手紙を届けに
クラン子爵家からの手紙は、ユリに会って話がしたいというものだ。ラティーナに騙されているのでは無いかという事と、ラティーナがどうやってマダムの店の予約を取ったのか知っていたら、教えて欲しいという呆れた内容。
はあ、相手は子爵、騎士家の娘である私はこの手紙を無視できない。仕方なしに、ペンを手に取る。ラティーナ様との手紙は、お嬢様が学園へ入学された時の為に、学園での行事について教えていただいていたことだと書いた。
間違っていない。それに必要な物をそろえたのだって、お嬢様の予行練習だったわけだし。
手紙を無視できないのは、下級貴族の辛いところよね…。
会いたいという内容には、お嬢様の誕生パーティーが近いので、中々時間が割きにくいと書いておく。ついでに、私のお嬢様愛も織りまぜ、学園での行事を教えて下さったラティーナ様へのお礼も行き過ぎなくらい書く。これで、世間知らずのお嬢様愛の過ぎた侍女が、ラティーナ様にしつこくその情報を強請っているように映るだろう。
さあ、こんなことより、お嬢様の誕生パーティーの準備よ!このパーティーでフリードリッヒ様がお嬢様の新たな婚約者候補だとお披露目するのだ。断罪回避の為には必ず成功させなければ!フリードリッヒ様はお嬢様を裏切ることなんて絶対無い。このまま上手く婚約できれば、もし、旦那様に何かあってもフリードリッヒ様がどうにかして下さるわ!
その前に、上皇陛下へのお礼の手紙を届けなくては。
先日、奥様とお嬢様が上皇陛下にお茶に行かれたお礼の手紙だ。大抵の物は手にできるお方だから、お礼は消え物を選ぶ。今回はミルクジャム。これは前世の記憶を頼りに料理長に作って貰ったものだ。
オットーに馬車を出して貰って城へ行く。ユリが直接上皇陛下への目通りなど叶わないから、上皇陛下の執事を呼び出すと、ここで待つようにと言われた。渡り廊下から中庭を眺めていると、水色の髪の少女がユリの目の前を駆け足で過ぎて行った。
えっ、ジュリェッタ?
ユリはその少女を慌てて二度見すると、それは、本の挿絵通りのジュリェッタの姿があった。可憐で温かみのある雰囲気、少し垂れ目の大きな赤い瞳、化粧っ気の無い健康的な少し日焼けした肌、素朴なワンピースが彼女の美しさが造られたれたものではないことを証明していた。
流石主人公ね。こんな格好をしていても人目を引くわ。でも、なぜジュリェッタがこんな所に居るの?
ジュリェッタは、何故か近衛兵の駐屯所へ入っていった。
ん?あそこは部外者は立ち入り禁止の筈じゃ?何故彼女は近衛兵の駐屯所に出入りしているの?
他所属の騎士やその家族でさえ、受付で要件を伝え、待合室までしか入ることを許されないのに?ジュリェッタが近衛兵に入隊したという噂は聞かない。
「遅くなり、申し訳ありません」
上皇陛下専属の高齢の執事がやってきた。温和な人柄が滲み出たような方で、思慮の浅い上皇陛下が感情と目先の利益のみで物事を判断しようとなさる時に、幾度と無くそれ回避してきた苦労人。ちなみに、リマンド侯爵と皇女である夫人の結婚の条件として、リマンド侯爵が渋っていた宰相を引き受けることを提案した人物。
「お気になさらないでください。庭を眺めておりましたのでもう少しゆっくりでも大丈夫でしたわ」
「そう仰って貰えるとありがたいですな。この老ぼれ、最近では動きが鈍くなりましてな。ところで、皇女様はいかがお過ごしだろうか?余り、無理を言ってはおられないか」
奥様をリマンド侯爵家に押し付けた自覚があられるのね、だから、事あるごとに心配なさっている。
「恙無くお過ごしで御座います」
「宰相閣下には色々押し付けてしまったの…。今、思えば申し訳ない事をした。だが、致し方無かったのだ。そうでもしなければこの国は沈んでしまっておったわ」
奥様は息をする様にお金をお使いになる。節度というものをお知りにならない。それは、上皇陛下が甘やかしてお育てになられたから他ならないのだが…。反対に、それに危機感を募らされた亡き上皇后陛下は、現陛下を厳しくお育てになられたらしい。現陛下の教師の一人として迎えられたのがリマンド侯爵だった。
老齢の執事はどこか懐かしむように、中庭に視線を向けると眩しそうに目を細めた。
「左様でございましたか…」
「そうじゃ、手紙であったの。お預かり致しましょう」
ユリは執事に手紙とミルクジャムの包みを渡す。
「宜しくお願い致します。そういえば、近衛兵の駐屯所に若い平服の女性が入っていったのですが…」
「ああ、また、ですか。困ったものだ。彼女は勇者の娘のジュリェッタという者です。何度言い聞かせても、近衛騎士の休憩室へ出入りして。はあ、冒険者上がりで、常識が緩いのは致し方ないのかもしれませんが、勇者の娘と有って、現時点で罰を下すことは難しい状態でして。口頭での注意しかできていない状況なのです」
ジュリェッタって、そんなキャラじゃなかったよね?ちゃんと弁えている常識人だった筈だ。
それに、本来なら、ルーキン伯爵邸で淑女教育の真っ最中。ルーキン伯爵やハンソン様、そして、ハンソン様の侍女であるナタリーに徹底的に仕込まれている時期だ。
この時期を経てジュリェッタは無知な冒険者から、伯爵令嬢へと華麗に変貌を遂げる。本来なら、幼き頃より叩き込まれる淑女としての所作を、ものの数ヶ月でマスターするのだから、流石ヒロインといった所だ。
まあ、その淑女としての完璧な所作に、冒険者時代に培った人当たりの良さが相まって、学園の男達を魅了し虜にしていくんだけどね。
「ジュリェッタさんは、淑女教育を受けられている時期では?」
「はい、城から侍女を派遣して、淑女教育を施しているのですが…、身が入られないご様子で、侍女達も手を焼いている所なのです」
え?何?この違和感は?
小説とジュリェッタの人格が違う。小説のジュリェッタは直向きに淑女教育に励むのだ、まるで、そう、令嬢としての時間を取り戻すように。この時、冒険者として培った体力が彼女を助ける。ダンスや姿勢はことの他体力を使うが、ジュリェッタは苦労しながらも、長時間それと向き合うことが出来た。ハンソン様が「騎士並みの体力だよ」と感心したくらいだ。
履き慣れないヒールに、豆を潰してダンスに励む姿に、ルーキン伯爵は感心し、ジュリェッタを溺愛するようになり愛人であるクシュナ夫人に別れを告げる。パトロンを失ったクシュナ夫人は、新たなターゲットとして敵国の王弟殿下に近くのよね。これが、スパイ事件の発端なんだけど…。このぶんだと、これも小説と違ってくる可能性が出るわね。
「ジュリェッタさんは、何処にお住まいになっていらっしゃいますか?」
小説では、ルーキン伯爵の別邸だったけど、現実は違うわよね。だって、亡くなっているはずのダフートが生きているんだもの。ジュリェッタはまだ、ダフートから解放されていないだろう。それにしては、ダフートがよくジュリェッタをここまで自由にさせているわね。ジュリェッタは、ダフートが実の父親ではなく、母親に害をなした人物だと薄々気が付いていた。だから、常に逃げ出す機会を伺っていたのだ。ダフートも従順ではあるが、何処かしら警戒している風のジュリェッタを、一人で行動させることは無かったのに。
貴族になったから、ダフートはジュリェッタに対して価値を見出せなくなったのかしら?
「陛下が勇者へ与えた家に一緒に住んでいる」
「そうなんですね」
「ああ、勇者が城へ来る時は付いてきては、ああやって、近衛兵駐屯所へ出入りしておるのだ」
困ったものだと執事が嘆いていると、駐屯所から近衛騎士に連れられてジュリェッタが出てきた。
ユリは筆舌に尽くし難い違和感を抱えながら、城を後にした。




