クラン子爵邸 ②
「ちょっと、失礼よ!貴女、何故、我がクラン子爵家の女主人が姉様なのよ?」
憤るクラン嬢に、ユリは敢えてキョトンとした表情を作る。悪意のかけらも無く、ただ、ただ知識のみをひけらかす愚かで世間知らずの娘を演じる。
「え?それは公然の事実でしょう?貴族なら皆知っていますわ。だって、王都裁判所で採決されているでは有りませんか?ですから、ラティーナ様が出て行けと言えば、妹である貴女はこの家から出ていかなければならないのでしょう?それに、今、着ている服であれ、ラティーナ様のモノですわよ。そうですわよね、子爵。確か、その証書には、ラティーナ様がお生まれになったその日から、クラン子爵の全財産は全てラティーナ様のモノになると記入されていて、ただ、ラティーナ様が家を継ぐまで、子爵が後見人として、父親として管理なさると記されているんですわよね。他にこのような家は、バナード男爵家、モーマン子爵家が御座いますわ」
無茶苦茶な論理だが、間違っては無い。詔書にはクラン子爵家の全てをラティーナの母親が産んだ子供が継承すると書いてあるから。
それに気が付いたのか、子爵の顔色が幾分良くなった。上手く引っ張れば、特に深く考えるでも無く、何でもしゃべると思ったのだろう。それに比べて、クラン嬢の形相は酷いものだ。目が吊り上がり、今にもユリを睨み付けそうな勢いだ。其れを隣に座る夫人が必死で止めている様子が見て取れる。
「ユリ殿は、ラティーナ様がマダムの店でドレスを作った事をご存知かな?」
「はい、美しくラティーナ様にお似合いだったと聞きました」
それが何か?とでも言う風にユリは尋ねる。
「いや、マダムの店は紹介がないと注文を受け付けないと聞く。誰がラティーナをマダムに紹介したのかと思ってね。その方へ、父として礼をするのが通りだろう。ラティーナに手紙を書いたが梨の礫でね、お恥ずかしい限りだよ。君はその方がどなたが知らないかい?」
良い父親を装ってはいるが、その言葉の端々にラティーナへの侮蔑の念が感じられ、とてもでは無いが気分良く無い。
「存じ上げません。お力になれず、申し訳ございません。ラティーナ様が学園へ入学されてからは、手紙の遣り取りしかして居らず…。その内容も、私が学園の事を質問してラティーナ様が答えてくださると言った具合で…ラティーナ様の個人的な話はございませんでしたので…」
「そうか、なら、質問を変えよう。ラティーナが親しくしていた貴族をしらないかな?」
ユリは考える素振りをする。
「さあ、私は存じません。私の知る限りでは、私がラティーナ様と一番仲良くさせて頂いたと思っております。ただ、それは学園へ入学される前までの話で、入学されてからは、その限りでは無いとは思いますが…」
「そうか、ありがとう。君はラティーナと何処で知り合ったのかね?君がお使えしているマリアンヌ様は滅多に社交の場に出られないと聞くが…」
それはラティーナ様も一緒でしょう?今でこそ違うが、ソコロフ公子と婚約なさる前までは、ラティーナ様が社交界にお出ましになることなど、デビュタントとクリスマスの夜会だけだったじゃない。
「ラティーナ様とは、パブロ商会で出会いました。私がタチの悪い冒険者に絡まれている所を助けて下さり、それ以来の付き合いです」
パブロ商会で出会ったのは事実だ。
「パブロ商会で?」
何故、リマンド侯爵家の侍女がパブロ商会に出入りしているのだという顔ね。
「はい、会長とは懇意にさせて頂いております」
「それは、ラティーナも?」
子爵はラティーナ様も、パブロ商会の会長と親交があると思ったみたいだった。
「いえ、ラティーナ様は当時冒険者だったので用品を買いにいらっしゃったのかと…」
その言葉に子爵は納得のいった様子だ。
「今日はご馳走様でした。助けて頂いた上に、夕食までご馳走になりまして、ありがとうございます。あの…、お嬢様が心配なので、そろそろリマンド侯爵家へかえりたいのですが…」
「もう少し、ゆっくりして行って下さい。同じ貴族地区とはいえ距離がありますからな。途中で具合でも悪くなったら、マリアンヌお嬢様に申し訳が立たない上、我がクラン子爵の名に傷が付きます」
こう言われてしまえばユリも引き退る他無い。
「もっと、姉様の話を聞きたいわ。デビュタントのドレスは間に合わなかったけど、私もマダムにドレスを作って頂きたいの!ユリさんはリマンド侯爵家の侍女さんだから、マダムと面識があるでしょう?どうやったら、マダムにドレスを作って頂けるかご存知でしょう。誰に紹介状を書いて貰えばいいの?」
そう言えば、デビュタントのドレスを作って欲しいと依頼して、門前払いを食らったんだっけ…。はあ、何か有益な情報を提供しないと、帰して貰えそうに無いわね。
「マダムの店の予約は一年以上先まで埋まっております。ですので、紹介状が有っても無理かと…」
「え?じゃあ、姉様をはじめ、皆様どうやってドレスを作って貰ってらっしゃるの?その絡繰をユリ様はご存知ですか?」
クラン子嬢は心底驚いた顔をした。
あっ、そんなことも知らなかったのね。
「実際には紹介状では無く、その方の予約を譲って頂くのです。ですから、マダムの店でドレスを購入したいとお考えでしたら、誰かの予約を譲って頂かなくてはなりません。クラン嬢は誰か予約を譲って頂ける伝手はございますか?」
ユリの言葉に、クラン嬢は固まる。
居るわけないよね。クラン子爵夫人は、社交界で高位貴族の御夫人方に腫れ物扱いされているのだから。基本的には母親や、その親類の予約を何かお祝いで譲って貰うのが一般的だ。
一度ドレスを作り、専用のデザイナーが付けば、晴れてマダムの店のお客様になれるという仕組みだ。但し、デザイナーには限りがあるので、初回にマダムに気に入られなければ、顧客になることは出来ない。
デザイナーは請け負ったドレスが完成するまで、他のドレスをデザインすることは無い。お針子と一緒にドレスを制作するので、デザイナーの数しかドレスを請け負わない。それに、ドレス一着に一ヶ月以上要するしね。
「姉様は誰から、予約を譲って頂いたのかしら?」
クラン嬢は考え込んでしまった。
不思議だよねー。そんな知り合い居そうにないもんねー。真逆、奥様だなんて考えも及ばないよね。
「私には判りかねます。こういうのは母親の人脈ですから…。マダムは愛人のドレスを作らない事で有名です。ですので、男性が奥様の予約でドレスを他の女性へプレゼントなさるのは、無理でございますから。全てはラティーナ様のお母様の人脈なのでしょうね。私にラティーナ様のお母様の人脈など、知ることはできません。子爵が一番詳しいのではございませんか?」
ユリの言葉に、クラン嬢は絶望的な顔をした。ラティーナの母親の人脈であれば、彼女が使うことは不可能だからだ。彼女は自分がラティーナの母親の友人達から、無条件に嫌われていることを熟知していた。
だからこそ、クラン嬢はラティーナが憎かった。亡きとはいえ侯爵家令嬢の娘、その血を引くラティーナと稀代の歌姫であった母親を持つ自分。社交界での人脈の差は如実だ。母と父が愛しあっていたのは事実だが、父は母を捨てて侯爵の娘であるラティーナの母親を選び結婚した。彼女が亡くならなければ、クラン嬢は一生愛人の娘だった。市井の小さな家で母と、父が来てくれるをひらすら待ち焦がれる生活。
その格の違いをまざまざと、それも、自分のテリトリーで見せ付けられ、クラン嬢は腑が煮え繰り返った。不味いと感じたのだろう、夫人がクラン嬢を連れて部屋から出て行くと、部屋の中にはユリとクラン子爵の二人きりになる。背後に使用人が控えてはいるが彼等は数のうちに入らない。
なんとも言えない沈黙が部屋を支配する。その沈黙を破ったのは、ドアをノックする音だった。
「リマンド侯爵家の馬車が参りました。ユリ様のお迎えだそうです。また、旦那様への手紙も一緒に預かりました」
クラン家の執事が、一通の手紙を子爵へ渡す。子爵は手紙を受け取ると、忌々しそうにユリを一瞥し、執事にユリを馬車へ案内するように申し付けた。
良かった、リマンド家へ帰れる。
ユリは心の中で安堵の吐息をそっと吐いた。
誰からの手紙かしら…。




