかの間者か?」
「ま、まさか…」
上手い言い訳を考える暇もなく、追い打ちをかけてくる山伏に、三太夫は言いよどむだけだった。
「ふーん…」
数秒、山伏は三太夫を凝視したのち、笑顔に戻り立ち上がった。
「じゃあ行くわ、旨かったよ、ご馳走さん」
山伏が荷物を背負い、錫杖を手にしようと屈んだ瞬間、三太夫の前を一陣の風が通り過ぎた。
ショウが山伏に後ろから飛びかかり、手にした荒縄で首を絞めつけにかかっている。
必死で抵抗しようと転がり、もがく山伏だったが、渾身の力を込めて締め上げられ、数十秒後にはぐったりと動かなくなった。
山伏は口から泡を吹き、息絶えていた。
「な、なぜ…、そこまで…」
三太夫は、生まれて初めて人が人を殺すところを見て気が動転していた。
つい数分前迄、共に喰らい、語り合っていた相手が、今は骸と化している。
「こいつがこれから行く先々で俺たちのことを吹聴して歩いたらどうする?すぐ山狩だぞ。」
息一つ乱さずショウは、冷たく言い放った。
「生き延びたいなら甘っちょろい考えは捨てるんだな、先生。ここはあんたの好きな本の中の世界じゃない。」
ショウは、動かなくなった山伏の持ち物を物色しながら更に続けた。
「死なんてものはその辺にゴロゴロしている、苛烈な時代だってことを肝に銘じないと、待っているのはここに転がっている奴と同じ運命だぜ。」
三太夫はぐうの音も出なかった。
歴史に詳しいなんて言っていたが、それは本で得ただけの知識である。
ショウはここに来て以来、自分の足で生きた戦国を見、生きるため手を汚してきている。
「ほら、コイツの衣装使えるだろ。死後硬直する前に身ぐるみ剥がすぞ。
早く埋めちまわないと、カラスやらが集まってくるからな。」
きっとショウはこんな風にあちこちで、奪い、時に殺めたりしてきたのだろう。
三太夫は、自ら手を汚さず、それにあやかっているくせに、目の前でそれを見た瞬間綺麗ごとを言う自分自身を、心から軽蔑したい思いだった。
生きるためには、人を殺しても眉一つ動かさない。そういう鋼のメンタルでなければこの戦国の世では生き残れない。
「これがリアルな戦国時代…か…」
三太夫はこの時やっと戦国の世にいることを我がこととして自覚した。
・・・僕もアヤカも言葉がなかった。
落ちてきた時に平成の里の迎えがなかったら、僕らはこんな過酷な状況を生き延びられただろうか…。
恐らく無理だ。
三太夫はそこの棚に置いてあった軍用サバイバルナイフを手に取り凝視していた。
恐らくショウの物なのだろう。
やがてそれを棚に戻し、椅子に深々と腰を下ろし話を続けた。
「その出来事で俺の気持ちも戦国時代に完全にシフトできた。そして俺たちは、覚悟を決めて里に下りることにしたんだ。」