エーチェ ②
リマンド侯爵家から帰ってきた返事は、エーチェが期待するものでは無かった。
クラン子爵の顔色は一層悪くなり、夫人もオロオロしだす始末だった。
リマンド侯爵を始め、元リマンド侯爵夫人も皇女様もラティーナの卒業祝いに呼ばれるのを待っていた。社交界デビュー後の誕生日の祝いにも呼ばれていない。その上魔法学園卒業の祝いの夜会の招待状すら来ない。仕方ないので、リマンド侯爵家で開くことにした。妹であるエーチェの時は社交界デビュー後の誕生日の祝いをあれ程盛大にしたのだから、まさか、ラティーナの時は開いていないなんてことは無いと思うが、我々に案内すら出さないとは失礼だ、という抗議の内容だった。
エーチェの時に開いていなければ、いくらでも言い訳が出来たが、エーチェの時は、子爵家にしては、盛大な規模で行っており、リマンド侯爵が求めているのは、それ以上だということが、この手紙から有り有りと伝わって来る。
「ラティーナの為に夜会を開かねばならんな」
落胆した様子でそう呟くクラン子爵に、エーチェは泣きついた。
「何で、ラティーナお姉様の為に夜会なんて開くんですか?」
クラン子爵はエーチェを宥めながら、噛み砕いて、如何にリマンド侯爵家が力を持っているかを説明する。
「かの家に睨まれたら、今後、貴族界でやって行けなくなる。今、この国を動かしているのは、リマンド侯爵だからな。なるべく上手く取り入るに越した事はないんだよ。申し訳ないが、がまんしてくれ」
「そんなぁ…。じゃあ、せめて、私の時の夜会よりも質素にして下さい。私は魔法学園に入れないのに狡いわ」
エーチェの魔力は当然のことながら、魔法学園に入学できる基準を満たしていない。エーチェにとって、ラティーナが魔法学園に入学出来たことだけでも腹立たしいのに、その卒業を祝うなど以ての外だった。
学園を卒業したということは一種のステータスで、それだけで世間に優秀と認められたことになる。金持ちの商会の会長などは、長年に渡り少しずつ貴族の血を取り入れて、魔法学園に入学できる子供を設ける為に、多額の金を費やしてる。
「全くだ。あの契約書さえなければ、ラティーナはマロウ男爵にでも高値で売るのに!忌々しい」
父親の言葉にエーチェは溜飲を下げる。
「お父様、あの契約書は必ず守らなければならないものなんですの?」
エーチェは契約書そのものを見た事などない。ただ、両親が忌々しそうにその事を話しているので、耳にしているだけだ。実物を見たことがないので、エーチェにしてみれば半信半疑だった。
「ああ、王都裁判所で作成した契約書は、何人たりとも覆すことなどできんのだ」
クラン子爵は憎々しげに、そう吐き捨てた。
決して覆すことの出来ぬ契約書。それが、エーチェに重くのしかかった。
「そうですのね。疲れました、少し部屋で休みますね」
エーチェは自室のソファーへ座ると、だらりと背凭れに身体を預ける。
ああもう、上手くいかない。今の恋人だって、好きで付き合っている訳じゃない。ただ、昔、ラティーナが彼を素敵な方ねって言ったから、だから、誘惑して恋人にした。
本当に好きなのは、氷の騎士様。
フリードリッヒ様。
プラチナブロンドの髪にオーブの瞳は冷たい印象を与える。その顔は美しくでも、無表情でまるで氷の彫刻の様。兄のシードル様は燃えるような赤い髪にモーブの瞳、フリードリッヒ様とよく似たお顔なのに、真逆で情熱的で甘やかな雰囲気を醸し出している。そして、三男のリフリード様、真っ赤な木の実のように艶やかな唇に、蜂蜜色の瞳は溢れそうなほど大きくとても愛らしい。茶色い髪が、ふわふわとカールして微笑む姿はまるで天使。フリップ家の三兄弟は今、淑女達の間で憧れの的だ。
スミス侯爵家のスタージャ様がシードル様と婚約された。リフリード様はリマンド家のマリアンヌ様と幼き頃より婚約者だった。ただ、お一人お相手の居ないフリードリッヒ様を皆が狙っていた。
特に、一人娘で婿養子を貰う必要のある貴族の娘は、親を通して婚姻の申し込みをしていると聞いている。でも、婚約なさったなんて話しは聞いた事がなかった。
噂では、心に決めた方がいらっしゃるとか…。
そのフリードリッヒ様が婚約なさると言う噂が、巷で囁かれるようになった。お相手はリマンド侯爵家御令嬢。リフリード様がリマンド侯爵の跡継ぎとして、資質が無い為断念なさり、その後釜として、有力だと言う噂だ。その噂の発端は、社交界デビュー後のお披露目となるリマンド侯爵家ご令嬢の誕生会で、フリードリッヒ様がご令嬢のエスコートをなさったことが原因だ。
昔、肉屋の娘が、冒険者と仲が良いという事実を盾に、男の子達の中心にいたように、誰にも靡かれなかったフリードリッヒ様を、権力を傘にご自分の婚約者になさろうとするリマンド侯爵家御令嬢に無性に腹が立った。
フリードリッヒ様には想いの方がいらっしゃるのに、リマンド侯爵家という壮大な力で、その想いを踏み躙ったに違いないわ!
高嶺の花、結ばれない方。
フリードリッヒ様の想い人はきっと、亡くなった方か、既に婚姻なさった方に違いないわ。そうね、例えばフリードリッヒ様と魔法学園でご一緒だった皇后陛下。
きっとそうよ。あの皇后陛下の美しさなら有り得ないことは無いわ!
ああ、お可哀想なフリードリッヒ様、まるで昔の私の様。好きでも無い、不細工なリマンド侯爵家ご令嬢と婚約させられせそうになってらっしゃるなんて!ビオラはちゃんと任務を全うしたかしら?
流石に、不細工な上、爛れた跡でもできたら美しいフリードリッヒ様の横に並ぶのを躊躇うわよね。
まあ、リマンド侯爵の力があるから、婚姻はしたとしても、流石にリマンド侯爵家令嬢もフリードリッヒ様が
愛人を持つことを咎めはしないわよね。
それより、お姉様の為の夜会を開く事になるなんて!折角、お嬢様の想い人を取ってやったのに、よりによって、ソコロフ公子と婚約するなんて!
力任せに抱き締めていたクッションを壁へと投げつけた。
エーチェは生まれながらにして、与えられた権力を我が物顔で使う人が嫌いだった。幼少期は肉屋の娘、そして、この家に来てからは姉であるラティーナ、そして、今はリマンド侯爵家御令嬢もそれに追加された。
すみません。次回から更新が遅くなります。
仕事が忙しくて…。




