山は崩れ、地に沈む
カルヴァリ帝国の歴史は長い。
人がまだ原種であった時代。何千年も昔の時代。
その時代の最強種の一つであったのが竜王カルヴァリの従える竜族であり、その竜王を祖とし建国されたのが
カルヴァリ帝国だった。
時代は移ろい、竜も獣も、角も耳も翼も形を変えた。力は大きく衰え、しかし数は以前よりもさらに増やした。
クロノスとの仲が最悪なのも建国当時の騒動が原因とされているが、その詳しい内容を知る者は少ない。
皇帝に代々語り継がれる神話では、竜王の子を刻獣クロノスが殺したことが始まりであったとされている。
カルヴァリは大層怒り狂い、クロノスと三日三晩の殺し合いに発展し、その過程でクロノスとカルヴァリを遮る山脈が出来たと伝えられている。
実のところ、それが真実であるのかどうかは然程重要視されていない。
ただクロノスが目障りであり、鬱陶しい。長年続く皇帝は必ずと言って良いほどこのような感想をクロノスに抱く。
故に滅ぼせる機会があれば即座に手を伸ばす。クロノスとの勝利のために悪逆非道を成した皇帝もいるほどだ。しかしそのせいか、民の結束力は低い。反乱が起きるなど良くあることだった。
反乱と闘争の国。いつしかカルヴァリ帝国は、このような呼び方をされるようになった。
クロノスもカルヴァリと戦争を続けているが、歴代の全ての国主が争いを望んだわけではない。和平、あるいは停戦を申し込んだ者もいた。
しかしそれを蹴ったのが当時の皇帝たちであり、未だに終わらない争いの原因だった。
始まりの争いから始まったカルヴァリとクロノスの戦い。
その戦争は、誰もが予想だにしてなかった方法で終わりを迎えることになる。
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カルヴァリを滅ぼすには、単純な物量戦では時間が掛かる。
爆弾のような広範囲の攻撃方法はなく、毒を使って待つのも悪くはないが、しかしボルトから来た冒険者のこともある。時間を掛けて情報を取られたくない。
ならばどうするか。
早急な決着……少なくともカルヴァリの方は再起不能のダメージを与える。
幸いにもそのための方法は思いついたし、立地もこちらに味方した。
カルヴァリとクロノスの間には広大な山脈がある。名前はサム山脈。まあ名前はいい。
その山脈が天然の要塞としてクロノスの侵攻を防いでいる。魔物も沢山いるから兎に角攻め辛い。
カルヴァリは翼を持っている奴が攻め込んで帰る時も翼で飛んで帰る。クロノスは飛べるような奴が少ないために攻められない。俺としても空を飛ばれるのは面倒だ。
だから。
超質量で国を押し潰そう。
そのための手段はここにある。
「……そろそろか」
雨の降る中、呟く。
仕込みは済ませた。
本当なら、カルヴァリは村にやったのと同じように地下へ落とすつもりだった。毒も蒔いて、虫も配置して、こちらが有利な状況で戦う、予定だった。
けど山脈を見ているうちに気付いた。落下させて殺すよりも、山脈を崩して意図的に土砂崩れを発生させて質量で潰したほうが、手早く簡単で確実なのではないか、と。
雨が降ったことでそれに気付けた。前世の土砂崩れを思い出せた。しかも今日は豪雨で、クロノスからは見え辛いだろう。音は聞こえるだろうが、それも豪雨によるものだと勘違いしてくれるはずだ。丁度良いタイミングだった。
地下もそのまま放置しておくのもアレだったから、毒で満たして下に落ちた場合でも殺しきれるようにしてある。虫も配置しているからほぼ確実にやれることだろう。
さて。
それじゃあ、
「崩せ」
その宣言と共に、地面が大きく揺れる。
地震ではない。これは余波でしかない。
遠くから見る、クロノスとカルヴァリを遮る山脈が、今。
地鳴りと共に、カルヴァリへと向かって大量に頽れ落ちていく。
「どれくらい削れるかな」
出来ることなら全滅が望ましいが……この世界の人間はとても丈夫だ。質量で押し潰されて死ぬのであれば良いが、もしそうでないのなら……
「まあ、そのときはしっかりと殺そう」
「予想はしていた」
そうなるかもしれない、と。
「ずっと多く残ったな」
遠くから見るのは、雨の音に掻き消されて聞こえにくい剣戟の音と、それを振るう何人もの戦士たち。
それと相対するのは数多くの虫たち。蜘蛛、蟷螂、蜂、鍬形虫など、種類が統一されていない。
ただ、目的は一つだ。目の前の敵の排除であり、駆除であり、捕獲である。
「どっちにしても好都合」
兵の殆どがクロノス側にある前哨基地に滞留している時間を狙った。戦える者は最大よりもずっと少ない。
だが同時に、想定よりも削れていない。民は生き埋めとなっているのだろうが、戦える者たちは次から次へと地面から這い出てくる。
ただ増えるだけなら面倒だが、地下に作られた毒フロアに入ったことによって弱体化して、出てくるスピードも一人一人といった程度で脅威ではない。
中には毒をものともしない……あるいは解毒した者もいるようだが、数は少数。気にするほどでもない。
それに……少しずつ動きが鈍くなっているな。
雨によって体力が消耗したから。毒のせいで思うように動けないから。足場が不安定で動き辛いから。それらの要素はあるだろう。
しかしそれだけではない。
地下に置いておいた怠惰の虫が、ここにきて響いてきたようだ。
一人、また一人と倒れていく。
「この調子なら、すぐに片がつくか」
そう思っていたのだが。
一部の虫が吹き飛んだ。既にその身体はバラバラに切り裂かれており、ピクピクと痙攣するだけの肉塊となっている。
それを成したのは、何やら強そうな奴だった。
両手で持つような大剣を片手で振るい、太い尻尾を上手く使って虫を牽制、なんなら近すぎる虫には片手でアイアンクローを喰らわせて握りつぶしてもいた。
毒も効いてない。身体性能も高い。怠惰の虫によるドレインも、今はあまり効いてないな。倒してる虫も強化されたレベルⅣ……そう易々と倒せる虫ではないのだが。
「強いな」
ステータス閲覧で確認してみようか。
虫以外に使うのは初めてじゃない。得られる情報が少ない分、誰にでも使えるようになっているのだろう。
《アール・ゼル・カルヴァリ》
戦闘力:6157
「なるほど、皇帝か何かだったか」
この戦闘力……これは歯が立たないわけだ。しかし一番偉いのに戦闘力が高いとはどういうことなのだろうか。
当時見た時点で一番戦闘力が高かったラビュタントよりも強い。
他の戦闘力も見てみたが、どれも1000を超えれば良い方で中には2000にまで到達している者もいたが、極小数であり数で質は補える。
ならば。
「憤怒の虫を充てろ」
戦闘力特化の虫。単純に強い相手にはまずこの虫を充てる。数は、そうだな……
三百ほど充てよう。
レベルⅤで構成された憤怒の虫たちの通常時の平均戦闘力は約3000ほど。なので平均戦闘力は4000ぐらいになる。
憤怒の虫は、通常時は1.5倍ほど戦闘力が向上する。しかしより怒り狂えば、何の命令も聞かなくなる代わりにさらに戦闘力が向上、最大倍率2倍にまで跳ね上がる。
まあ比較的使いやすそうで、かつ戦闘力も控えめな奴らで構成されているが……擦り潰すには十分だろう。というかそうであってほしいところだ。
皇帝と思わしき者の周りの地面から、虫たちが掘り出てくる。
次から次へと、絶え間なく。出てきた虫から皇帝へと向かって突き進む。そこに作戦など無い。憤怒の虫は、ただ目の前の敵を殺すことしか出来ない。
皇帝に、大量の虫が押し寄せる。
巨大な虫たちで埋め尽くされようとした、ほんの一瞬。そう、本当に一瞬だ。既に見えず、虫しか視界に映らない中で。
あの皇帝は……こちらを見据えた、気がした。
遠く離れ、雨で視界が悪いこの状況で、こちらを見た。
「……来るか」
そう口にした途端。
虫たちの一部が吹き飛ばされ、そこから皇帝が走り出す。一直線に、こちらへと向かって来る。俺がこの状況を引き起こした元凶であると勘付いているのだろう。
それに続くのは皇帝を追いかける憤怒の虫……だけではなく。
何やら装備が豪華な兵が憤怒の虫を相手にして、押し留めている。近衛兵とか、そういう立場だったりするのだろうか。
皇帝自身の足の速さもあって、あっという間に怠惰の虫の範囲を抜けてしまった。この調子だと……そうだな、3分もせずにここに来るだろう。
その間に、どうするのかを考えよう。
虫はいる。憤怒も、傲慢も、暴食も、嫉妬……はいないが、強欲も怠惰も揃っている。色欲はそもそも戦闘向きではないので除外する。
さて、どうしたものか。
殺すか、それとも捕らえるか。
……出来たらそうする。その程度の意識で行こう。油断したら狩られるのはこちらの方だろうから。
─────見えた。皇帝だ。ものすごいスピードでこちらに迫ってきている。大剣を抱えているのにあの速さとは、恐れ入る。
「─────ォォォオオオオ!!」
皇帝は。
勢いをつけて、
ふむ、勢いをつけて? 大剣を振りかざして?
投げる、と。
随分思いっきりが良いな、あの皇帝。
投げつけられた大剣を、空間に融け込んで身を隠していた蟷螂が防ぎ、
身体ごと両断されながら、軌道を逸らした。あの蟷螂、レベルⅤの強い虫なんだが……ただの投擲であの威力、やはり侮っていい相手ではなさそうだ。
手ぶらになったわけだが、あの皇帝はどうするつもりなのだろうか。そう考えていたが、軌道がズレて地面に突き刺さっていた大剣が、皇帝の手のもとに戻っていく。なるほどそういう機能もある、と。
大剣を手にしてこちらに突っ込む。この場合はどうするのか。
簡単だ、虫を充てればいい。
こちらに突っ込んできた皇帝は、しかしある地点で足を止めて横合いから高速で飛び出してきた虫を切り落とす。
切られたのは、飛蝗。しかしそのサイズは小さく小型犬ほどの大きさしかない。
こいつの名前はダンガンバッタ。名前の通り、弾丸並みの速度で跳ぶことが出来る虫である。レベルⅡと低コストでありながら、その威力は絶大だ。
しかも憤怒で強化してあるから、跳躍力も強化されている。
足を止めた皇帝に、まるでマシンガンのように飛蝗たちが飛んでくる。それを皇帝は的確にかつ素早く飛蝗を切り、時に払い殴りつける。
その姿は、実に隙だらけだ。
「ぐっ、ぅ!?」
皇帝に襲い来る飛蝗の大群。その跳躍よりもなお速い突進が、皇帝を苦悶の声と共に吹き飛ばす。
それを成したのは、既に空に浮かび上がっている蜻蛉。レベルⅤ、ソニックドラゴンフライである。
しかし、音速を超える速度での突進のはずなのだが……随分と硬い。精々が骨が折れたくらいか。
そこに追い打ちを掛けるように潜ませていた虫たちを投入する。
兎に角硬いのが取り柄なハードブラックビートル。
なんでも切断してしまうスラッシュスタッグ。
悪臭と猛毒を蒔き散らすダストフライ。
そして糸を自在に操る─────
「きっ、貴様っ、何がしたいっ!?」
皇帝の声が聞こえた。
「これだけの力を持ってっ、貴様は何をしようとしているっ!? 復讐かっ、それとも世界を滅ぼそうとでも言うのかっ!?」
「………」
何がしたい、か。
何……何、と言われても。
敢えて言うなら特に何も、というのが答えになるが。そういう事が聞きたいわけじゃないだろうな。
……考えてみれば、俺は何がしたいとか、考えたことがなかったな。
転生したばかりの当時であれば何か思いついたのかもしれないが……時間を経るごとに、そういったことを考えなくなったような気がする。
なるほど、何がしたい、か。
今後のことも考えなくてはならないだろう。
しかし。
「今後の課題にしよう。ありがとう、教えてくれて」
「何っ、をっ!?」
それは、この皇帝をどうにかしてから考えるとしよう。
虫たちの猛攻。
一匹の蜂の針が、皇帝に突き刺さった。すぐに殺されてしまうが、明らかに先程よりも動きが鈍くなっている。全てを捌ききれていない。
どれだけ戦闘力が高くても、数で押せば下剋上も可能である、と。
良い勉強になった。あとはもう作業、
「まだだぁぁぁぁ!!」
皇帝が一歩踏み出す。
その一歩で、既に目の前に来られていた。
激痛で顔を歪め、しかしそれでもと剣を振り下ろそうとしている。
ワンアクションというあまりに短い工程を止められる時間はない。
その大剣が、今、こちらに振り下ろされようとして、
ギィィィィン
空で動かなくなる。甲高い音と共に、大剣の動きは止まった。
「、」
「惜しかったな」
横合いから虫たちが押し寄せ、皇帝を押し倒す。
虫たちの針が、顎が、皇帝へと喰らいつく。
今度こそ、皇帝は戦闘不能となった。
だがしかし、危なかったな。下手すれば今ので終わっていた。そうならないように守りは固めていたつもりだったが、今の一撃を防げなければ後がなかった。
皇帝の剣を防いだのは糸だ。それも蜘蛛の糸によるもの……
では、ない。
俺を守った虫は蜘蛛ではなく……蛾だ。
蜘蛛は餌を取るために糸の巣を張る。しかし蛾……正確にはミノムシは自身の命綱として糸を使う。その強靭さは相当なものだ。その強靭さが俺を守った。
糸を自在に操る人型の雌蛾、ストリングモースである。この虫は既に周辺に糸を張り巡らせていた。まんまと引っ掛かった皇帝は罠が張られているなど考えていなかったのだろうか。
「まあいいか」
それは既に終わったことなのだから。
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妙だ、と。内心感じた。
国は滅びた。山脈に近かったために土砂崩れにモロに直撃し虫に残党を蹴散らされた。
残った村や街や町には、既に虫たちを派遣して殲滅及び捕獲に移行させている。どういう基準で国が滅んだ、という判定になるのかは定かではないが、もう国として保てないほどに壊れきっているのは確かだった。
……だというのに、未だに合図が来ない。
シャバドゥスを滅ぼした時、ウィンドウが現れポイントと装備を貰う事ができた。
前回だけ貰うことが出来た、というのは考え辛い。あの邪神の言葉を信じるのであればだが。
不具合……いや、そもそも滅ぼせていない、滅ぼした判定になっていない?
「……クロノス、か?」
クロノスを監視させていた虫たちの視界を確認する。
それで何かがわかるとは思っていなかったし、あくまで念の為でしかなかった。
だがそのおかげでだいたいの予想がついた。
「そういうことか」
見えたのは、カルヴァリの兵を自身の領土に入れるクロノスの兵の姿。
どうやって、どうして、ということを考えるのは意味の無いことだ。
クロノスはカルヴァリを取り込んだ。それだけわかっていればいい。
「……報酬はお預けだな」
空を眺める。
あれだけの豪雨は今では晴れ、眩しい太陽の光が大地を照らしていた。




