3-1 野鳥の会
Ch-3が始まります。ここから話が大きく動きます。
風高の学食のメニューはどれもボリューミーかつ低価格で、お財布に優しい。例えばこのLサイズの天津飯は、お味噌汁が付いて三五〇円。日替わりの定食は三七〇円となかなかにコスパがいい。食堂のおばちゃんたちがみんな名古屋の生まれなのか、全体的にやや濃い目の味付けなので好き嫌いが分かれるが、僕らにとって心強い味方なのだ。
「数え切れないほど、Vの配信を見てきたけどさ、やっぱり行き着くところは美島ユキちゃんなんだよな。あの甘ったるい脳トロボイスたまらないよねぇ。お淑やかだし、女子力も高いしで最高だよぉ」
とんこつラーメンをかき込みながら、三島由紀夫みたいな名前の|VirtualLifetuber、略してVtuberが最高だと熱弁するのは城田武彦。お伽話の魔女のご馳走になるのか、ってくらいにまんまるとした体格をしており、カタギに擬態する努力を一切しないオタクだ。
「おめでたいやつめ。バチャ豚に現実を教えてやる。連中は実家だと声が低いし、金曜の夜はビール飲みながら餃子食うし、アリの巣の中にビールを注ぐんだ」
「ちょっとそういうこと言わないでくれるー!? ユキちゃんは虫を殺せないくらい気弱な子なんだよー! あと餃子とビールくらい別にいいでしょー! いやよくないわ! 未成年だもん!」
淡々とした罵倒で他人の推しに平気で喧嘩を売っているのは、これまた同じクラスの郡山ここね。クラスで一番背が低く童顔で、子供向けアニメに出てくる魔女っ子を現実世界に連れてきたような愛らしい容姿をしている。
しかし内面は、毒リンゴを渡す魔女並みにどす黒い。毒舌を通り越して暴言キャラで、好きなものよりも嫌いなものの方が圧倒的に多い。3Dモデルが配信するVtuberと、そのオタクも嫌いだとハッキリ言っており、V推しの城田とは犬猿の仲で、次から次へと罵倒の言葉が湧き上がってくるらしい。それでもつるむのは、オタク以外と会話ができないからだ。
「そういうここちんのおすすめアニメだって、安易なパロディばかりで白けたし、みんな同じ顔していて誰が誰だかさっぱりだったよ」
「よし、ぶっ殺してやる。お前は今触れちゃいけないものに触れてしまった。一族郎党まとめて葬ってやる」
「よーし、その喧嘩乗った! 今日こそ決着をつけるよぉ!」
互いの推しを貶しあえば戦争になるのは当たり前の話だ。小さな狂犬と太った暴れ猿はバチバチと睨み合う。
「二人とも落ち着きなよ」
「西倉は黙っていろ。腐女子舐めるとシャレにならないこと、その醜く太った身体に教えてやる」
郡山ここねはお腐り遊ばれていた。彼女の手にかかるとどんな作品だって耽美なBLになってしまうし、女の子アイドルたちを輝かせるコンテンツであるドリドリだって、マネージャーと事務所社長のカップリングが好きだと言って憚らないほどだ。アイドルには全く興味がないと言い切るので、彼女相手にドリドリの話題をしても時間の無駄だった。
「ここで喧嘩したら迷惑だって」
学園屈指のデブと学園屈指のちんちくりんの喧嘩を仲裁するのは僕の役目だ。かの有名な桃太郎はお供に犬と猿を連れていたが、鬼ヶ島までの道中で犬と猿は揉めなかったのだろうか。キジが頑張って仲裁役をしていたのかな。そうならば、きび団子一つじゃ割に合わない。
「止めてくれないでゆうちん、これは僕たちの聖戦なんだ。今日こそ決着をつけなくちゃ」
「そうだ。醜い豚に正義の鉄槌を下さねばならぬ。邪魔するなら西倉お前も殺す」
「んもー……」
互いに正義があると信じて話を聞いてくれない。本人たちとしては、伊賀忍者VS甲賀忍者とか、ニコラ・テスラVSトーマス・エジソンの気分なんだろうが、ものすごくどうでもいい話だ。勝手に戦え。結果だけ教えろ。
「あれ、桑名さんだ」
窓際の席に知っている顔を見つけた。彼女も僕に気付いたようでペコリと小さく会釈をしてくれた。
入学してからお昼はずっと食堂を使っていたが、桑名さんを見たのは初めてだ。男子三人と、桑名さんを含めた女子五人で、日当たりのいいテーブルを独占している。スクールカースト上位グループといった空気を醸し出しており、桑名さん以外からは同業者の雰囲気を感じない。身体をテーブルに乗り出すようにしてなにやら盛り上がっている様子だが、背筋をピンと伸ばした桑名さんは話に乗り切れていないようにも見えた。
「どうしたのゆうちん? 八千代の会に気になる人でもいた?」
「野鳥の会? あの人たちバードウォッチング集団なの?」
決闘を終えた城田が入り込んでくる。どうやら勝ったのは城田のようで、郡山は悔しそうに呪詛をぶつぶつと呟いている。
「八千代の会。うはいらないよぉ。ほら、あの人。読モの高梨八千代さんを中心としたグループだよ。知らない? 太陽系ギャルやっち。高梨は小鳥が遊ぶ方じゃなくて高い梨の方ね」
城田の視線は桑名さんの隣に座っている、淡いピンク髪のギャルに向けられていた。前に投げキッスをしてくれた人だ。肩まで伸びた髪をクルクルと巻いて、制服をラフに着崩してスタイルの良さを主張している。
八千代という和風で奥ゆかしい名前に反して、随分なハイカラさんだ。会話の起点は彼女らしく、それにみんな乗っかっているように見えた。しかしルックスこそギャルギャルしいものの、桑名さんに負けじと椅子に浅く座って背筋を綺麗に伸ばしている。いわゆるモデル座りと呼ばれる座り方で、桑名さんと並んでLの字が続いているみたいだ。
「へぇ。というか読モとか知っているんだね」
城田が読者モデルを知っているのは意外だった。もしかしたら高梨さんはオタクに優しいギャルで有名なのかな。でもそれなら、桑名さんはあんな貼り付けた笑顔を浮かべて、居心地が悪そうにしていないはずだ。
「僕の妹がやっちの大ファンなんだよねぇ」
「その妹というのは想像上の人物じゃないのか」
失礼発言と共に郡山も割り込んできた。いくらなんでもイマジナリー妹を生み出すほど城田も拗らせてはいない……と言い切れないのが怖いところだ。
「失礼だなぁ。僕だって妄想の妹を錬成したりしないよぉ。やっちはSNSにあげたダンスのショートムービーが人気なんだって」
ゲーム画面から、ショートムービーアプリに切り替わる。典型的オタクである城田が陽キャ御用達のアプリを持っているのも意外だった。
「そんなアプリをインストールしただけでカーストの上にいけると思っているのか、めでたいやつだな」
「違うよぉ。僕の推し声優がソロ曲に合わせて踊ってみた動画をあげるからさ……っとこれだこれ」
一〇年以上前に流行ったアニメの曲に合わせて、高梨さんが踊るショートムービーだ。城田が言うには、このアプリでは独自の文化が形成されており、その中にはアニメソングだと知らないで使う人もいるらしい。彼女もそのクチだろう、というのが城田の見解だった。オタクに優しいギャルとは、やはり幻想なのだ。
「ま、カースト最底辺の僕たちとはご縁のない人たちだねえ」
「カースト最底辺なのはお前だけだデブ。私は一部に大きな需要があるからな、舐めてくれるなよ」
「……言っていて虚しくない、それ?」
高梨さんの胸と自分の胸を見比べる郡山の目が悔しさで潤んでいたのを、僕は見逃さなかった。