クラン子爵邸 ①
一人になった部屋でユリは考える。
彼等はラティーナ様を失脚させる為の情報を欲している。それを何としてでも聞き出そうとして来る筈だ。ラティーナ様からの手紙に書かれていた内容を痛む頭で必死に思い出す。社交界デビューも済ませて無い小娘が、長年貴族として社交界を政界を渡り歩いているクラン子爵夫妻とちゃんと渡り合えるだろうか…。
ユリは手が冷たくなる手をギュッと握り締める。
マルシェが楽し過ぎて、少し不用心になってたわね。セルロス、心配してるかな…。クラン子爵、ちゃんとリマンド侯爵家に使者を送ってくれたかな。取り敢えず、夕食をご馳走になったらすぐに帰れるようにお願いしなきゃね。お嬢様が就寝なさる前にはなんとしても帰りたい。
ノックする音がして、メイドが食事の用意が整ったと告げて来る。ユリは重い腰を上げ、鬱々とした気分で食堂へと向かった。
クラン子爵邸は古くはあるが、その建物は落ち着いた雰囲気でセンスが良く美しい。ただ、時折飾られている絵の額縁がケバケバしく中の絵と壁とチグハグでなんとなく残念な気持ちになった。
案内された食堂へ入ると、子爵夫妻に令嬢が席に着いていた。ユリも促されるままテーブルに着く。
食事は子爵家にしては質素だが、其れを盛り付けてある皿は高価な品だった。良く見ると子爵夫妻と令嬢の服も高価な物では無く、華美な装身具とチグハグで急拵え感が見て取れる。
ああ、ラティーナ様が冒険者をして、お金を貰えなかったと記事にあったからかしら?それとも、マダムの所でドレスを購入したから?
「こんな物しかご用意が出来なくて御免なさいね。ユリさんがいらっしゃるとわかっていたら、もう少し、マシなモノをご用意できたのだけど」
子爵夫人は申し訳なさそうに眉尻を下げるが、令嬢は用意されている普段より豪華な食事に対して明らかに不満そうだ。
「お気になさらないで下さい。以前、ラティーナ様と食べた食事に比べれば凄く豪華ですから」
ユリは笑顔で夫人に答えた。
嘘じゃないわ。パブロ商会へ行くときにご一緒して、その時、ラティーナ様が狩ったワイドボアのステーキ。炭火で焼いて塩と胡椒を振っただけ、それに比べればどんな食事だって豪華だわ。
冒険者の食事そのものだったが、満天の星空のもと食べたそれの味は格別だった。
その楽しかったひと時を思い出して、ユリの顔は綻ぶ。
「あら、そうなの?ラティーナが御免なさいね。貴女にそんな酷い食事を出していたなんて」
引き攣った笑みを浮かべる夫人に助け船を出すべく、子爵は話題を変えてくる。
「君はラティーナとどの様に知り合ったのかね。噂では、ラティーナが君に迷惑を掛けたと聞いているが」
セルロスの件ね。平民の執事を追いかけ回していたラティーナ様は、ソコロフ家の公子との婚約者として相応しく無いと言いたいのね。
「いえ、ラティーナ様に迷惑をかけたのは、私の婚約者のセルロスです。セルロスが私とラティーナ様が余りにも仲良くしているものですから、少し嫉妬いたしまして、私との連絡を全て自分を通すようにとラティーナ様に申したみたいで…」
これは前もって、セルロスとラティーナ様と打ち合わせをしていた。これで、ラティーナ様は私と会う為に、セルロスからの許可を得る為、セルロスに媚びて付き纏っていたということにしたのだ。セルロスはリマンド侯爵家の執事、私のシフト管理の権限を持っているから、少し強引ではあるがこれで通せるだろうという算段だ。
当てが外れたのか、子爵の顔が引き攣ったように感じた。
「そうだったのか、なら、君はラティーナとは凄く仲が良いのだろう。ラティーナから聞いているかもしれんが、ここに居る妻とラティーナは血の繋がりが無い。また、妹とは現妻との間に生まれた子でね。その為、ラティーナは妹や母に心を開こうとしないのだよ」
困ってユリに助けを求めている風の子爵に、夫人が援護射撃をする。
「そうなの、私が彼女の母君が亡くなってすぐに後妻に入ったものだから…、赦して貰えなくて…。私と彼は彼女の母君と婚姻する前から恋人同士で、彼が家の為に婚姻したので泣く泣く結婚を諦めた間柄だったのが、ラティーナの気に障ったみたいなの。こんなにも、私も娘もラティーナと仲良くしたいのに、未だに受け入れて貰えなくて…」
「そうだったのですね。だから、ラティーナ様は拗ねて、一人で暮らしていらっしゃったのですか…。ですが、それでも子爵は酷いと思います!いくらラティーナ様が拗ねて、お一人で暮らすと仰ったからと言って、乳母と侍女一人しか付けてあげないのは!奥様はこんなにラティーナ様の事を心配なさっていると言うのに!実の父である子爵がラティーナ様にしっかりと援助なさらないなんて!まあ、ラティーナ様の性格ですから、この屋敷からメイドを送っても嫌がる恐れはありますが、なら、ラティーナ様へ好きにメイドに料理人を雇えと仰られれば良かったではありませんか?そうなさらないから、ラティーナ様は奥様や妹さんが自分を嫌っているからなのかと思ってしまわれたのですよ!そう思いません?クラン嬢?」
ユリは母娘がラティーナにした仕打ちを知らない振りをして、思いっきり引いているクラン嬢に同意を求める。
「でも、勝手に出て行ったのは姉様だわ」
「え、クラン嬢はラティーナ様のことをその様に思ってらっしゃったのですね。ラティーナ様の事を本当に心配なさっていたのは、ラティーナ様と唯一血の繋がりのない、クラン夫人だったなんて…。ラティーナ様が家へ帰れない理由が良くわかりました。私がラティーナ様にどうして家へ帰らないのか尋ねても、ラティーナ様は寂しそうに笑われるだけで…。でも、やっと理由がわかりました。ラティーナ様は自分を一番愛してくれる夫人の負担になりたくなかったんですわね」
敢えて思い込みの激しい人の振りをして、ユリは捲し立てる。呆然としていた子爵は気を取り戻すと、軽く咳払いをしユリを睨み付けるクラン嬢に落ち着くように促した。
「君は、ラティーナの性格を良く知っているね。確かに、私はこの家のメイドを連れて行くようにラティーナに言って拒否された。だが、ラティーナのメイドとはいえ、このクラン家のメイドだ。好き勝手に雇うわけにはいかんのだよ。ユリ殿、君もリマンド侯爵家の侍女ならわかるよね」
「それは、ラティーナ様がデビュタント前だったからですか?では、それまでのクラン家の決済と管理はすべて子爵お一人で行ってこられたのですね。本来なら、家の決済権はラティーナ様にあるはずですもの。使用人、一人雇うのも、子爵自ら面接し査定されていたとは…それ程までに、クラン家は厳格なのですね」
ユリの言葉にクラン子爵が口籠もる。




