収録現場にて~OneWayRadio~
「本当に信じられなくって!!どう思う?!みんな」
“おいぇちす ”
まただ。
背後から声が聞こえた。恐らくマイクに入ったと思うから、実況勢から“変な声がした”“???”とかツイートされるに違いない。
つい声を詰まらせて、「ここ壁が薄くて外の声が聞こえるのよね」と言って誤魔化すが、背にしている壁の向こうは雑居ビルで、人一人分ぐらいの隙間しかない。そして真向かいのフロアに入っているのは普通の会社らしく、収録している、今この時間はすでに灯りは消えている。
確かに換気の為、窓ガラスは開いているが、5階に位置するこのスタジオまでは、よっぽどのことが無い限り、ここまで人の声が聞こえてくるはずがない。
ここは私がレギュラー番組を頂いているラジオ制作会社が借りているスペースで、元々この会社は収録の際には外部のスタジオを借りていたが、コロナ過において換気が良く、対策も容易に出来て、何よりも経費削減出来るという理由で、防音対策もされていない普通のオフィス向けの物件を、マイクと放送機材を並べただけの簡単なスタジオを作った。だから収録ブースとかミキサールームとか、そんな区別もない。
勿論、ここを幾らで借りているのかなんて知らないけど、小さな制作会社なので、安いんだろうなと思っている。地下鉄の駅からそう遠く無いのに安いということは、つまりそういうなんだろうな。
「それでは、来週も『星乃聖奈のほっしーのぉ☆せなねぇ』を聴いて、ほっしーの!!」
今回分の収録はすべて撮り終わった。私はすかざすマスクを着けて、
「さっきのところ、切れますか」
ディレクターの田中さんに尋ねる。細身とロン毛がいかにもな彼は、何のことかすぐにピンと来たようで、「気にしにない、気にしない」ヘラヘラと笑いながらズレた眼鏡をくぃっと掛け直す。
Twitterの反応を気にしない田中さんに軽く苛立っていると、ちょび髭の放送作家、吉田さんがいつもよりも更に陰気な顔つきになって、
「ちょっとさっきの所、聴き直しませんか」
とぼそぼそと提案してきた。
田中さんが手際よくその部分を再生すると“おいぇちすナントカカントカ”と聞こえて来た。
意味は解らないけど、明らかに男性の声だった。
「良く解らないですね。よっぽど大きくしないと聞こえないし、最後の方は全くだし、会社にある機材なら何言っているか分かるかもだけど、プロの機材でやっとだったら、聞いている人は、窓の外の音がまた入ったって思うだけだけですよ。場所的にも切りにくいし。星乃さんの声も被っちゃっているからね」
関西なまり感じる標準語で、何でもない様に答える。まぁ、音を撮る仕事をしているのだから、このぐらいあるあるなのかも。
その日はそれっきりとなって解散となった。編集した際に何か分かったら教えるという約束は取り付けた。
二週間後。今日も二本撮りの収録であのスタジオに訪れる。
と言っても、毎回あんなことがある訳がないので別に怖くはない。むしろ「前回収録のあの声が何だったのか判ればいいな」なんて、怖いもの見たさの好奇心でワクワクしていた。
「おはようございます」時計は19時を廻っている。
スタジオにはディレクターの田中さん、放送作家の吉田さん、そしてアシスタントプロデューサーの中澤さんの代わりに、めったにここには来ない、50代半ばの山口プロデューサーがいた。
「山口さん久しぶり。どーしました?」
恰幅のいい山口さんがぎこちなく「いや、久しぶりにどんな感じかなって思って。まだ先だけど、5周年の企画とか考えなければいけないしさ」と微笑んだ。
「えー5周年なんか特別なことするんですか?!私、生放送いい」
脊髄反射で喜んでいると、田中さんが騙されていることに気が付かない愚かな人間を憐れむ様な微笑みを浮かべて、
「山口さんはアレですよ。前回の声が気になって」
と言ったところで「その話しは後で」と田中さんを咎める。
何かあったんだ。側にいた吉田さんの顔を見ると
「あの件で収録後に、山口さんからお話しがあるようです」
と小声で教えてくれた。
これからって時に何てことを。気もそぞろになったが、何とかテンションを上げて、問題なく二本の収録を終わらした。
収録後、何もなかったことを見届けた山口さんは「後で中澤が閉めに来るから」と言って、そそくさと帰ろとする。
「ちょっと山口さん、あれなんだったの」
ワザと口調を強くした。山口さんの足を止めなくっちゃ。
振り向きもせず、昨日の夕飯に何食べたか思い出そうしている様な素振りで、しばらく天井を見上げていた山口さんが二度頷くと、意を決した。
「田中さん。例の音、出して」
と指示した。
前回のあの部分が流れて来る。どうやら切り出したようでクリック一つで流れて来る。前に聞いたものと一緒で何を言っているのか良く解らない。
「これを聞きやすくしたのはこれです」
田中さんが別のファイルをクリックすると、あの音声がはっきりと最後まで聞こえる。
“おいぇちすおぃあそもぬこぶ“
でも全然意味が解らない。
「なにこれ」
はてなはてなはてなと頭の上に?をいっぱい浮かべて、それぞれの顔を見渡すと、視線は田中さんのパソコンに固定したまま、弱々しい声で「これ逆回転すると意味分かるんですよ」と勝手にマウスを操作して、吉田さんが再生する。
“ぼくのもさいようしてよ”
ボクノモサイヨウシテヨ?あっ「僕のも採用してよ」だ。一拍おいて気が付いて私を田中さんがマジかよって顔でみていたが、抑揚が無い出来の悪いボーカロイドみたいで、良く解らなかったんだから、仕方がないでしょう。
「リスナーってこと」
山口さんが頷く。このスタジオでは他の番組の収録も沢山やっているけど、変な音が入るのは私以外あんまり聞かないらしい。
えっ。いわゆる事故物件か何かで、このスタジオが憑りつかれていると思っていたのに、それって、
「私が憑りつかれているってこと!!だったりしますぅ」
怖さのあまり、かわい子ぶってみたが、反応は全くなく誰も何も言わない。みんなそう思っている。
「だから思い出して欲しいんですよ、星乃さん。こんな声のファンいませんでしたか」
山口さんが静かに言う。完全に私のせいだと思っている。私だって他でこんな変な声を聴いたことないのに。
「幽霊なのか、それとも生霊なのか気になりますね」
田中さんは楽しそうに、上がる口角を抑えられないでいる。
「いやいや、こんな声じゃ判りませんから」
吉田さんは一切誰とも顔を合わせず、否定する。怖いのだろうか。
そんな彼を見ていて不意にピンと来た。採用して欲しいってことはメールを送っても、ボツになってばかり人のはずだ。
「吉田さん、今回『とろとろジェラード』さんのメールはありましたっけ?」
彼がはっと顔を上げると、自身のパソコンに飛びついた。
とろとろジェラードさん。毎回10通ぐらい送ってくれる大切な、本当に大切なリスナーさんだけど、何というかどれも採用出来る様な内容ではなく、御免なさいだけど、すべてボツにしちゃっている。
ところがとろとろジェラードさんの投稿がここのところぱったり無い。採用されないから心が折れたか、番組から離れたのかと思っていたけど、もしかしたら。
「いや、無いですね」
「じゃぁ、ジェラードさんの前に送って貰ってメールが何かあればプリントしてください」
パタパタパタとキーボードを叩くとすぐにプリントアウトされて出来た。それを受け取ったが、そこにはペンネームとメールアドレスしか個人情報は載っていない。ノベルティーの無い番組だから、住所氏名必要ないもんなぁ。
だが、そのメールには半年前に通販で販売した、番組オリジナルグッズを購入してくれたことが書かれていた。改めて読むと、採用しても差し支えのない内容だったので、これを読んであげれば良かったなぁ。なんて今さら思う。
「山口さん。ジェラードさん、番組グッズ買っています。通販の記録から、この人の本名と住所が解りませんか」
すっかり気分は名探偵だ。
山口さんは勿論、倫理的に通販で買ってくれたお客様の個人情報を例え番組パーソナリティにだって教えられないと首を振ったが、私としても頑として譲らない。ジェラードさんが暗い夜道や我が家で囁きだしたら、家の窓という窓にびっしりとお札を貼って、ベッドの中で怯えて震えて餓死して、今度は私がここでパーソナリティ気取りにいらん声を吹き込んでやるんだから!!と脅してやった。
思った通り山口さんはひとつため息をついて、本社に残っている中澤さんにしぶしぶ指示を出す。
ジェラードさんは河室 寛二という男性で、中野区に住でいる人だった。
私はその名前と住所を、作家さんのパソコンを借りて検索する。名前では出てこなかったが、住所を入れてニュースを検索すると、中野区で20代半ばの男性が遺体で見つかったという記事が出て来た。先週のことだ。
勿論、それがジェラードさんなのかどうかは解からない。
「これ以上はダメか。これは直接ジェラードさんの所へ行くしかない」
みんなに止められた。体感では光よりも早いツッコミだった。
翌日の18時過ぎ。
アフレコを終わらせてスマホを見ると、山口さんからLINEが来ており、「例の件、彼だった」としか書いてないので、電話をするとすぐに出てくれた。
「あぁ星乃さん。お疲れ様。昼にね、中澤に行ってこさせたんだよ。本当に彼だったとはね」
午後14時頃、ジェラードさんの家を見つけた。私鉄沿線のとある駅から住所と地図アプリを頼りに10分ほど歩くと住宅街の一角、古いアパートの一室に“KEEP OUT”の文字書かれていたテープが張られていた。もちろん警視庁の文字も入っていた。
人目が無いのを確認して、ポスティングのアルバイトを装いその部屋に近付くと、微かな異臭がまだ扉の外まで発しているそこは、ジェラードさんこと河室さんの部屋番号だった。
その後、中澤さんは近所のラーメン屋に飛び込み、遅い昼食を取りに来た客として、何気なくそこのアパートで何はあったかを聞いてみた。
流行っていないラーメン屋の店内は中澤さんしか客は居らず、退屈していたのだろう、余すことなく、これから食事する人の事をまるで考えていない緻密な情報量で、すべて教えてくれたらしい。
「アイツ、バカだからさぁ、豚骨ラーメンなんて頼んじゃって。食べるのと胃の中にキープさせるのに相当苦労したってさ」
それだけでジェラードさんが、どんな感じでお亡くなりになっていたか想像が出来る。山口さんのたった一言だけの「心臓発作で亡くなった」は、明らかに善意からの行いだった。
ラーメン屋の常連だったジェラードさんはかなり太っていたそうだ。
アパートの中に入って行くとかよく出来ますねと感心していると、俺達だってマスコミの端くれだぜ、と山口さんはカッコつけていた。
また収録の日が来た。今日は吉田さんに頼んで、用意して貰ったメールがある。
「続きましては、お星さまネーム・とろとろジェラードさん。『せなっち、お星ばんは。深夜、小腹が減ったので、冷食のから揚げを3つ温めて食べようとした時の事です。本当は1分50秒温めなければいけないのですが、その通りに温めるとかなり熱々になってしまうので、1分40秒にしてみました。すると1個目はホカホカしていて美味しく、2個目も丁度の温度でしたが、3個目を口にした時です。表面は良い感じだったのですが、噛んでみると中はまだ冷たくテンションがダダ下がりになりました。たった10秒なのに……。せなっちが最近した失敗は何かありますか』あぁ、やっぱり書かれた通り温めないとダメかぁ」
ジェラードさんが最後に送って来たメールの中から一通採用した。これで心残りが無くなり、あちらの世界に向かってくれたらいいなと、弔いの気持ちで読んだ。
ちらりとタイムスタンプを見ると日付は2か月前だった。
それから不思議な声は聞こえなくなった。
今夜は5周年の記念として生放送がある。リスナーには先に呼び掛けてTwitterで一杯感想を呟いてもらう様にお願いしてある。トレンドランキングに入ったらいいな。
ゲストに、私が発熱をして収録出来なかった時に代打パーソナリティしてくれた、神代 留美ちゃんを、その時のお礼も兼ねてお招きした。
まだ時間に余裕があるので、地下鉄のホームのベンチに座って、その時の配信回をアーカイブでチェックしている。
通り過ぎる地下鉄の音がうるさい。ボリュームMAXにする。すると彼女の会話の合間から小さな声で“きゃぁぁぁぁぁぁぁ”と女性の声が聞こえた。咄嗟にホームを見渡したけど誰も何のリアクションしていない。再び10秒ほど戻して再生すると、あの悲鳴がイヤホンを通して私だけに届く。あの日、スタジオの外で何かあったのと焦るが、当時、そんな話しを聞いていない。何かあれば田中さんが絶対、ニヤつきながら話してくるはずだもの。
配信日は、あのスタジオになってから半年が過ぎた頃。ジェラードさんが健在だった頃。
明らかに女性の声なので、例えばジェラードさんの想いが生霊となったなんて有り得ない。
じゃあ、この声は何なの。
不意に気が付く、あの時、山口さんは他の番組も収録するけど、変な音が入るのは私以外、あんまり聞かないといっていた。あんまりとはどういう事だろう。
結局、アーカイブを聴き終えず、私は地下鉄のホームを抜けて、スタジオに向かった。
今日のスタジオにはいつものメンバーに加え、それぞれのマネージャーとかいて人が多い。山口さんがどっしりパイプ椅子に座って、マネージャーさん達と談笑している。
私は何も無かった顔をして、留美ちゃんと一緒に番組打ち合わせをしていた。
すると、バキッと大きな音がスタジオ内に響き渡る。みんな慌てて音のする方を見ると、山口さんが床の上で尻もちをついている。彼の座っていたパイプ椅子が座る所と足のジョイント部分が壊れてバラバラになっていた。
田中さんが、山口さんが太っているからイス壊したと笑っている。
山口さんは、椅子が古かったんだよと言い訳をして笑っている。
ウチのマネージャーも、本番中じゃなくって良かったとニコニコしている。
吉田さんと留美ちゃんは、心なしか青い顔をして目配せしている。
古かったから?重たかったから?本当に?
それともこのスタジオにはまだ誰かいるの?
私は、無関係でいいんだよね?
間もなく生放送が始まる。