オルロフ伯爵
雨がしとしとと振り花冷えのする中、オルロフ伯爵の元に二通の手紙が届いた。一通は言わずと知れた第一騎士団の責任者であり将軍であるヴルグランデ侯爵、そして、もう一通は皇后陛からだ。どちらも、娘であるコーディネルがフリップ伯爵から離縁され、屋敷に戻って来てから届いた手紙だ。
コーディネル絡みか。内容の予想できるヴルグランデ侯爵からのを先に読むか。
コーディネルは、オルロフ家で唯一の直系の血を色濃く引く唯一の女性だ。その魔力は申し分無く、現皇后など足下にも及ばない。同じオルロフ家の直系の血を引くラティーナは父親がしがない子爵だった為、その力はコーディネルに比べれば数段劣る。
ペーパーナイフを取り出すと、ヴルグランデ侯爵家紋章で蝋封された手紙の封を切る。
ふっ、これは良い。天は私の味方をしたか。
手紙にはスミス侯爵が動向が目に余る。そろそろ、オルロフ侯爵家擁立の準備をしたらどうだろうか?その気があるなら手を貸す。手始めに、コーディネルを陛下の愛妾として、城へ上げてはどうか?と書かれていた。
コーディネルと陛下の間に、もし、男児が産まれたなら、王位継承権は確実にその子になる。長子であるルイ殿下より数段、王に相応しい。皇子の側近や教師選びはリマンド侯爵に押し付ければ良い。彼なら損得など考えず最も良い人選をしてくれるだろう。
アレはそういう男だ。本来は政に一切興味が無い。我が家族と我が領地が安定して幸せならそれで良しとする人物だ。誓約書があるからああやって、身を粉にして国に尽くしているにすぎない。最も信頼し、従兄弟であるフリップ伯爵から頼まれればリマンド侯爵とて断れまい。フリップ家の小伯爵はコーディネルの息子のシードルだ。頼めば黙殺はできぬだろう。
オルロフ伯爵は細く笑み、皇后からの手紙を手に取った。
そうなれば、皇后とは敵対することになるな…。
手紙を読むと、オルロフ伯爵は満面の笑顔を浮かべる。
「ほう、これはこれは」
書面に目を向けたまま一人呟く。
スミス侯爵家を差し出すと、中々大胆な提案じゃ無いか。悪くない。いや、最良の策だ。スミス侯爵とコーディネルの間に子が生まれてもよし、産まれなくても良し。生まれた子が男児でも女児でも使い道がある。ルイ殿下の後ろ盾がフリードリッヒなら問題は無い。彼奴とシードルは仲が良い、上手くやるだろよ。コーディネルも陛下の愛妾よりはスミス夫人の方が体面的には良かろう。あれも不貞の子を産んだ身だ。昔とは違い弁えていよう。
オルロフ伯爵は紙とペンを取り出して、ヴルグランデに返事を書いた。
「コレを、届けてくれ。それと、皇后陛下へ謁見を申し入れろ」
「承知致しました。皇后陛下へ会われるのですね」
初老の白髪の執事は全てを理解したかのような表情をし、恭しく手紙を受け取る。
「ああ、スタージャ嬢に其方の姉上に会うと伝えてくれ」
孫の婚約者から、姉である皇后に会いに行って欲しいと、再三手紙を貰っていた。
「やっと、ご決心なさったのですね。賢明な判断です」
この執事は旧オルロフ侯爵家から、竜が旧オルロフ公爵領に遭われた時、一緒に民を先導して来た者だ。
「そう思うか?」
「はい、今回は。ただ、長期戦になりますな。手紙を届けた後、お嬢様を説得しに行って参ります」
そう言い残すと、執事は部屋から出て行った。
コーディネルにスミス侯爵家に嫁ぐようにと、説得してくれるのだろう。コーディネルは彼を一番、信頼している。もう、フリップ伯爵家でのような失態は出来ない。今回の輿入れの際は、執事を付けてやるべきだろな。老齢の執事には最期まで苦労をかけるが…。
そもそも、コーディネルとフリップ伯爵の婚約自体が間違いだったのだ。スミス家からの縁談を断るべきでは無かった。リマンド侯爵が皇女様の降嫁を願っていたのは、皆が知っていた。亡上皇陛下は、どこまで自分の娘である皇女の値を釣り上げれるかを、計っていたことはわかりきっていた。だが、あの頃は、いや、もう、後悔しても遅い。
娘の願いを聞いてやりたかっただけだ。リマンド侯爵が無理でも、その髪と瞳の色を持つ者と結婚させてやりたかった。見目麗しいフリップ伯爵なら、娘も満足すると思ったのだが…。結果は…。まあ、勿論、リマンド侯爵家との繋がりを強固にしたい、という打算が無かったわけでは無いが…。
オルロフ侯爵家の再興も勇足だったのかも知れんな。もう少し、ゆっくりと行うべきだった。
ぬるくなったお茶に口を付けた時、少し慌てた様子の足音が近づいて来る。
「お父様、私とスミス侯爵の婚姻の話が出ているって、本当ですの?」
「ああ、本当だ。皇后陛下がお前を義姉にとお望みだ」
コーディネルに座るように促すと、オルロフ伯爵は遅れてやって来た執事にお茶を入れ直すように頼んだ。
「私、スミス侯爵の第二夫人にはならないわ!」
少し怒ったようにヒステリックになるコーディネルを宥めるように、オルロフ伯爵は優しい表情を浮かべる。
「当たり前だ。皇后陛下はそれくらい弁えていらっしゃる。スミス侯爵と婚姻するなら、お前は第一夫人であって、あちらは愛人も第二夫人も置かないのが前提だ。皇后陛下が息子も夫人と共に生家へ送ることを約束して下さった。こちらは、準備が整うのをゆっくり待つだけでよい」
まるで、ケーキが焼けるのを待つ子供みたいに、無邪気に楽しそうに笑うオルロフ伯爵に、娘であるコーディネルは引き攣った笑みを浮かべる。
「お父様、スミス侯爵は愛妻家で有名ですのよ?そんな方が愛しの妻を離縁なさるとは思えませんわ」
「コーディネル。我々がそんなことを心配する必要は無いのだよ。それをどうにかするのは、皇后陛下の仕事だ。我々はお膳立てされる様子を、じっと眺めて待っていればいいんだよ」
なあに、そんなに待たされないさ。リマンド侯爵令嬢が魔法学園に入学される頃には、片付けて下さるだろう。
「皇后陛下はいったい何をしょうと思ってらっしゃるのですか?」
「さあ、我々は知る必要は無い。皇后陛下が失敗されても、我等の預かり知らぬこと。その後始末はご自分でなさるだろう。ただ、心積りはしておきなさい、スミス侯爵家に嫁ぐ」
「わかりました」
なんとも複雑な表情で神妙にコーディネルは頷いた。
ドアをノックし、従者が入って来た。
「旦那様、あの親子が裏口に来たのですが、いかが致しましょう。旦那様に会わせるまで動かないと言い張っております。本日は、野菜を乗せた積荷が届く日でして、長居されると…」
面倒だな。だが、凱旋式で色々とぶち撒けてくれたお陰で、此奴らを見捨てても、もう、なんの体面も気にしなくて良い。顔を見るだけで虫唾が走る者を手元に置かなくても良くなったら、なんと気楽なものか。
縁切りした娘は、ローディア商会の会長から離縁されたらしい。子まで儲けた義理で、保釈金は肩代わりして貰ったようだ。その代わり、娘であるキャサリンの親権はローディア商会の会長のものとなり、親子の縁を切ることを書面にて残したらしい。
多額の保釈金を支払ったのだ。離縁の際には、金を持たせては貰えなかったのだろうことは、容易に想像できた。下手に情けを掛けて、金が尽きる度にせびりに来られても厄介だからな。
「追い払えば良かろう」
「それが、自分達は旦那様の妻と娘だと大声で叫び…」
手に負えないのか…。公衆の面前で自分達は虐げられていた。良い様に利用されていたと訴えたのだから、自由にしてやったのだ。何を縋ってきているのか?私は復讐する相手であって、頼る相手ではないと言っていたであろう。あれほどの事をしたのに、ここに住めると思っているのだろうか?面の皮が厚いというか、浅はかというか…。当然の末路だと気が付かないとは、憐れな。
「憲兵隊を呼べ。屋敷の前で騒いでいる者がいると」
従者は気まずそうな表情を浮かべる。
「宜しいのですか?」
一応、血の繋がった娘だから、遠慮しているのだろう。
「構わん。居座られると迷惑だ」
「承知致しました」
そう言うと、従者は部屋から出て行った。そっと、窓から裏門を眺めると、薄汚れた二人の女性がずぶ濡れになりながら、門番に一生懸命に縋っているのが遠目に見えた。




