4-9 そして日常へ
四章はここまでです
「すみません。撮影してくださるのは嬉しいのですが、その前に確認したいことがあって。尊敬しているカメコさんの名前を教えてもらっていいですか? 好きなカメコさんでも構いませんが」
そこまで難しい質問ではない。しかしこれに答えられない場合、信頼するのは一旦待った方がいいという。声をかけてきた40代くらいのカメラマンは、僕の方から逆に質問されるとは思っていなかったのか、目線がキョロキョロ泳ぎだす。僕らに見えない、スカイフィッシュでも飛んでいるのだろうか。そんなわけないか。
「折角お声かけしてくださったのに申し訳ないのですが……今回はご遠慮します。すみません。行きましょうか、イリスさん」
「え、はいっ」
断るという行為に罪悪感があるのは事実だ。もしかしたら悪い人じゃないのかもしれない。深く頭を下げて、桑名さんの手を取り立ち去る。舌打ちが微かに聞こえた気がするけど気のせいということにしておこう。
夕焼けが海に溶け、のど飴みたいなオレンジ色に染める。あらかた、いいスポットで写真は撮ってきた。海の上を優雅に移動する遊覧船の上でも撮影は可能であり、僕たちの衣装ともよく合うロケーションだ。園部さんと道志郎から一緒に乗らないかと誘われた。しかし桑名さんが船酔いしやすい体質らしく、それは叶わなかった。飛行機が苦手な道志郎と、船が苦手な桑名さん。2人と一緒に旅行に行くなら、移動手段は新幹線かバスしかない。
「私に構わず船に乗ればよかったのに」
道志郎から送られてきた、船の上で楽しそうにしている園部さんたちの動画を見てつぶやく。
「そうはいきませんよ。クルージング中桑名さんの身になにかあれば、後悔してもし足りませんからね」
航海だけに、と言いかけて口を閉じる。ローアングラーが出没したのもあって、桑名さんから離れるわけにはいかなかった。今日はトイレを利用する時以外、彼女のマネージャーのように付き従っていた。推しを指が触れるくらいの距離で摂取できるのだから、僕はそれで十分だ。
「もう、心配性ですよ。私、これでも我流でカンフーを練習していますし」
得意満面に笑ってカンフーの構えを取り、「ホワチャ!」と怪鳥音を発した。空手や柔道なら道場はたくさんあるが、カンフーを学べる場所はそう多くない。しかし桑名さんのポーズは実に様になっている。
「どうしてカンフーなんですか? ブルース・リーのファンとか?」
「いえ、そういうわけじゃなくて。舞織ちゃんのコスプレを始めた頃に、出来る限りあの子に近づこうと思って。ほら。舞織ちゃん、ゲーム内イベントでカンフーをしていましたから。映画とか動画配信サイトに上がっている映像を見て真似していくうちに」
なんとなくそんな理由だったら面白いなとは思っていた。でも本当に舞織がきっかけだったとは。
時として、二次元の彼ら彼女らは僕たちの人生になんらかのきっかけをくれる。漫画に影響されてスポーツを始めた子供が、将来オリンピックでメダルを獲得したなんて話も珍しくない。
ドリドリのアイドルたちもそうだ。100を超える個性的なメンバーを推して応援する僕たちマネージャーが、彼女たちの持つ特技や趣味に影響されてラーメン屋を開いたりソロキャンプを始めたり、同じアイドルを担当している者同士意気投合し、交際に発展して結婚したり。多かれ少なかれ、誰かの人生に影響を与えている。少し違う話になるけども、元々はドリドリの二次創作だった小説を改訂したモノを小説の新人賞に送ったら、見事大賞を受賞した、なんてエピソードもあったっけ。
あの両親と姉がいるんだから、舞織と出会わなくても僕はオタクになっていた。でもあの日彼女が僕の前に来てくれたから、僕は桑名さんと出会えたんだと思うし、コスプレまでするようになった。これからも、渚舞織は僕の人生に彩りを与えてくれるはずだ。
「次のイベントは、チャイナドレスの舞織で参加するのも良いかもしれませんね」
「じゃあ西倉さんは、メイド衣装の路恵ちゃんですね! あ、でもプリンセスミッシェルイベントの時の服も良いかも! ハロウィンの吸血鬼衣装も似合いますね!」
あれやこれやと頭の中で僕を着せ替え人形にして、期待に胸を膨らませる。すっかり僕との約束を忘れてしまっているようだ。
「イリスさーん、ゆーせいーくーん」
遠くから手を振る園部さんが走ってきた。ユニフォームの上から、スーツの上着を羽織っている。その後ろを白いシャツの道志郎が追いかけてきた。5月でも、夕方くらいになると肌寒くなる。僕も羽織るものを持ってこればよかったな。
イベントが終わるのはまだ先だけど、更衣室が混雑するのを見越して早く退場しようと決めていた。神戸の夜景は綺麗なのもあり、時間いっぱいまで撮影するコスプレイヤーも多いらしい。なので今着替えるのが一番なんだとか。
ちなみに、マジピュアの着ぐるみを着た母さんたちは先に会場を出ている。3人でプチ打ち上げとして、いつも通り焼肉を食べに行っているようだ。僕もこの後、道志郎と園部さんと打ち上げ兼晩ごはんにファミレスに行く予定になっている。桑名さんも一緒にどうですかと誘ってみたけど、今夜は桑名さんのご両親の結婚記念日で高級フレンチなんだとか。流石にそれを抜けて一緒にどうぞとは言えない。
「最後に3人で撮って、着替えましょ。ほら道志郎、最高の写真頼むわよ」
「あいよ!」
着替えてメイクを落とせば、また当たり前の日常が始まる。ゴールデンウイークが終わりしばらくの間、祝日がないことに気づいて憂鬱にもなってしまう。だけど、次はどのキャラのコスプレをしようか、どの衣装を着ようかと笑い合う姿を見れば、明日への活力になる気がした。
今日ここにいたのは、学校のみんなが知らない僕たちだけの秘密だ。非日常の象徴であるコスプレイヤーと、普通の学生の境目の時間を残すかのようにして、僕たちは夕焼けに包まれた。
五章は少し話の展開に詰まっており、投下ペースが落ちてしまうかと思います。




