エーチェ ④
エーチェにとってマルシェは庭だった。裏通りから、抜け道まで熟知している。貴族としてクラン子爵家に行っても、マルシェの人達は他の貴族に接するより気安い。
その上、マルシェに店を構えている者達にとって、貴族の御用達になるのは誉だ。彼らはそれを売りにして商売をしている。エーチェにとって、リマンド侯爵家と取り引きしている店を探すなど容易なことだ。
肉屋と野菜屋はリマンド侯爵家と取り引きをしている。はあ、肉屋の娘はいけすかないのよね。ただ、野菜屋のサアシャより見栄っ張りで口が軽い。なんだかんだ言って、サアシャは惚れっぽいがちゃんと忖度出来るし、口が硬く姉御肌だ。だから、女の子達の中心的存在だった。ビオラがエーチェと一緒にいるようになってから、やたらとビオラのことを気にしてる風だったから、サアシャに聞くのは得策ではないだろう。
気が進まないけど、肉屋の娘に聞くのが良いわね。
エーチェはそれとなく、ギルド店舗の店先で肉屋の様子を伺う。肉屋の娘は退屈そうに、人差し指で髪をくるくると捻りながら、客を品定めしていた。
頑張って手入れはしているのだろうが、毎日、日の当たる店頭に立ち客の相手をしている彼女は、侍女の手によって毎日磨かれているエーチェに比べると見劣りする。
エーチェはお金の受け渡しをしている肉屋の娘の手と、綺麗に手入れされた爪をみ比べて細く微笑んだ。
視線を感じたのか、肉屋の娘がエーチェに気がつくと、彼女は虫の居所が良くないのだろう、エーチェをいつもの通り小馬鹿にしたような雰囲気でエーチェのそばへ近寄って行く。
「こんにちは、子爵令嬢がこんなとこで何の用かしら?」
到底、貴族に対する態度とは程遠いもの言いに、エーチェは苛立ちを覚えた。
「まるで、私が此処へきたらいけないような物言いね」
「誰もそんなこと言ってないわよ。ただ、貴族の御令嬢が一人でこんな処をうろついてるなんてね?」
含みのある言い方が鼻に付く。
明らかに、貴族である自分を下に見ているわよね。
「何が言いたいの?」
「別に?ただ、子爵令嬢?なのに、護衛を付けなくても危険じゃないんだなぁと思って、最近では騎士家の令嬢でも護衛を連れているのに。まあ、愛人の娘を連れ去るような輩は居ないかな?それに比べたって、貴女の腰巾着は出世して、リマンド侯爵家の離れを任されているみたいだけど?」
どう?悔しいでしょう?とでもいう風にニタニタ笑いなかがら耳元で囁く。
「え?」
腰巾着…ビオラが、リマンド侯爵家の離れの担当?
「リマンド侯爵家はね、平民でも認められれば侍女になれるのよ」
クスクスとエーチェの耳元で肉屋の娘は笑った。
「無礼な!」
耐えきれなくなり、エーチェは怒鳴り声をあげると、手を振り上げる。
「キャー!お貴族様がぁ!」
肉屋の娘は叫び声を上げると、ぶるぶると震えて身を守るように顔を庇うような大勢を取った。
マルシェの人達の視線が一気にエーチェに注がれる。エーチェは振り上げた手をワナワナと震わせ、キッと肉屋の娘を睨み付けた。
どう見ても、いきなりエーチェが、言われ無き肉屋の娘を叩こうとしているようにしか見えない。密やかではあるが、非難の声と視線がエーチェに向けられる。
エーチェはどうにか振り上げた腕を下ろして、肉屋の娘を人睨みすると人々の視線を避けるように、待たせてあった馬車へと逃げ込んだ。
悔しい!悔しい!悔しい!
いつもこうよ!あの娘には勝てない!
彼女はエーチェの一番痛い所を効果的に突いてくる。そして、エーチェはいつも悪者にされる。仲間はずれにされているのは、エーチェなのに、周りの人達は皆、エーチェに非難の眼差しを向けてくる。エーチェに貴族の血が入っているから直接は誰も何も言って来ないが、面倒な我儘な子と認識されていたことはエーチェに充分過ぎるぐらい伝わっていた。
落ち着くのよ。最初からわかっていたじゃ無い。
エーチェは怒りに任せて、持っていた扇子をバキッと真っ二つに折った。
欲しかった情報は得たわ。ビオラはクビになったわけでは無かった。ただ、ことを実行する前に移動になっただけだった。ユリの予定はきちんと知らせていた、彼女が裏切ったわけじゃない。リマンド侯爵家で出された命令に、ビオラが物申せるわけないわ。
肉屋の娘はビオラは出世したと言っていたじゃない。なら、私の言付けを守っているのよ。
エーチェはビオラに、リマンド侯爵家の人達に気に入られなさいと命令した。気に入られれば、色んな情報が入って来るからだ。
今、冷静になって考えれば肉屋の娘の戯言など、流せばいいだけなのに…。彼女は言い方はアレだけど、エーチェの欲しい情報を確実にくれるのだから。それより、ビオラと連絡を取る方法を考えなきゃ。
ただでさえ、リマンド侯爵家の使用人は皆、住み込みで正式に申し込まないと会えない。休みはきちんとあるみたいだがそれを知るのも難しい。
ラティーナお姉様がユリさんに会いたいが為に、執事のセルロスに付き纏った気持ちが少し分かるわね。確か、執事のセルロスが屋敷の者のシフトを決めているのよね。彼に近づく必要があるわね。
彼の婚約者はあのユリという侍女だという。
地味で可愛くもないし、男好きするような色気も無い。どうしてあんな女が良いのかしら?
この前、マルシェでユリを拉致する時に見たが、黒髪に美しい顔立ちをして神秘的な雰囲気の青年だった。あの肉屋の娘がえらくご執心らしく、必死で口説いている様子だったが全く靡く様子を見せなかった。
ユリより見目だけなら、肉屋の娘の方がだいぶ良いのに。セルロスって、女の趣味が悪いのかしら?それとも、貴族というブランドに弱いのから?それなら打つ手があるわ。見極めが大切ね。




