リンダ ①
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今思えば、リフリード様には悪い事をしたわね。魔法にも目覚めていない、内気な少年だったリフリード様にとって、リマンド侯爵家は居心地の良い場所とは言い難かっただろう。嫌がらせこそ無かったが、リフリード様に好意的に接する使用人は居なかった。あのセバスさんでさえ、フリードリッヒ様相手と違い、一歩引いた付き合い方だったと思う。あまつさえ、私を含め皆がお嬢様に対して何故、歩み寄らないのかと憤りを覚えたくらいだ。
腐らずに、リマンド侯爵家に通ったリフリード様は偉かったわね。口に出さなくても、皆が心の中でフリードリッヒ様と比べて、落胆していたことくらい、幼いリフリード様にも伝わっていただろう。
慌ただしく廊下を歩く音が大きくなって、ドアの前でその音が止むと、控えめなノックと男爵の入室の許可の後、少し驚いたようなリンダと困惑気味の男爵夫人が入って来た。急ぎ帰って来るようにとだけ伝えられたと言うことが、夫人の顔から伝わる。
「これは、宰相閣下、我が家へようこそお越し下さいました。もう少し、早目にご連絡下されば、しっかりとおもてなしできたのですが、行き届かず申し訳ございません」
丁寧な物言いではあるが、楽しい時間を過ごしていたことを邪魔されたことへの非難が言葉の端々に含まれている。
そんな夫人の態度に、男爵はオロオロとし、顔色は一層悪くなるばかりだ。
「おい、お前、いいからここへ座りなさい。リンダも」
男爵の言葉にもう少し文句を言いたかった様子の夫人は、渋々、男爵の横へ腰を下ろした。その顔は、笑顔ではあるが、あからさまに非難の色を乗せている。夫人の態度に男爵は咎めるような素振りを見せるが、これ以上は事態を悪化させかね無いと判断したのだろう、そのまま押し黙った。
リンダは相変わらずキョトンとした顔のまま、兄の横に用意された椅子に座った。夫人以外の視線がリンダの首元に集まる。侯爵は無言でユリに確認し、その様子を男爵と兄、そして、使用人達が固唾を飲んで見守る。
「リンダさん、その首のチョーカー、お嬢様の物ですよね」
ユリの言葉にリンダは慌てて、両手で首元を押さえる。今まで、そのチョーカーの存在を気にも留めて無かったかのようだった。
「あ、あの、ち、違うんです。わ、わざと、も、持ち出したんじゃ、な、なくて、え、えーっと」
「わざとでは、なかったとしましょう。しかし、それなら、何故、今、貴女の首にそのチョーカーがあるのでしょう?」
ユリは優しく、ニッコリと笑ってリンダに尋ねた。夫人の顔色が一気に悪くなった。侯爵が何故、急に訪れたのかその真意に初めて気が付いたのだ。
「リンダ、そのチョーカーは頂いたのよね?そうでしょう?」
必死にそうであって欲しいという願いを込めて、夫人はリンダに懇願するように尋ねる。
「も、申し訳御座いません。持って帰るつもりは無かったんです。歪んでいたので、並べて直そうと手に取ったのですが、呼ばれたのでそのまま持って出て」
なんとも苦しい言い訳ね。思っても顔に出してはいけない。そうサマンサさんに仕込まれた。
「そうか、だが、窃盗は窃盗だ。持ち出した事実は変えられない」
侯爵はいつもの柔和な表情のまま、普段と何ら変わらぬ口調でそう述べると、男爵に視線を向けた。男爵はヒッと身体を硬くしたが、それとは対照的に夫人は安堵の笑みを浮かべる。
「さ、リンダ、早く外して、お返しして。ほら、リンダの首のチョーカーを外しなさい」
後ろに控えていたメイド命じると、夫人は媚びるような視線と愛想笑いを侯爵へ向ける。これで、丸く収まったわよね、とでも言いたげだ。
ユリは侯爵に視線での指示を受け、メイドからチョーカーを受け取る。チョーカーはガラスの部分は汗と手垢で汚れ曇り、ヌメ革の部分は劣化が酷く、汚れと何度も使用した為に出来たヨレと伸びが見て取れた。
酷い、お嬢様が初めてフリードリッヒ様から頂いたプレゼントなのに。
ユリは侯爵と目が合うと首を横に振る。
「チョーカーは確かに受け取った。男爵、娘のチョーカーがリンダ嬢の手元、嫌、首にあったのだが」
「わ、わかっております。リンダの荷物は本日、直ぐに取りに伺います。リ、リンダのし、処罰ですが…」
汗をダラダラと流し、しどろもどろに言葉を紡ぐ男爵に夫人は非難の声をあげる。
「あ、貴方、リンダの処罰とはどういう事ですの?宰相閣下は解雇で許して下さると言って下さっているのよ。なのに、どうして、リンダに罰を与えなければならないのかしら?リンダだって、ほら、ちゃんと反省していますわ。それに、このことが広まれば、リンダは社交界で肩身の狭い思いをするのですよ。その上、罰だなんて可哀想すぎます!」
慌てて、男爵の言葉を遮り、侯爵を完全に侮り、リンダを庇う夫人を男爵は睨み付けた。
「お前はリンダが何をしでかしたのかわかっているのか!反省しただと?リンダはまだ、一言も謝罪の言葉を述べていないのだぞ!」
普段は大人しい男爵の怒号に、酷く驚いたのであろう夫人は慌ててリンダに謝罪するように促す。
「申し訳ございませんでした」
言わされ感満載でリンダは謝罪の言葉を述べると、上目遣いで夫人に助けを求めた。
「娘が申し訳ございません。ワザとでは無いのです。そう、うっかり、ですわ。誰にでも、ミスは御座いますわよね」
ヘラヘラと媚びるように謝罪とは思えぬ言葉を述べる夫人に、リマンド侯爵のイライラが募っていくのが侯爵と深く関わりのある人物なら、ありありと見て取れる。
「うっかりはあるさ、だけど、それを身に付ける行為は許されるものではないと思うけど」
言葉を発したリンダの兄を夫人は睨み付ける。
「貴方は黙っていなさい!これは、リンダの問題です。貴方が口出しすることではありません。宰相閣下がこうして許して下さっているのに、何故、貴方達は事を荒立て、リンダを苦しめるのかしら?それでも家族なの?」
「家族だから、言っているんだろ?もし、我が家でリンダに何の罰も与えなければ、俺やお父様の城での立場はどうなる?誰が信用してくれる?俺は新人で何の信用も無い中、仕事をして行くんだ。それに、お父様は信用のみでここまで出世したんだぞ、それくらいお母様だってわかっているだろ?その信用がリンダのせいで地に落ちたんだ。その上、それ相応の罰を与えなければお父様はハブられるよ。ああ、因みに宰相閣下に頼んでも無駄だよ。流石の閣下であられても、何ら借りのない我が家を全ての貴族を敵に回して、守って下さる義理なんてないのだから」
それでも、リンダを守るの?と視線を母親へ投げかける。夫人は縋るようにリマンド侯爵を見つめた。
「宰相閣下ならどうなさいますか?一人娘がこのような小さな過ちを犯したら、修道院に入れますか?」
「私にマリアンヌを修道院へ入れることは出来ない」
夫人は喜色満面、ほら、とでも言うふうに息子と夫に視線を送った。
「では、どのように責任をお取りになるのでしょうか?参考までに伺ってもよろしいでしょうか」
「ああ、簡単だよ。宰相の職を辞任し、家族で領地にでも引っ込むさ。勿論、婚約者であるフリードリッヒにも職を辞任して貰うよ。彼も、マリアンヌの為なら喜んで辞任してくれるよ」
ええ、喜んでフリードリッヒ様は辞任すると思いますよ。リマンド侯爵家は産業と領地経営だけで充分すぎる利益がありますし、奥様も旦那様の余暇ができた方が嬉しいでしょうしね。今よりも、リマンド侯爵家のみで考えれば幸せでしょうね。
侯爵の胸の内など知らぬ夫人の顔色が一気に悪くなった。
「辞任?責任を取って、婚約者でしかないフリードリッヒ卿まで辞任」
頭の中で職を失った旦那と息子、それか、修道院へ愛する娘をやることを天秤にかけているのが伝わって来る。領地など持たぬ男爵家だ、職を失えば平民になってしまうことくらい夫人だってわかっている。
慌てふためく家族の有様を目の当たりにしても、リンダは妙に落ち着いてまるで他人事のようだ。
「リンダ、お前はとんでもないことをやらかしたのだぞ、わかっているのか?」
男爵は諭すようにリンダに話しかけた。
「はい、悪かったとは思っておりますわ」
リンダは、少し、しゅんとまるで幼な子が悪戯をして、怒られているかのように頭を垂れる。
「わかっておるなら良い。一週間後、北の修道院へ行きなさい」
「え、修道院、一週間後ですか?できれば、クリスマスが終わってからが良いです。私、まだ、婚約者もいないんですよ。今を逃したら、良い所へお嫁に行けなくなってしまいますわ。今年と来年の社交界が正念場ですのに」
ユリは、修道院という言葉よりも、夜会やお茶会に行けないことに不満を募らせた様子で、男爵に尋ねるリンダに頭が痛くなった。




