シン ②
この屋敷の女主人は陛下の娘でもある皇女様。傾国と名高い美女だと民の間で噂されているが、リマンド侯爵領は他の領地と比べても潤っていて、その影響は見られない。
シンは緊張した面持ちで姉であるユリに連れられて、真っ赤な美しい絨毯のひいてある廊下を歩いている。窓枠は美しい細工が施されていて、廊下には、高そうなクリスタルの花瓶に美しい花が飾られ、天井にはリマンド侯爵家の歴史を絵で表現されているらしく、玄関からずっと物語として描かれていた。
まるで夢の国にへと迷い込んだ気持ちで、姉さんの後へ付いて行くと、一つの扉を姉さんがノックした。
入室の許可を得て中へ入ると、贅沢を身に纏った美しい女性が、それまた、贅の限りを尽くした椅子に座って、優雅にお茶を飲んでいる。
彼女がリマンド侯爵夫人、姉さんの主人であり、シンが騎士学校へ行けるだけの給料を姉さんに払ってくれた人。騎士学校時代、この方の話は良く耳にした。浪費家でお金を湯水のように使っている、その美貌で宰相閣下を誑かしたなど、よい噂はあまり無い方だ。
30歳手前だというのに、その美貌は全く衰えることを知らず、何も知らなければ、妙齢の令嬢と間違ってしまうだろう。
「奥様、弟のシンでございます。騎士学校を卒業して、城での社交界デビューをすることになりました。今回は、シンの為に沢山のご配慮有難う御座います」
ユリがリマンド侯爵夫人に礼を述べる。慌てて、シンも騎士の挨拶をとる。
「シン・でございます。この度は、夫人のお力添えにより、無事騎士学校を卒業し、社交デビューをすることが出来そうです」
リマンド夫人は二人の言葉にニコニコと楽しそうに笑っている。
「社交界デビュー、おめでとう。ユリったら、貴方の社交界デビューの祝いにデビュタントで着る礼服を贈るって言ったら、全力で断ってきたのよ。折角、私が見立てあげるって言ってるのに!」
「奥様、それは過ぎたることにございます」
ぷうっと頬を膨らませて、そんなことを仰る奥様に肩透かしを食らった。
どんな悪女かと身構えてみれば、ただの可愛らしい御令嬢のようなお方じゃ無いか。
「折角、男の子デビュタントの衣装を楽しめると思ったのに」
「奥様、我が家は貧乏騎士家でございます。過ぎたる服は周りに敵をつくりますので、そのお気持ちだけ有り難く頂戴致します」
ユリに目配せされ、シンも慌ててお礼と辞退の言葉を述べる。
「夫人、姉だけで無く、私まで気にかけて下さり有難う御座います。ですが、夫人から沢山のご配慮を頂きながら、未だ一つとしてお返しできておりません。これ以上は心苦しいのです」
「そう言うなら仕方ないわ。なら、ユリ、貴女の社交界デビューは私に準備をさせてね。八歳の頃から仕えてくれてるのだもの。それくらいはしてあげなきゃ。リマンド侯爵家の名が廃るわ」
夫人は、少し不貞腐れた様子だったが、よいことを思いついた様に、パチンと扇を閉じるとさも楽しそうな笑みを浮かべた。
「ご機会があれば。では、私達はこれで失礼致します」
ユリはそう言って部屋から出た。シンもそれに倣う。用意された部屋に入り、ドアを閉める。
「姉さん、なんか凄い人だね侯爵夫人は」
俺の礼服をプレゼントして下さろうとしていたことに驚いた。その動機がご自分の楽しみって。
「ビックリしたでしょう。本当に可愛らしい方なのよ。貴方の礼服、断れてほんと良かったわ。じゃなきゃ、マダムの店でオーダーメイドで作って下さるところだったのよ」
「マダムの店って、あのマダムの店?」
一番安い服でも、男爵家の一年分と言われる金額だと聞いたことがある。奥様の感覚に軽く眩暈を覚える。
「そうよ。奥様と旦那様、そしてお嬢様の服は、あのマダムの店か、奥様お抱えのお針子が作成したものなのよ」
姉さんが阻止してくれて良かった。貧乏騎士家の息子があのマダムの店の服を着てデビュタントとか、初っ端から社交界へ喧嘩を売ってるようなものだろ?背中に薄ら寒いものを感じた。
「本当かよ」
「あと、私以外の若い侍女は全て伯爵家、男爵家、子爵家のお嬢様だから、そのへんは気を付けてね」
その言葉で姉さんが異端なのが良くわかる。たぶん、社交会デビューを済ませていないのは、姉さんだけだろう。そういえば…
「姉さん、この服だれから、借りたんだ?」
ユリの顔が朱に染まる。
おいおい、誰からだよ。服を気軽に貸してくれって言えると言うことは、付き合っている相手でもいるのか?そんなこと、手紙に書いて無かったぞ?誰だよ。すぐに服を借りれるってことは、リマンド侯爵家に在中している騎士か?
「執事のセルロスよ」
感情の読めない黒髪の執事の顔が頭に浮かぶ。
うそだろ?かなりなイケメンだぞ。姉さんの思い違いってことは無いのかよ。
苦労人の姉さんに、幸せになってもらいたいのは山々だが、あの執事、胡散臭いよな、遊ばれてるってことは無いよな?




