第2話 戦国の中の平成
―キーン-
耳鳴りがしていた。
どのくらい経ったのだろう。
目を開けると、僕は仰向けに倒れていた。
時計はさっき見た4時過ぎで止まっている。
山の中は変わらないけど、気を失う前までとは何かが違う。
匂い、音、空気、どれも異質だ。
「イテッ!」
体を起こすと、痛みが走った。
倒れた時転げ落ちたのか、あちこちを擦りむいている。
立ち上がり、周りを見渡す。
少し離れた山の斜面の中腹に僕のリュックが落ちている。
それを拾いに斜面を上がりながら視界に入ってきた風景は、僕がさっきまで見ていた山の風景とは明らかに違っていた。
整備された登山道も標識もなく、スマホは圏外で、地図アプリも使いものにならなかった。
「なんだこれ…」
落ちていたリュックは無事だった。
僕はリュックからペットボトルの水を取り出し口に含んだ。
不安な気持ちを落ち着けたかった。
森は静かすぎて、自分の靴が落ち葉を踏みしめる音がやけに大きく聞こえた。
「どっちに行くかな…」
知らない山で迂闊に動くと遭難する事例は、よくニュースで見ていた。
上から転げ落ちてきたような感じからすると、元来たところに戻るなら上に行くべきかと思う。
でも、なんか、さっきまでといた山じゃないような...そんな違和感を覚えている僕は、もう一度注意深く辺りを見回した。
気持ちが静まってくると、微かに水の流れる音が聞こえた。
(川があるのか?川に沿って歩いていけば人里に着くんじゃないか?)
上に行って深い山中で夜になる方が怖い。
そう思うと僕の決心は固まった。
(音のする方へ行こう)
道なき山を下るのは大変だった。
僕は何度も滑り、転びしながら音のする方角を目指した。
やがて、前方に小さな川が現れた。
清流というより、ただの山の谷間に流れる細い水筋だったけれど、ちょっとした達成感があった。
辺りはもう薄暗くなってきている。
「歩き回らない方がいいかな...」
(朝までこの辺で野宿するか)
そう考えている時だった。
川向こうの茂みに、何かの気配を感じた。
「誰か、いるのか…?」
恐る恐る声をかけた。
しばしの沈黙の後、草むらの影から一人の男が“ヌッ”と顔を出した。
僕は飛び上がらんばかりに驚き、息をのんだ。
赤黒く日に焼け、顔中を髭に覆われた大男だった。
身にまとうのは、時代劇で見たような、薄汚れた農民や猟師の野良着。
風呂にあまり入っていないのか、獣のような体臭が鼻に突き刺さってくる。
僕はあまりのことに言葉を失い、口をパクパクさせるだけだった。
大男は僕を一瞥すると、にやりと笑った。
「久しぶりに来たか。ここしばらく来る奴はいなかったんだがな。
ま、来ちまったもんはしょうがねえ…戦国の世へようこそ」
豪快に笑うその声が、木立に響きわたる。
「せ、戦国…?」
(ドッキリか何かか?)
僕は錯乱しかけた頭をどうにか抑えつけ、平静を保とうとしていた。
だが、大男はそんな僕の心の中を見透かしたように言った。
「まあ、それが普通のリアクションだ。
今は何を言っても信じられねえだろうからな。
とにかく里に連れてってやるから、ついてこいよ。」
その瞬間、僕の耳に引っかかる言葉があった。
(リアクション…?)
(今、こいつ“リアクション”って言ったよな?)
(戦国の人間がそんな言葉使うか?)
疑念が一気に膨らむ。やっぱりこれは何かのドッキリなんじゃないか。
ユーチューバーの企画とか、実はカメラで撮られていて、最後に種明かしされるやつ。
そう思うと、逆に心が落ち着いてきた。
(ふん、なら最後まで付き合ってやろうじゃないか)
僕は歩き出した大男の後を追った。
大男に先導されるまま、山中を歩く。
大男はスイスイ行くが、僕は転び、滑り落ちを繰り返し、どうにかこうにか着いていくのがやっとだった。
歩くこと1時間あまり、木々が開け、ぽっかりと小さな谷間のような空間が現れた。
そこには、藁ぶき屋根の粗末な家々が十数棟。真ん中に広場、周りに小さな畑と小川。
「こ、ここは?」
「平成の里だ」
そう答えた大男は、こちらを振り返りニカッと笑った。
「へい…せい?」
僕は反射的に聞き返していた。
「ここを作った人達が、自分達のいた時代を思ってこう呼んでるだけさ。
今は令和って時代になっているらしいな?」
(令和のことも知ってる!?)
「ここにいるのは、みんなお前と同じ“落ちてきた”奴らだ」
その言葉に、また心がざわつく。
落ちてきた…。
まさか、みんなタイムスリップしてきたってことか?
僕の混乱をよそに、大男は一軒の家の前で足を止めた。
小さいがただの古民家ではない雰囲気がある。
「先生~、また来たぞ。久々に新入りだ」
そう言うと、家の中からゆっくりと一人の年配の男性が現れた。
身なりは野良着でも、どこか理知的な雰囲気を漂わせる男。
その目には、僕を見る懐かしさと、痛ましさが同居しているようだった。
「また…来てしまったのか」
その言葉に、僕の中で何かが引っかかった。
まるで、望まぬ出来事が繰り返されているような、そんな言い方だった。
「中で話そう。恐らく、信じたくはないだろうが」
男に促されるまま家に入ると、囲炉裏を囲むように座布団が敷かれていた。
男は静かに腰を下ろし、僕をジッと見つめてから口を開いた。
「私の名前は…、どちらで話せばいいかな…。
この時代では百地三太夫。元の名前は桃内信義。
…君と同じ未来から来た人間だ。」
(百地三太夫!?伝説の忍者は現代人?)
「たぶん君は、こう思っているだろう。“これはドッキリだ”と。
あるいはリアルすぎる時代劇、はたまた夢。…でも違う」
三太夫の声は淡々としているが、どこか切実だった。
「君は今、天正八年、西暦でいえば1580年の伊賀の国にいる。」
ここまでの一連の状況で、-タイムスリップ?-
そうかもしれない、という思いは強くなっていた。
そんな時、桃内という男から聞かされた事実は、自分の思いを嫌でも確信に変えていく。
「この山には、時折“落ちてくる”者がいる。法則はわからないが、一定の条件を満たした時、この場所に“落ちてくる”ようだ。」
「私はここで“未来人の受け皿”を作り守っている。
何も知らない未来の者がいきなりこの時代に放り込まれるのはあまりに過酷だからな。」
淡々と語る桃内の口調が、却ってこれが現実だということを突き付けてくる。
戦国時代…。
そう思い、茫然としている横から僕のリュックを引ったくる丸太のような腕。
「なんかいい物持ってきたか?」
と嬉しそうに物色する大男。
「ちょ、何するんですか!」
「いいじゃねぇか、どうせここで暮らすには無用の長物ばかりだぜ。」
そう言うと僕のリュックをひっくり返し中の物をぶちまけた。
「この里には、未来からの者しかいねぇがな、いつどこでこの時代の人間に見られるかわからないから、持ち物から身に着けているものまで全て没収させてもらってるんだ。」
そういいながら大男は僕の食べかけのグミを見つけ
「お、これは貴重品!」
と言って、一粒口に放り込んだ。
一通り物色を終えると、大男はこう言った
「オレはサイゾウ。平成二十二年におちた。もう15年こっちにいる。」
「…そんな、15年もこの時代に…」
「私は25年だ。最初からこんなことを言うのは酷かもしれないが…」
三太夫は囲炉裏の中で真っ赤な炭を見つめながら、静かに続けた。
「我らも長いこと元居た時代に戻る方法はないか考え、試しもした。
だが、一人として戻れた者はいないというのが現実だ。」
そこまで言うと三太夫は、顔を上げ、強い視線をこちらに向けこう言った。
「ここが、もう君の知っている世界ではないということを肝に銘じることだ。」
囲炉裏の火が、パチパチと音を立てる。
その火を眺めながら、これから先のことに思いを巡らせてみようとしたが、いくら考えても現実的な答えは出てこなかった。
サイゾウという男が、まだ何か言っているが、もう何も僕の耳には入ってこなかった...