野菜売りの娘 ①
お嬢様が城へ呼び出されて以来、穏やかな日々が過ぎている。お嬢様とリフリード様の合同での学習も滞りなく進み、たまに、スミス侯爵家へ呼ばれて行かれるくらい。このまま、穏やかな日々が過ぎればと思っていた矢先、事件は起きた。
調理場に旦那様付きのサリーと遅めのランチを貰いに行こうと、従者様の通路へ入ろうとしたら、野菜売りの娘が館の中へ入って来たのだ。
「ちょっと、貴女、どうしてこんな所にいるの?」
慌てて、声を掛け引き止める。彼女は、悪びれる風でもなくキョトンとしている。
「ごめんなさい。道に迷ってしまって!」
屈託の無い笑顔で、ちょこんと頭を下げて全く反省すらしていない風に謝罪の言葉を口にする。取り敢えず謝ればいいといった印象を受けた。
「道に迷ったって、貴女、野菜売りよね?屋敷に入る必要はないでしょう?キッチンの裏口に商品を納品して帰るだけじゃない?」
サリーは呆れた風に、野菜売りの少女を問い詰めた。
「そうなんですけどぉ、ちょっと、どうなってるのかなぁって、興味が湧いて、少し足を伸ばしたらぁ、帰れなくなってしまって」
敢えてなのか、それが素なのかわからないが、甘えた口調であり得ない言い訳をはじめる野菜売りの娘に苛々が募る。横を見ると、サリーも同じ様子で顔は笑顔だが、その額に青筋が見えるような気がする。
幻覚だよね、ツノが見える。サリーの頭に角が生えている。サリーは絶対に怒らせてはいけない。
「わかりました。では、道に迷われないように貴方の店までお送り致しますわ」
怒り心頭のサリーを一人で行かせるわけにも行かず、一緒に同行することになった。
あーあ、お昼食べ損ねた。今日はバジルチキンとグリル野菜、それに、コンソメスープだったのに!
野菜売りの娘と一緒に彼女の幌馬車まで行く。脇を挟むようにその馬車に乗り込み、彼女の店を目指す。
「どうせ送って貰うなら、侍女様より執事さんが良かったなぁ」
ぼやく野菜売りの娘。どうせ、セルロスを探して邸に入って来たんでしょう?前は、従業員入口でウロウロしていたけど、最近大胆になって、屋敷の中へ入るようになったのね。何度となく注意されているのに、聞く様子も無い。サリーが切れるのも無理はないわよ、完璧な不法侵入だもの。
「ねえ、執事のセルロスさん、貴族じゃないんですよねぇ?どんな女性が好みか知ってますか?」
怒っている此方の様子など、全く気にもしていないようににこにこと話しかけて来る。
答えてやるべき?なんて思案していたら、サリーがばっさりと斬り捨てる。
「貴女と真逆のしっかりとした女性がお好きみたいですよ」
わーお、サリー強い。
「ふーん、そぉーなんだぁ。でも、女の子はぁ、やっぱり可愛い方が好まれると思うんだけどなァ。侍女さん達みたいにツンツンして、怖そうな人じゃなくて、こう、私みたいに守ってあげたい。みたいな?女の子の方が好きって人、多いんじゃないかなぁ。だから、セルロスさんも、ね?」
あー!イラつく!なんだコイツ!こっちの意見を否定するなら、最初っから聞くなつーの!
サリーを横目で見るが、相変わらず綺麗な笑みを貼り付けたまま一切動じていない。
「そうですか」
とだけ、彼女へ返事を返し、また、無言を決め込む様子だ。
「だから、侍女のお姉さん達も笑顔でいた方がもてますよ?私、市場ではマドンナなんですから、この前も、お嫁に来ないかって言われたんですぅ!」
なら、とっとと嫁に行けよ!と心の中で返事をする。
彼女のモテ自慢?を聞いているうちに、馬車は、マルシェの裏へ着いた。
「サアシャ、どうして侍女様と一緒に帰って来たんだい?」
彼女の父が訝しげに娘に聞く。
「道に迷わないように送って下さったのよ!」
サリーの言葉を馬鹿正直にそのまま伝える野菜売りの娘に頭痛を覚える。
「侯爵家から、ここまでの道をかい?」
全く納得のいってない風な父親が、サリーに謙り揉み手をする勢いで尋ねる。
「娘を送って下さりありがとうございます。で、いったいどのような御用件でございましょうか?」
サリーは依然、笑顔を崩さず敢えてゆっくりと丁寧に言葉を紡ぐ。
「あまりにも迷子になる者を配達に寄越さないでほしと、再三申し渡した筈ですが?」
野菜売りの店主はチラッと娘に視線を送る。娘はニコニコと首を横へ振っている。
話にならないな。
「まさか、娘が迷子になるとは、何かの間違いではございませんか?」
「これを間違いと言うならば、立派な不法侵入ですが」
サリーのしっかりと通る声は市場にいる客の足を止め、注目を集めるのに充分だった。リマンド侯爵家の侍女と一目でわかるお仕着。それを着た女性が言い放った『不法侵入』という物騒な言葉。
「不法侵入だなんて、娘は野菜を配達に行っただけですよ」
野菜売りの店主は明らかに狼狽し、暑くもないのに額を汗で濡らし、なんとかその場を収めようと必死だ。
「再三、建物の中に入らないように注意しました。契約では、従者用の入口から入り、厨房の入口をノックして調理場の者に野菜を渡し、そのまま、他に立ち寄らず帰るというものです。覚えていますか?」
「はい、ですが、その」
青い顔をしながら、なんとも歯切れの悪い返事を返す、野菜売りの主人。
「其方のお嬢さんは、道に迷ったと言っては庭園へ立ち入り、屋敷内をうろつき、まるでスパイのような行動をしています。再三、注意申し上げても、道に迷ったと…。それ程、道に迷われる方にリマンド侯爵家の注文を任せる訳にはいきませんので、本日は、契約の打ち切りにまいりました」
打ち切りという言葉に、店主はビックと身体を振るわせる。それを興味深々に眺める往来の人々。
「スパイだなんて、酷いです。少し興味が湧いて、ちょっと建物の中に入っただけじゃ無いですか!別に、悪いことをしようとか思ったわけじゃないですし。ただ、セルロスさんを見れたらいいなって、思っただけなのに、それが、そんなに悪いことなんですか?」
目に涙を溜めて、周りの同情を誘うような可愛いらしく、まるで虐められている風を装う野菜売りの娘。それくらい許してやれよとでも言いそうな男達の目。
「立ち入り禁止の場所には、入ってはならないということを知らないのですか?それもわからないくらい頭が弱いのでしょうか?リマンド侯爵家は宰相閣下のご自宅です。いつ何時、閣下や上皇陛下がいらっしゃるかわかりません。また、外国からのお客様も多数いらっしゃいます。その中、貴女がウロウロして鉢合わせることになれば、不敬罪に問われたり、更には、国際問題に発展する恐れもあるのですよ」
サリーの言葉にビクっと野菜売りの娘の涙が引っ込む。
あっ、嘘泣き。便利なものね。サリーの言ってることは間違いではないが、だいぶ誇張されている。偉い方々が先触れも無く屋敷に来る事はまずないし、そんな日は外部からの人の出入りを止める。
「そ、そんなの聞いてない!」
いや、だから、初めに厨房の入口に野菜を納品して、他に立ち寄らず帰れって言ってたよね?
「取引は中止で」
「いや、ま、待って下さい。そんなことされたら、潰れてしまいます」
今、観てる人証人だし。娘が、リマンド侯爵家の中をうろついて、取り引き中止になりそうって。
「では、今後一切のお嬢さんのリマンド侯爵家への立ち入りを禁止します。一度でも来たら、今度こそ取引中止致します。宜しいですね」
「わかりました」
店主は項垂れ、しっかりと約束した。客商売だ、信用は地に落ちただろう。
「では、後日、配達にいらっしゃった時に正式な書面での契約を致しましょう」
サリーがそう言うと、野菜売りの娘は鬼の様な形相で、サリーを睨み付けた。
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明日も18時過ぎに更新します。




