社交クラブ
月曜日早速お休みを頂いて社交クラブへ参加する。セルロスはお嬢様の為なんだから、業務の一環として参加したら良いのでは?と言ってくれるが、これはご命令では無く私が勝手にやっていることなので、矢張り休日を利用すべきだろう。
そもそも、お嬢様を始めリマンド家の方々はセルロスを除いて、私が社交クラブに出入りしていることを知らないのだから。
「今日は辻馬車を使うんだろ?頼んでおいた」
ユリが準備をして、従業員入口へ行くとセルロスが待っていた。二人で辻馬車に乗り込む。
「ありがとう。乗り合い馬車を使おうと思っていたから、だいぶ早く着くわ」
外に立っていると、貴族の邸宅で働く人達の為の乗り合い馬車が通る。皆、それに乗って通勤している。ユリも比較的安価なそれを使うつもりだった。
「なら、少し街を散策しよう。最近は忙しくて、街へ出る暇も無かったしさ」
「いいよ、付き合ってあげる。何処へ行きたい?」
乗り合い馬車はゆっくり走る上、道中何度も止まるので辻馬車の倍以上の時間がかかる。
「武器屋に寄ってもいいかな?護身用のナイフを新調したくてね」
そう言えば、セルロスは常にナイフを携帯している。まあ、馬に乗り急いで伝令を届けることもあるだろうから、護身用の武器は持っていた方が良いのだろう。
「わかったわ、武器屋ね。なら、マルシェを突っ切った方が近いか」
「マルシェの前で馬車を降りることになるけど大丈夫かい?」
マルシェに馬車を乗り入れる事は出来ない。
「マルシェを歩くのは好きよ」
「なら、歩くか」
「ええ」
馬車を降りてマルシェを散策する。マルシェはあいかわらず賑わいを見せていた。ユリとセルロスが冒険者ギルドの出す店で魔石を見ていると、一人の娘が声をかけて来た。
「こんにちは、セルロスさん。今日はお休みですか?」
ギルドの出す店の横の肉屋の娘だ。
あっ、あの時の。
冒険者に服を強請って一蹴されていた少女だ。
セルロスは一瞬さも嫌そうな顔をしたが、それを引っ込めて執事の仮面を被る。
「いえ、違います。こちらの侍女さんの護衛です」
「本当にお仕事なんですか?私服なのに…?」
「ええ、そうですよ。流石に執事服では目立ちますから」
セルロスは胡散臭い笑みを浮かべ、少し馬鹿にしたように少女を見る。
「そちらの侍女様も、私服じゃ無いですか?何処へ行かれるんですか?」
「貴女に答える義務はありません」
尚も食い下がる少女にセルロスは苛々しながら、バッサリと切り捨てる。
「侍女さん、セルロスさん少し貸して下さい。此処は安全なので護衛なんかいらないですよ。それに、侍女さん、貴族っぽく無いから狙われることなんて無さそうだし。髪だって茶色だし、私より、庶民ぽいっていうか、華が無い?っていうか。ね、セルロスさんもそう思いませんか?」
貸すって?
開いた口が塞がらない。
「我々は遊びで来ているわけではないんですよ」
セルロスが軽く嗜めるが、全く効果は無い。
「えーっ、でも、さっきからマルシェの中をうろうろして遊んでるだけみたいだしー、なら、少しくらい私にセルロスさんを貸してくれてもいいじゃないですかーぁ」
よく見てるわね、この子。確かに、何を買うでも無く楽しく見て回ってはいたが、それがわかるほど、私達を注視してたんでしょう?こんなことを言ってくる人がいるとは青天の霹靂、サアシャさんといいこの子といい、貴族のようにまどろっこしい言い回しなどせず、市井の人達は自分の気持ちをはっきりと相手に伝えるのね。
「はあ、貴女は全くわかっていない。彼女は我が主であるリマンド侯爵の一人娘、マリアンヌお嬢様のお気に入りの侍女。その彼女と、たかが、肉屋の娘とでは価値が違うのは当たり前。その侍女だから、護衛が必要なんです」
「なら、次のセルロスさんの休みに一緒に噴水広場でデートして下さい。そしたら、今日は諦めます」
「話にならない」
セルロスがそう言った瞬間、ユリは首筋に冷たいモノを感じた。
「お嬢さん、命が惜しければ黙って着いてきな」
ユリの耳元で男が低く小さな声で囁く。ユリが頷くと、男はユリの首筋にナイフを当てたまま、もう片方の手でユリの肩を抱きそのまま背後へ下がる様に促す。人混みに紛れると、ユリの口と鼻を別の男が塞いだ。
薬を使われたのだろう。ユリの意識はそこで途絶えた。
ユリが目を覚ますと、天蓋付きのベッドに寝かされ、横にはメイドと思しき若い女が椅子に座っていた。女はユリが目を覚ましたことに気付くと、慌てた様子で部屋を飛び出して行った。
ここはどこ?
真新しいシーツとふかふかの布団、高級そうな調度品の数々。白を基調に纏められた部屋。何処かの屋敷の客間だろうか?マルシェで悪漢に襲われたところまでは記憶がある。それから、何があったのだろう?どう考えてもこの部屋に繋がらない。
手足を動かしてみるが、縛られている様子も、足枷が嵌められている様子も無い。ただ、嗅がされた薬の影響だろうか、起き上がろうとすると頭がズキズキと痛む。命の危険性がなさそうなことに安堵する。
セルロス、心配しているだろうな…。
ユリが嘆息した時、ノックの音がして青い髪の紳士と茶色の髪の派手な装いのグラマラスな女性、そして、青い髪の派手な装いの女性によく似た男好きしそうな妙齢の女が入ってきた。
誰だろ?面識のある方々ではないわね。
貴族であることは一目瞭然なので、ユリは頭痛を堪えて何とか身体を起こすと、紳士が声を掛けてきた。
「どうぞ、そのままで、まだ調子が悪そうですし、私はラティーナの父です。そして、これは義母、妹です」
まるで、私がラティーナ様の友達だと知っている口振りね。
ユリは社交界デビューをしていない為、舞踏会には参加出来ない。それに、仕えているマリアンヌは深窓の令嬢、参加されるお茶会はスタージャが開催しているもののみ。このような状態で、ユリの顔姿などクラン子爵とその家族が知り得るはずがない。
「リマンド侯爵家侍女、ユリと申します。何度お手紙を頂いていたに関わらず、中々お時間が合わず申し訳ございませんでした。あの…どうして、私はここに?ここは
クラン子爵邸でしょうか?」
三人が、メイドに用意させた椅子に座ると、子爵は眉間に皺を作り、膝の上で両手を組んだ。夫人と娘も心配気な表情を作っているが、なんとなく芝居でもしているようで胡散臭い。
「いかにも、ここはクラン邸です。突然、我が家のベッドの上で困惑なさっているでしょう」
「はい、とても驚いております。宜しければ、何故私が此処で寝ているのかを教えて頂きたいのですが…。あと、お手数とは存じますがリマンド侯爵家へ私が此方へお世話になっていると伝えて頂けませんでしょうか?一緒に市井へ行っていた者が心配致しますゆえ」
子爵は笑みを浮かべ、二つ返事で了承すると、背後で控えているメイドを一人呼び寄せた。
「勿論です。おい、リマンド侯爵家にユリ殿をうちで保護していると、今すぐに連絡を入れて差し上げなさい。後、落ち着かれたら、リマンド侯爵家へお送りするので安心して欲しいと伝えなさい」
彼らに拉致された疑いは拭い去れないが、こうして、目の前で命じてくれているということは、取り敢えず命の危険性はないみたい。まあ、メイドに予め演技する様に指示していたらその限りではないけど、態々そのような事をする必要はないよね。
「ありがとうございます」
「当然ですよ、リマンド侯爵ご令嬢のお気に入りの侍女と聴き及んでおりますならな。ああ、何故、ここにいるかでしたな…。実は、偶々、娘がマルシェに行っておりましてな。そこで、馬車に連れ込まれそうになっていた貴女を偶然見付けて、我が家へ連れ帰ったという具合ですよ。護衛も数名連れておりました故に、どうにか対処することができました」
偶々マルシェに行っていて、偶然見つけた、ね。
「左様でございましたか…クラン子爵令嬢、ありがとうございます。あの、彼等を治安部隊に引き渡されたのですか?」
クラン子爵と無関係であれば、彼等は治安部隊に引き渡されているわよね。そうしたら、厳密な取り調べで誰が黒幕かわかるわ。もしこれがクラン子爵の自作自演なら、彼等は一先ず逃がされ、裏でこっそりと始末される可能性が高い。死人に口無しってね。ラティーナ様の話振りからその可能性が否定出来ないのが辛い所だ。
「実は、ユリ様をお助けするのが精一杯で…取り逃してしまいましたの…。また、狙われるかも知れないんですものね。恐ろしいですわよね」
クラン子爵令嬢はわざとらしく眉尻を下げて、上目遣いでユリを見ると口をハンカチで覆い気遣わしそうな表情をつくるが、その口元は口角が上がっていた。作戦が上手くいきそうで、その喜びを表情に出さないように懸命に隠している。
「いえ、助けて頂いただけで…」
ユリの言葉に、夫人と令嬢が顔に喜色を浮かべる。それを見取った子爵が二人を軽く睨んだ。
「先程まで、気を失っていたんだ。ゆっくり休んで行って下さい。帰りに倒れられたら、我が家の面子が潰れますからな。夕食は是非ご一緒に、ラティーナの話もききたいですしな」
子爵は良き父親の顔でユリを夕食に誘う。
はあ、これじゃあ断れないわね。コレが目的だったのね。




