エーチェ ③
屋敷の中が妙に慌ただしい。エーチェはその理由を知っている。使用人達はそのことでエーチェが不機嫌な事を理解していて、皆、腫れ物でも扱うかの如くエーチェに接する。その事が、より一層エーチェを苛立たせた。
使用人に当たり散らすエーチェを、クラン子爵夫人は懸命に宥める。
「エーチェ、辛抱なさい。一時のことよ。落ち着いて、ね、このままでは使用人達が貴女から離れて行ってしまうわ」
エーチェは母の言葉を心の中でせせら嗤う。
粗雑にあつかったからって、私から使用人が離れていくわけがないわ!だって、この家で一番大切にされているんですから!
現に、姉であるラティーナよりエーチェに対して、使用人達は遥かに丁寧に接してくれている。
エーチェは市井で学んだ。上手く立ち回れば、自分より身分が上であっても爪弾き出来ると。
市井にいた頃、エーチェがクラン子爵の子供であることは、エーチェの周りの大人達は薄々感じていたはずだ。だから、ある程度は丁寧に接してくれていた。だけど、遠巻きに見られて、皆何処となく余所余所しくて、決して仲間には入れてくれなかった。
貴族でもなく、市井の者達とも違う異質な存在、それが、市井でのエーチェだった。ビオラはいつも一緒に居たが、彼女が本当はサアシャ達と遊びたがっていたことをエーチェは知っていた。彼女は両親に言われ、嫌々エーチェと居たのだ。その事実が腹立たしくて、エーチェはビオラに辛く当たった。
エーチェの両親はエーチェに友達を用意した。でも、その友達はかりそめだった。その時に悟ったのだ、権力を傘に人を支配しても、それはかりそめであると、それより、心を操作して、自分に関心を持つ様にした方が、ずっと良い結果が得られると。
市井では貴族の落としだねであるエーチェより、肉屋の娘が皆の中心だった。
今は権力を持っているラティーナより、エーチェの方が皆に大事にされている。
そうだ。ラティーナの為の祝いの席を利用すれば良いのよ、ラティーナを辱めて、ソコロフ公子との婚約を破棄させれば良いわ。後、ラティーナをダシにして、フリードリッヒ様をパーティへ呼びましょう。お父様は盛大に行われるみたいだし!
ふふふ、そう考えると、お姉様のお祝いも楽しみになって来たわ。
「お母様、招待客のリストを見せて下さい」
「招待客のリストを?」
夫人は急に機嫌が戻ったエーチェに、不思議そうに手に持っていたリストを渡す。
リストから、リマンド侯爵元夫人の名と、リマンド侯爵夫妻、そして、ソコロフ侯爵夫妻と、ラティーナの婚約者であるソコロフ公子の名前を見つける。が、リマンド侯爵令嬢とフリードリッヒ様の名は無かった。
ん?ユリとかいう侍女の名前もないわね?
「お母様、ユリさんのお名前が見当たらないんですけれど…」
夫人はどうでも良さそうな素振りで、招待状を書く手を止めた。
「彼女、まだ社交界デビューをしていないのよ」
「え!嘘でしょう?」
社交界デビューしていない?
「こんな下らないことで嘘なんか吐かないわ。彼女と接点を持ちたい貴族達は、そのことがネックとなって、中々コンタクトを取ることに苦心なさっているみたいよ」
どうして、あんなに地味で冴えない侍女と、接点を持ちたい貴族がいるの?
「何の為に?」
「リマンド侯爵令嬢が夜会に滅多にお顔をお出しにならないことは、貴女も知っているでしょう?取り入ろうにも、方法が無いのよ。お茶会だって、お誘いしても、侍女の書いた不参加の返事が返って来るのみと専らの噂なの」
侍女の書いた返事…。
「まさか」
「そのまさかよ。リマンド侯爵令嬢の正式な侍女は彼女だけ、それが何を意味するかわかるでしょう」
あの、ユリという侍女のお眼鏡に適わないと、御令嬢に手紙すら見て貰えないなんて!それで皆が彼女を取り込もうと必死になるわけね。
「それだけの為に…」
最近では、婚姻の申し込みまで行う者もいるらしい。
「まあ、次期侯爵の椅子が空席になったのだから…ねえ。現在時点では、フリードリッヒ様が有力視されているけど、公式な陛下の承認が下りてない今、誰にでもチャンスはあるわ」
次期侯爵の椅子はそんなにも魅力的なのね、門家の誰かの人生を犠牲にしてでも手に入れたいものか。
まあ、リマンド侯爵令嬢も地味なお顔立ちで、宰相閣下そっくりだと専らの噂だ。リマンド侯爵家の侍女達が見目麗しい貴族の令嬢ばかりだから、そんな人達を側に置くのが嫌で、あの地味で冴えないユリさんを重用してるのかもしれないわね。
「お母様、リマンド侯爵令嬢をお姉様のパーティーに呼ぶ事は可能ですか?可能であれば呼んで欲しいのです。もし、いらっしゃると返事を頂いたら、リマンド侯爵令嬢に会いたがっている方々に恩を売れますでしょう」
普段は断りの返事を書く侍女も、友人の卒業祝いの席ならお嬢様に行くように勧める可能性が高いわよね。フリードリッヒ様が当然エスコートなさるでしょうから、お姉様の妹として、挨拶する機会もあるはず。お見知り置きになるには良い機会だわ。
シードル様は夜会で沢山の淑女に囲まれている姿を目にするが、騎士であるフリードリッヒ様が夜会にいらっしゃることは無い。故に、顔を覚えて頂く機会もないのよね。
招待客の若い子女の人数を調整すれば、フリードリッヒ様に人が群がることを防げるわ。リマンド侯爵令嬢は彼女目当ての男たちに任せて、私はフリードリッヒ様と…。
そうなると、ビオラの首尾が気になる所よね。リマンド侯爵令嬢が夜会に出れないような事態になっていたら困るわね。
ビオラと連絡を取ろうにも、リマンド侯爵家にビオラがいる様子が無い。辞めたという話は聞かないし、ましてや、捕まったという話も聞かない。
ああ、もう、ビオラはどこにいるの!
リマンド侯爵家に滞在していらっしゃるという、フリードリッヒ様のこともいろいろ聞きたいのに!
姉の祝いの夜会での目的を見つけると、あれほど荒れていたエーチェの機嫌もすっかり戻った。
エーチェは、ビオラと連絡を取る為、リマンド侯爵家に出入りしている業者の処へ向かった。




