スミス侯爵家の夜会 ④
「この度は、我が娘の悪行により、リマンド侯爵家に大変不名誉な事実無根の噂を流したことをお詫び申し上げてます。娘は女神の教会で、私とこの国の為に祈らせることに致しました」
スミス侯爵家で開かれた夜会から数日経ったある日、リマンド侯爵家の応接間で、憔悴しきったテイラー伯爵が、リマンド侯爵へ謝罪の言葉を述べている。ユリはセルロスと共に壁際にそっと控えていた。
「女神の教会か、本当に良かったかね?」
女神の教会は他の修道院と違い、その敷地に入ったら二度と出ることも、外の世界と関わることも出来ない。中がどうなっているのか、どのように運営されているのかも王族にすらわからない謎に包まれた場所だ。名誉毀損の罪であれば、令嬢としてはかなり重い刑罰だ。
テイラー伯爵にとって、可憐な娘は亡き愛妻に生写しの目に入れても痛くない掌中の珠だ。その娘にかの罰を与えるとは、断腸の思いだっただろうと容易に想像できた。
ストーリー通りの結末とはいえ、テイラー伯爵の気持ちを考えると胸が痛むわね。
「職を辞し、我がテイラー伯爵の取り潰しをと陛下へ申し上げました。しかし、陛下は、姉の息子である近衛兵隊長を養子に迎え、私にそのまま職務を全うするように言って下さいました。その恩を無碍にはできません。私に命を預けてくれた部下を率いる身、きっちりとケジメをつける必要がございます」
ユリは、テイラー伯爵は娘を溺愛する父である前に、この国の武人なのだと言うことを痛感した。
この人、この罰を考えたのが、陛下で無くリマンド侯爵だと分かっているんだ。
「わかった、謝罪を受け入れよう。今後も国の為に尽力して欲しい」
テイラー伯爵の見送りをした後、ユリは小さく溜息をついた。
「どうした?」
セルロスが心配そうに、声をかける。
「テイラー伯爵の気持ちを思うとね」
彼はたった一人の愛する家族と、永遠に会う事ができなくなったのよね。私がしたことはそういうことだ。わかってはいたけど、矢張り心苦しい。
「ユリさん。ちょっといいですか?」
リアレッドが深刻な顔をして声をかけてきた。
「どうしたの?」
「ここではちょっと…」
周りに視線を向けながら、リアレッドは口籠る。
「わかったわ、私の部屋でいい?」
「はい」
ユリは自室にリアレッドを招き入れると、椅子に座るように進めお茶を入れる。
「で、話しは何?」
「実は、お嬢様のチョーカーをしているリンダさんを、夜会で見たんです。見間違いかと思ったんですけど、よくよく、友達に聞いてみると、そのチョーカー、フリードリッヒ様に貰ったと言いふらしている様らしくて」
リンダがチョーカーを自分の物であると、言ってまわっている?頭がついていかないわ。
「それは本当なの?品違いとかではなく?」
「はい、あのチョーカーは一点物で二つと同じ商品はありません。実は、あれはフリードリッヒ様が、城の女官長の護衛をなさっている時にご購入された品で、当時城の侍女達の間で、誰にプレゼントするのだろうと噂になったものなんです」
そんなに噂になっていた品だったのね。
「リンダさんは他になんと言っているの?」
「第二夫人になりたいと言っていたそうです。私も人伝なもので、確かではないのですが…。お嬢様は良い方なので、きっと上手くいくと…」
呆れた、チョーカーを泥棒して事実無根の噂を流し、第二夫人?まるでお嬢様が了承したような言い回しで、皆に風聴して回っていたなんて!恩を仇で返す行いだわ。
「事実関係を確認したいわ。その話を聞いたであろう令嬢方のリストを作成して」
「わかりました」
残念なことに、リンダがチョーカーをしているのを目撃した人物は多数いた。お茶会ではそのチョーカーを自分が、フリードリッヒに貰ったと風聴して回っていた。
リマンド侯爵は忙しい時間の合間を縫って、リンダの実家へユリを伴ってその事実確認に赴いた。先触れを出したとはいえ、突然の侯爵の訪問でリンダの家はてんやわんやの大騒ぎだった。
リンダの父である男爵は、額から汗を滲ませて、終始ビクビクとしながら、笑顔を必死につくっている。彼女の兄は只々緊張し、ガチガチになっている。それも無理ない、男爵家の嫡男とはいえ、やっと城で働くことが決まったばかりの青年が、宰相を務めるリマンド侯爵になどよっぽどのことが無い限り、会う機会などない。
男爵家で一番上等であろう客室へ通され、一番上等な茶とお菓子が出される。主人の緊張が侍女達のにも伝わったのか彼女達の顔色も心無しか悪い。
「宰相閣下、き、きょ、今日はどのような御用件で」
揉みてでもしそうな勢いで、気弱な男爵は顔色を伺う。
「リンダのことで来た。あまり時間のない身なので単刀直入に聞くが、彼女は娘の婚約者であるフリードリッヒの第二夫人になると風聴しているようだか、知っていたかね?」
男爵はああ、その事かとでも言う風にだいぶ落ち着きを取り戻した様子だ。横に座っているリンダの兄も侯爵の穏やかな口調に、心無しかホッとしたように見える。
リンダ、父や兄にもフリードリッヒ様の第二夫人になると言っていたのかしら?
侯爵の背後に控えているユリは、リンダの父や兄を表情を変えないように観察する。
「はい、娘から聞いております。お嬢様はお優しく、娘を受け入れて下さったと。また、フリードリッヒ卿は娘に薔薇のチョーカーをプレゼントして下さり、笑顔を向けてくださると申しておりました」
確かに、お嬢様は他の侍女達と同じように、リンダに優しく接していらっしゃいます。しかし、フリードリッヒ様が笑顔を向けいらっしゃるのは、間違ってもリンダではなくお嬢様に、そこだけは断言できるわ。
「男爵、君はリンダにもう少し詳しく話を聞く必要があると思うが。マリアンヌは我が屋敷に勤めているどの侍女にも、そして、使用人、皆に優しい」
侯爵の言葉に、男爵の顔色が一気に悪くなる。
「本日いらっしゃったのは、リンダを第二夫人には迎えたいと言う話では…」
「どうして、そう解釈したのかね?うーむ、ユリ、男爵に屋敷でのフリードリッヒの様子を話して差し上げなさい。彼は色々と誤解しているみたいだ」
仕方ないとばかりに、侯爵はユリに視線を向ける。
「はい、私はお嬢様付きの侍女、ユリでございます。リンダさんの教育係も致しております。まず、フリードリッヒ卿でございますが、リマンド侯爵家の屋敷の中では基本的に笑顔で過ごされております。フリードリッヒ卿は幼い頃、リマンド侯爵家でお過ごしになっておいででございますので、外のお顔とはまた違っていらっしゃいます。別段、リンダさんに向けての笑顔ではございません。私には外での、あの無表情の方が珍しく感じます。また、リンダさんがフリードリッヒ卿から贈られたと言われておりますチョーカーでございますが、実は、お嬢様の棚から、同じようなものが無くなっておりました。リンダさんが屋敷に戻られてから、確認しようと思っていたところでございます」
リンダの兄はビックリした様子だ。フリードリッヒの笑顔など想像できないと顔に書いてある。
「笑顔…」
「はい、私はフリードリッヒ卿が幼い頃より存じておりますが、その頃からとても表情豊かな方だと思っております。お嬢様とお話されているときは、今も変わらず終始笑顔でいらっしゃいます」
「ははは、妹はそれを勘違いしたと言うのか?」
男爵はカタカタと震え出し、息子は慌ててリンダを呼び戻すように遣いを出した。その様子を意地の悪い顔で見ていた侯爵は、ふむと思い出したように、ポツリと呟いた。
「そう言えば、私がフリードリッヒにリンダのスパイ疑惑が掛かっていた時に、リンダを調べるように申し渡したな…、もしや、それが原因でこのような勘違いを起こしたのかもしれんな。それで、勘違いをしたのであれば、リンダには申し訳の無い事をしたな」
旦那様、それは相手を油断させ、懐柔する作戦ですね。
「ああ、それで、リンダさんがフリードリッヒ卿のお遣いに行かれていたのですね」
コレがリンダが勘違いした原因をそれだとしても、ただ、遣いを頼まれていただけで、フリードリッヒ様が同行したことは一度もない。あれのどこにそんな勘違いをする要素があるのだろうか。まあ、百歩譲って勘違いしたとしても、チョーカーを盗むのは良くない。旦那様の助け舟で、心無しか男爵の顔色が良くなったような気がするわね。でも、しかし、これだけびびっていてよく旦那様の下で働けるわね。
「妹は夢みがちで、早とちりな所がございます。今回の件は私達が、もう少し、リンダの話しを聞くべきでした。今、遣いを出しましたので、母と一緒にすぐに帰ってくると思います。チョーカーにつきましては、リンダに話を聞いてみなければわかりませんが、リマンド侯爵令嬢の物を盗むのは到底許されることではございません」
頭を垂れ、ぽつぽつと謝罪の言葉を述べるリンダの兄は可哀想なくらい憔悴し、その横でガタガタと震えながら、申し訳ございませんでしたと壊れた人形のように繰り返す男爵は哀れだ。
「確かに、願望を皆に言っているくらいなら、まあ、笑い話で済むだろう。話しを聞く分には、フリードリッヒやマリアンヌを貶めている訳では無さそうだからな。しかし、お前が言う通り、盗みに関しては目を瞑る訳にはいかんのだよ」
旦那様の仰ることは最もだわ。一人許してしまえば、この先、同じことをする者が必ず現れ、統率が取れなくなってしまうのは目に見えている。
「あの、盗みを働いていた場合、娘の処罰は…」
使用人の場合はその物が高価でない限り、解雇が普通だ。上目遣いで伺うように尋ねる男爵の顔には、解雇で済ませて貰えるだろう、という甘い考えがありありと見え周りの人に不快感を与える。
「解雇と、リンダ嬢には我が家の敷居を跨ぐ事を生涯禁止する」
男爵はあからさまにホッとしたような表情を浮かべた。侯爵はリンダをリマンド侯爵家の侍女では無いと言う意味を込めて、リンダ嬢という余所余所しい言葉を敢えてチョイスした。
「わかりました。そうであれば、すぐに、リンダの荷物を引き取りに伺います」
「私がリンダに与える罰はね」
男爵の身体がビクッと跳ねる。
「と、申されますと」
侯爵は普段通りの柔和な笑みを浮かべながら、優しい声音で言葉を紡ぐ。
「私が与える罰は、と言ったまでだよ。君は、テイラー伯爵令嬢の騒ぎは知っているかい?」
「はい、噂程度で御座いますが」
テイラー伯爵令嬢がフリードリッヒと自分が恋仲であるにも関わらず、マリアンヌが権力を傘にフリードリッヒを奪ったと派手に触れ回っていた騒ぎだ。既に決着は着いたもので、王都に住んでいる貴族達は知らない人はいない。
「ふむ。実は先日、テイラー伯爵が我が家に来てな、彼から娘を女神の教会へ入れたと報告を受けた。私は彼にそこまでの罰を下すように要請したつもりは無かったのだが、そうでもしなければ、門家とテイラー伯爵家に尽くしてくれている者達に示しがつかんと言っておった」
脅しだ。テイラー伯爵令嬢より、程度は軽いとはいえ、同じような過ちを犯したリンダにそれに準ずる罰を与えよという。
「さ、左様で御座いましたか」
「うむ。まあ、男爵の家の話しだが、我が家にも関わりがあること故、報告だけはしてくれ」
「はい」
押し黙る男爵を気にする様子も見せず、侯爵はのんびりとお茶に口を付け、人の良さそうな表情のまま念を押す。
何て方なの。今のフリードリッヒ様では旦那様の足元にも及ばない。正式に婚約をされて、旦那様の補佐をするようになってから、フリードリッヒ様の憔悴感が半端無い。お嬢様の手前、隠していらっしゃるみたいだが、相当お疲れで最近ではお嬢様もご心配の様子だ。




