第5話 暗中の試練
里での生活にも慣れてきた頃、僕は夜の見張り番を命じられた。
里に通じる道は1本。そこに夜間は2交替で見張り番が立つ。
道と言っても獣道に毛が生えたようなもので、現代の人が見たならこれを道とは思わないだろうが、ここの里にとっては外部に通じる重要なインフラだ。
闇。
それは“現代人の知る暗さ”とは桁違いの、完全なる黒だった。
月明り以外あたりを照らすものは無く、月が雲に隠れれば、墨汁の中に放り込まれたような漆黒の世界である。
昼間に見張りに着く場所を教えてもらい、道中に目印を置いておかなければ、ここまで辿り着くのも難しかっただろう。
子の刻(午前0時頃)、僕は見張り場所に着き、キュウサクと交替した。
「ゴエモンさん、ごくろうさん。」
小声だが明るい口調でキュウサクが話してきた。
「ここまで特に変わったことはないから。何かあったらこの拍子木か笛を鳴らすんだよ。」
「ありがとう。でも何もないだろう?」
「うーん、たまにどこかの間者が様子見に来ることあるよ。
まぁ、じっとして気取られなければ、帰っていくと思うけどね。」
「脅かすなよ。俺、実戦経験無いんだからさ」
「大丈夫大丈夫、ゴエモンさん強いもん」と
キュウサクはおどけた。
「バカ、今はまだ相手が近づいてきてくれないと何もできないよ。」
と言ったが、キュウサクは聞いておらず、もう帰り道方向に歩き出していた。
「今度プロレスの技教えてね!」
そう言い残すと、闇に溶けるように姿を消した。
キュウサクが去った後、木の幹に体を隠しながら村の入口方向を凝視する。
今日は雲が多く、月明りもしばしば遮られるため、漆黒の時間帯が長い。
鈴虫の細い声が絶え間なく続き、カエルの低い音がそれに重なる。
時おり、フクロウの「ホー」という声が夜の帳を裂く。
(けっこう賑やかだな…)
厄介なのは藪蚊だ。じっとしていると“プーン…”耳元にあの独特の羽音が聞こえてくる。
気配を消しているので、払いのけることもできない。
首に手ぬぐいを巻き、耐え忍ぶのみだった。
「薬、効くんだろうな…」
―夕刻―
「今夜見張り番なんだって?」
珍しくアヤカが話しかけてきた。
「これ、肌を出しているところに塗っていくといいよ。」
とアヤカが、薬草と何かを調合した塗薬のようなものをくれた。
「これは?」
と僕が訊くと、
「この時代の人の虫よけみたいよ。
野草をベースにしてるから臭いで感づかれることはないみたい。
効力は…、あまり期待しない方がいいかもね。」
と言って笑った。
「虫よりも寝ないようにね」
必要な事だけを一方的に喋るとアヤカは足早に去っていった。
「頼むぞ~、アヤカさん~」
羽音に怯えながら僕はアヤカの顔を思い浮かべながら小声で祈った。
そんな風に初めての見張り番を緊張しながら過ごし一刻ほど経っただろうか。
「カサッ」
微かに草を踏む音がしたような気がした。
音のしたと思われる方向を凝視する。
ちょうど月が雲に隠れている。
目には黒い幕がかけられたように何も映らない。
(狐か狸か猪か?)
夜行性の動物の行き来もある。
息を殺して数分、道の方を凝視していると、サーっと幕を開けるように月を覆っていた雲が晴れた。
(人だ!)
おおよそ10mほど離れた道の向こう側、一本杉の後ろに黒装束の男が見えた気がした。
(どうする?)
こちら側から近づけば相手に気取られるだろう。
まだ忍の歩き方などマスターしていない。
手裏剣も持っているが、一度練習しただけで、真っ直ぐ投げることも難しい。
つまりは何もできないということだ。
(そのまま帰ってくれ…)
僕は心の底から願った。
だが、その願い虚しく、黒装束は里の入口の方へ少しずつ近寄って来た。
(やるしかないか…)
相手との距離が5mほどになった。まだ相手に気取られてはいない。
(もう少し、一足で飛びつく距離に来なくてはこちらに勝ち目はない)
そう思いながら待つ時間がひたすら長く感じた。
心臓の鼓動がそこら中に響き渡ってるんじゃないかと思えるくらい高鳴っている。
3m…2m…、1m。
そこまで来た時僕は、覚悟を決めて飛び出した。
相手もすぐにこちらに気づき横っ飛びに僕をかわす。
その時また月が雲に隠れ、漆黒の闇になった。
僕は相手が飛んだ方向に検討をつけ、低い姿勢でタックルした。
手が足に触った。
それを離さないよう体ごと預けて体当たりした。
ドサッという音と共に、相手が倒れた。
その上に飛び乗りマウントポジションになった。
すかさず相手の頸動脈を抑えにかかる。
その時
「もういい、もういい。ゴエモン止めよ。」
と聞きなれた声がした。呆気にとられた僕の横にはいつの間に来たのかサイゾウとショーゾーがいた。
「あれ、なんで?」
「それより早くどいてくれないかな、苦しいよ」
今倒して馬乗りになっている男がそう言った。
月明りが戻った時、黒装束の頭巾を剥ぐと、さっき交替したはずのキュウサクが苦しそうに呻いていた。
「何これ?」
僕は誰に言うでもなくポツリと言った。
「新入りが初めて見張り番に立つときはな、こうして肝試しするのがならわしなのよ。」
とサイゾウが種明かしした。
それを聞いて僕は緊張の糸が切れ、倒れているキュウサクの横にへなへなとへたり込んだ。
「お前、いい根性してるぞ。
これやって最初から飛び出していける奴なんてほとんどいないからな。」
とショーゾーが言った。
「ああ、お前は肝が据わっている。いい忍になるよ。」
(珍しくサイゾウからお褒めの言葉)
「だがな、いざという時は拍子木か笛を鳴らせと教わっただろ。
勇敢なのはいい事だが、命を落としちゃ元も子もないぞ。」
(やっぱり小言だった…)
「この場合、敵が帰ってくれればそれでいいんだ。
これからは無理せず言われた通りの対応するんだな。」
とサイゾウが静かに諭した。
(そうだ、もし相手が本物の敵で、武器を持っていたら僕は一刺しで死んでいただろう。)
そう考えると勇気と無謀は紙一重。
戦国では生き残る事こそが大事と改めて思い知らされた夜だった。