スミス侯爵家の夜会 ③
スタージャ様のお茶会の翌日、マリアンヌはフリードリッヒの為の刺繍をしている。騎士は持ち物全てに自分の紋章を名前の代わりに、恋人や婚約者が刺繍を入れるのだ。だから、刺繍が入っている持ち物を持っていると、売約済みと一目瞭然でわかる。騎士職は人目に着くので、そうやって、恋人や婚約者が他の女性に牽制する習慣がある。
「エリオット嬢が教えてくださいましたの。ですから、私がフリード様の婚約者だって、皆にアピールする必要があるの」
お茶会に参加された噂好きの令嬢とは、エリオット嬢だったのね。ナイスなチョイスだわ、スタージャ様。魔法学園にエリオット嬢が戻ったら、あっという間に拡散されるわね。
小説の学園でのお嬢様の取り巻きの一人。確か、ジョゼフ殿下に恋心を抱いているのよね。そして、お嬢様の取り巻きであったにも関わらず、お嬢様が窮地に陥った際には、手を差し伸べることはせず、背後にから追い討ちをかけた人物。お嬢様がリマンド侯爵家から冷遇されているという噂を流した張本人だ。
エリオット嬢は、上皇陛下がお嬢様とジョゼフ殿下の婚姻を望んでいる事を知っている。彼女はお嬢様とフリードリッヒ様の婚姻が上手くいくことを願っている。なら、利用しない手は無い。上手くいけば、学園だけでなく、社交界でも嬉々として噂を広げてくれるだろ。
「左様でございますか、なら、頑張って下さい。エリオット嬢にお礼の手紙を書く事をお勧め致します。他にも、良い情報を貰えるかもしれません」
ユリは青系統の刺繍糸をケースから出して、マリアンヌの前に並べていく。
「そうね、そうするわ。彼女のお兄様も近衛騎士だから、色々知ってらっしゃるわよね。それから、テイラー嬢があまりにも噂が広がっていると仰って、スタージャ様が夜会に誘って下さったの。迎えに来てくださったフリード様に私が中座するなら、夜会に来るようにおっしゃられたのよ。ユリ、そう言うわけで、スミス侯爵主催の夜会に出席することになりましたの。」
マリアンヌの言葉に刺繍糸を準備しているユリの手が止まる。
「お嬢様、どうしてそう言う大切なことをお帰りになってすぐに仰らないのですか?ああ、ドレスはどれに致しましょう。髪飾りは?靴は?あまりお日にちがありませんね。あっ、お嬢様、その日、テイラー伯爵はいらっしゃるんですか?」
スタージャ様、しっかりとお約束を守って下りありがとうございます。
ユリはそのことを知らないはずなので、大袈裟にマリアンヌに慌てて見せる。
「いらっしゃるわよ。」
「でしたら、フリードリッヒ様と揃いの衣装が宜しいですね。今から、新しくご用意する時間もございませんし、お嬢様の誕生日の日にお召しになったドレスに致しましょう。フリードリッヒ様と揃えてお作りしたものですし。」
フリードリッヒと服と生地を揃え、藍色の青薔薇の紋章が大きくスカート部分に入っているドレスだ。マリアンヌの誕生日祝いとして、リマンド侯爵夫人が贈ったものだが、それを選び、仕立て屋のオーナー、マダムとデザイナーに細かく指示を出したのはフリードリッヒだ。フリードリッヒの執着が、具現化したものと言っても過言ではない。
「今回はスミス家主催の夜会ですし、あのドレスでなくても…。」
頬を染めておずおずと伺うマリアンヌに、ユリはバッサリと言い捨てる。
「テイラー伯爵がいらっしゃるんですから、あのドレスを着て行くべきです。あのドレスは、フリードリッヒ様のお見立てですので、後、誕生日にいただいたジュエリーもお付けくださいね。」
ユリの目がキラッと光った。
そのドレスに合わせて、フリードリッヒが贈った装備具は、彼の髪を連想させるプラチナで出来た薔薇のモチーフの物だ。
一人で真っ赤になってブツブツ言っているマリアンヌをユリは見据えてピシャリと言い放つ。
「お嬢様、何を勘違いなさっているのか存じ上げませんが、ドレスは戦闘服でございます。フル装備で闘いに挑まれるべきかと存じますが。」
こんな所が甘いのよね。社交界にあまり出席されてないから、仕方ないとはいえ、もう少し、スタージャ様を見習って欲しいものだわ。このままでは、知らぬ間に追い詰められて潰されかねない。早急に対策を練らなきゃならないわね。
「ユリ、そのドレスを用意して頂戴、フリード様にもその旨伝えて。」
マリアンヌが表情を引き締めて、指示を出したことにユリは安堵した。
「畏まりました。」
衣装部屋で夜会で着る予定のドレスとアクセサリーのチェックをする為、ユリはドレスルームへと入る。
ドレスのほつれやしみはないわね。後は、装備具と…。ん?ここにあるはずの薔薇のチョーカーが無いわ。
フリードリッヒ様から贈られた、薔薇の硝子細工が付いたヌメ革のチョーカーだ。
「どうしたのユリ?」
「お嬢様、最近、薔薇のチョーカーをお付けになられましたか?」
「使ってないわ。あれは硝子細工ですから、今の季節は…。」
涼やかなデザインの為、春の終わりや夏の装いに合わせて使うので今の季節には不向きだ。
「そうでございますわよね…。」
ユリの顔が浮かない。
「ユリどうしたの?」
「それが、無くなっていたのです。ガラスケースに他のアクセサリーと共にしまっておいたのですが…。」
「他のアクセサリーやドレスは?」
他の宝飾品は一切無くなっていない。ドレスやワンピースもパッと見ではあるが、全て揃っているようだったわ。
「それが、無くなっているのはそのチョーカーのみなんです。」
高価な品が無くなっているならまだしも、チョーカーのみというのがなんとも不気味だ。
「横に落ちているとかは無い?」
「はい、下も、他の棚も確認したのですが見つかりません。物取りの犯行としても、良い品ではあるのですが、なにぶん硝子細工ですので売っても二束三文にしかならないと思うんですけど…。リサにも見なかったか聞いておきますね。他のアクセサリーでしたら気にも致しませんが、フリードリッヒ様から頂いたものですし」
「ええ、お願いね。」
嫌な予感がするわ。
「リンダが間違えて他の所にしまったのかしら?」
「リンダに宝飾品をしまうように頼んだことはございませんが、今リンダは一週間暇を貰って実家に帰っておりますので、帰って来たら一応確認しておきますね。」
旦那様を襲った犯人は一応クシュナ夫人とオルロフ伯爵ということに落ちつき、リンダは久々、実家へ帰っている。今は、社交界シーズン、リンダも彼方此方の夜会やお茶会に出席しているのだろう。
「ユリは夜会に出席しなくても、良いの?」
ご自分の結婚式の話が出るようになって、私の婚姻をやたら心配してくださるようになった。
ユリはその度に、自分の優しき主人を納得させる言葉を用意するのに困る。セルロスと婚約しているとは、小っ恥ずかしく中々口にし難く、その事を根掘り葉掘り聞かれると、回答に窮するのもその原因だ。何せ、マリアンヌに年上らしく助言している身で、我が気持ちを暗中模索中なのだから。
「私は決まった方がおりますので、ご心配なさらないで下さい。」
マリアンヌの言わんとしていることが、わかったのか、にっこりと返事し言葉を濁す。
余計な事を聞かれる前に退散するべきね。
マリアンヌの視線にユリは咳払いをして、フリードリッヒ様に衣装の件を伝えて、衣装の確認もして来ますわね。と言って部屋からそそくさと出て行った。




