■第5章:夢という場所■
夢から覚めた朝、窓の外はいつもよりずっと静かに思えた。
天気が悪かったわけじゃない。たぶん、耳の奥にまだ、彼女の声が残っていたからだ。
「……また、“この場所で”待ってるよ――」
その言葉が、まるで“新しいメッセージ通知”みたいに、ずっと頭のなかで点滅していた。
現実には、何も変化はない。
彼女のSNSも、DMも、メールもすべて“未読“のままだ。
――もう一度、彼女に会いたい。
会社に行っても仕事はほとんど手につかなかった。
いつもなら適当に流していた会議も、上司の小言も、すべてが自分とは別の世界の音に思えた。
次の夜も、そのまた次の夜も、彼女は現れなかった。
ただの夢だったのかもしれない、そう思いかけたころ。
また、あの霧の中で彼女の声がした。
「……こんばんは。また、会えたね。」
今度も、彼女の姿は見えなかった。
ただ声だけが、ゆっくりと耳に届く。
話の内容は他愛ないものだった。天気の話。ゲームの話。
でも、目覚めたあとの僕は、なぜかその声の響きだけを鮮明に覚えていた。
その次の週にも、彼女は夢に現れた。
――やっぱり、金曜の夜だった。
「偶然かな」と思った。
でもまた次の金曜の夜にも、彼女と会った。
そしてその翌週の金曜も――彼女の声は、霧の中で待っていた。
「……あなたと話してると、不思議。
夢の中なのに、ちゃんと“思い出してる”って感じがする。」
「でも……ごめんね。
少しずつ、自分が誰だったか、ぼやけてきてるの。」
僕は夢の中で、何かを話そうとしても、すぐに目が覚めてしまう。
彼女は、霧の中から一歩もこちらに近づこうとしない。
でも、確実に彼女は“そこ”にいる。――毎週、金曜の夜に。
数回の夢を経て、僕はひとつの仮説にたどり着いた。
「毎週、金曜の夜にだけ、彼女に会える」
曖昧な感触。でも、そのリズムは確かだった。
6日間、夢には現れない。
金曜の夜になると、彼女は現れ、そして霧の中から声だけを届けてくる。
その日から、僕は金曜の夜のために生きるようになった。