スミス侯爵 ③
嘘だろ?
前日見た街並みは綺麗に清掃されてはいたが、普段と何ら変わらなかった。だが、凱旋式へ向かう為、妻と準備をして城へ向かうと、パレードで使う道は真っ赤なリボンと国旗、そして、生花で装飾され、警備の者達がスタンバイしていた。
警備はわかるが、このリボンと生花は?
気になって、少し街中を馬車で走らせると、リマンド侯爵家のメイド達が、花籠を若い女性達に配っているのが見える。沿道には既に場所取りをしている人達で溢れ、その隙間を売り子達が歩き、サンドイッチやジュース、焼き串などを売っていた。
気を取り直し、城へ入り北門へと急ぐと、女神の像の前に祭壇とステージが準備されていた。
スミス侯爵は夫人と所定の位置へと移動すると、重鎮達の話し声が聞こえる。この場所は、スミス侯爵夫妻と、かつての四侯爵名を持つ者達とその配偶者のみに許された場所だ。
フリードリッヒ卿、一晩でここまで準備するとは大した者だが、慣例通りでは無かろう?
スミス侯爵は重鎮達の声に耳を傾ける。
「素晴らしい。流石はリマンド侯爵が選んだ人物だ。拝命が遅かったが、ここまで準備なさるとは!」
「パレードもリマンド侯爵家お抱えの鼓笛隊が先導するらしい。演目も慣例道りじゃな」
「フリップ伯爵、其方は良き息子を持った」
フリップ伯爵はそういった年配の紳士へ礼を述べていた。
嘘だろ?フリードリッヒが慣例を知っている?完璧な準備だと?いったいいつ学習したというのだ?
騒めきが大きくなり重鎮達が道を開け礼をした、そこを当然の如くリマンド侯爵夫人が歩いて来る。スミス侯爵は迷う。
彼等のように頭を下げるべきか、だが、自分は皇后の兄だ立場は同じだろう。今、この場で頭を下げたら、リマンド侯爵夫人より、下だと認めることになる。だが…。
逡巡した上で、頭を下げる。横でスミス夫人が慌ててカーテシをしたのを感じた。
リマンド夫人はまずソコロフ侯爵夫妻に声をかけ、次にヴルグランデ夫人、そして、スミス侯爵の順で声を掛けてゆく。
「久しいわね。スミス侯」
「はい、リマンド夫人もごきげん麗しく」
慣例通りの挨拶を交わす。
自分と妻がこの場に来た際には、この者達はこのように出迎えなかった。頭を下げたのが正解だろう。皇后の兄である自分が、最初に声をかけられるべきでは無いのかと言う疑問が湧いたが、それに蓋をする。これは凱旋式だ将軍達からが慣例なのだろう。
リマンド侯爵夫人は次はオルロフ伯爵とコーディネルに声をかける。これが序列だと言わんばかりに。その後、中々声のかからないスミス侯爵夫人は、その顔を曇らせていく。スミス侯爵の服の袖を引き、目で訴えかける。
『何故、私には声を掛けて下さらないの?』と。
「皇女様には、ご機嫌麗しく。私の結婚式の際には、ユリを貸して下さりありがとうございます。お会いの際には叔母上にドレスの礼をお伝え下さいませ」
クラン伯爵夫妻と楽しそうに談笑するリマンド夫人に、我妻にも話しかけて下さいとは言い難い。
「クラン伯爵、ルーキン伯爵の治療、助からないとわかっていても最後の最後まで続けてくれて、感謝してますわ」
「感謝には及びません。皇女様、当然の事をしたまでです」
スミス侯爵は違和感を覚えた。皆がリマンド夫人を皇女と呼ぶのだ。この場にいる貴族達の名をもう一度、頭の中で確認する。徐々にスミス侯爵の顔色が悪くなって行く。スミス家の中でも皇后とスタージャはソコロフの名を持つ。スミス侯爵の父にあたる、前スミス伯爵はヴルグランデの名を持っていた。
スミス侯爵は中々顔を上げれず、きついカーテシーの姿を維持している妻を不憫に思いながらも、夫人達が集まる茶会でこのような扱いを受けているのかと思うと居た堪れなかった。
男爵家の娘であった妻に、侯爵夫人という地位を与えたにも関わらず、上流階級ではこのような不当な扱いとは…。
鼓笛隊の音楽と、花を撒くデビュタント前の可愛らしい少女に先導されながら、騎士団達の先頭が城門に差し掛かった頃、慌てたようすの憲兵隊員がスミス侯爵の横へすっとやってきて、そっと耳打ちした。スミス侯爵は周りに気取られないように、憲兵隊員へ指示を出した。
バルク男爵が刺された?万全の警護体制を敷いていた筈だ。誰が、この戦の英雄の一人であるバルク男爵を刺したのだ!
スミス侯爵の背筋から焦りで冷や汗が出る。いつもの笑顔で、動揺を気取られないように必死で隠した。スミス夫人は声を掛けて貰えぬまま、パレードが城門から入って来たことにより、他の者達と一緒に顔を上げた。
肅々と凱旋式が執り行われる中、灰色のローブを纏いそのフードを目深に被った人物が、壇上へ上がって来た。その人物は灰色のマントを脱ぎ捨て被っていた仮面を放り投げた。マントの下には聖女が儀式のときに纏う白い服を着て水色の髪を緩く編み込んでいる。
ジュリェッタ嬢がどうして此処へ?いったい何を考えているのだ?
ジュリェッタは杖を天に掲げ、眼下の騎士達に優しい笑みを浮かべ、声を張り上げる。
「私は、女神に選ばれし者です。女神の恩恵を貴方方に」
杖を兵士達の方へ向けると全員に治癒魔法を施す。兵士達から歓声が湧く。あれだけ傷ついていたメープル騎士団の騎士達も、歩き疲れていた者達も全て回復しているのだ。
ジュリェッタはその様子を満足げに眺めて、また口を開く。
「そして、女神の予言をーーー、そこにいるマリアンヌは奴隷を所有している!」
ジュリェッタは声高々にそう宣言した。呆気に取られていたスミス侯爵は、慌てて憲兵隊へジュリェッタを取り抑えるように指示を出す。兵士がジュリェッタを跪かせた。
陛下はゆっくりとジュリェッタの前に歩み出た。
「ジュリェッタ嬢、其方が予言の力を持っておるのは私も知っている。」
「なら!」
「だが、嘘はいかんよ、嘘は。それに治癒魔法は女神から授かったではなく、リフリードから奪ったのだろう?お陰でジョゼフは王位継承権を奪われたのだぞ?」
陛下は残忍な瞳をジュリェッタに向けた。
「どういう事ですか?」
メープル騎士団の先頭に整列していた、ジョゼフ殿下が悲痛な叫び声を上げた。
「この者が、リフリードとミハイロビッチを唆し、あの強力な治癒魔法を手に入れたのだよ、本来なら、お前が手にするはずだった力をな。」
「それは、女神のお導き…。」
ジュリェッタの言葉に、ジョゼフ殿下はまるで汚物でもみるかのような視線を向けた。
「人の力を奪うことが女神のお導きだと申すか、お陰でジョゼフとリフリードは未来を奪われたのだぞ。それが、愛と慈悲の女神の導きとは到底思えぬのだが」
とても、聖女とは思えぬ顔でマリアンヌを睨み付けるジュリェッタを陛下は残忍な目で見下す。
「そんなことより、マリアンヌを調べなさいよ!奴隷をデザイナーとして使っているから!マリアンヌの店のデザイナーは砂漠の国から買った奴隷よ!あと、もう一つ、回復薬事件は、ローディア商会のキャサリンの母親が起こしたものよ!調べればわかるわ、これも全て女神様が教えてくださったの。私は女神様に選ばれたのよ!」
押さえつけられたままジュリェッタは叫ぶ。陛下は後ろに控えていたスミス侯爵へ命令した。
「この者が言った、ローディア商会の者を至急調べろ。」
「はっ。」
いったいどうなっているのだ?
スミス侯爵はさっと采配し、部下へローディア商会の夫人であるキャサリンの母親をこの場に連行するように命じた。
「マリアンヌは!」
ジュリェッタは陛下を睨み付け不満を露に抗議すると、陛下は低い声で唸るように答える。
「その件の調べはついておる。そのような噂が出回っていたからな…。」
その言葉にジュリェッタは顔に喜色を浮かべる。
その場が慌ただしくなり、遠くから人混みを掻き分け、憲兵隊に連行されて来る女性の姿が目に留まると、皆の視線がその女性へと集まる。皆が見つめる中、壇上に一人の女性が兵士に引っ張られてやって来た。茶色に近い赤髪、コーディネル夫人から全体的に華を取ったような顔の女性。
「この者が、阿片を回復薬として売らせたと自白致しました。」
スミス侯爵へ報告した兵士の言葉に、ジュリェッタはにっこりと笑む。
「どうして、そのようなことをしたのだ?」
スミス侯爵はローディア商会の夫人に威厳を乗せて問い正す。夫人は観念しているのか、スミス侯爵をしっかりと見返して、ぽつぽつと、しかし、しっかりとした声で話し出した。
「父であるオルロフ伯爵と姉のコーディネルに少し復讐をしただけよ。自分はあの美しいフリップ伯爵に嫁ぎ、私を歳の離れた妻や沢山の女を囲っているローディア商会の会長に売り払った。その後も、優しい旦那様に付け込んでことあるごとにお金をせびる。お陰で、私は嫁ぎ先でもあるローディア商会でも肩身の狭い思いをせざるを得ない。だからお父様が売ったように見せかけたのよ、回復薬を売った汚名を着て少しは困ったら良かったわ、そしたら、私の苦しみを理解できるから。でも、薬を売ったのは恨みのある人物二人だけ、オルロフ家にいた時に私を虐め抜いたメイドの旦那と、もと冒険者の下男だった男。後は、私の仕業ではないわ!」
逆恨みか、オルロフ伯爵の庶子は、オルロフ伯爵が薬を盛られてできた忌まわしき娘。この噂は貴族の殆どが知っている話だ。まあ、彼女からすればどんな理由であれ、オルロフ伯爵が父親であることには代わりはないのだから、恨む気持ちもわからんでもないのだが…。
「お前の話はよくわかった。理由がどうであれ、世間を騒がせた罪は重い。後でよく吟味して沙汰を出す故、大人しくしておれ。」
スミス侯爵がそう言うと、女性は兵に引かれて何処かへ行ってしまった。
陛下はゆっくりとジュリェッタに視線を向けると、彼女は当てが外れたのか、憎々しげに陛下を睨みつけたが、いつもの保護欲を掻き立てる愛らしい表情に戻り、目に涙を溜めて上目遣いで陛下を見上げた後、眼下の騎士達に訴えかける。予言は当たったのだから、兵士達に拘束している手を外させてと。
「女神様のお導き通りだったじゃないですか…」
まさか、回復薬事件は全て、彼女の所為で片付くとでも思ってたのか?
「奴隷の件は?」
スミス侯爵は、先程までのジュリェッタの顔は幻だったのかと己の目を疑った。大きな赤い宝石のような瞳を涙で濡らし、眉尻を下げ、ふるふると細い身体を震わせている。小さな赤い唇から、なんともか細い声を出して聞いてくる。今取り押さえられているのが可哀想になり、兵に手を離しなさいと口を滑らせそうになる。
「ジュリェッタ嬢、マリアンヌ嬢が所有する奴隷とは彼女の店のデザイナーのことを言っているのだね。あの者は正確には奴隷ではない。」
陛下の答えが気に入らなかったのか、ジュリェッタは驚いた様子で言葉を紡ぐ。
「う、嘘よ。彼女の両親は奴隷のはずだわ、だって、女神様がそう教えて、下さったもの。」
「彼女の母親は….砂漠の国の侍女だ。彼女は恋に落ちてはならぬ者との間に子を儲けたため、侍女の職を辞めて彼女を産んだのだ。旅の途中で賊に襲われた所を、逃げ出した奴隷に助けられてこの国で保護された。これは、彼の国の皇太子に確認済みだ。」
ジュリェッタの顔色が一気に悪くなる。
「嘘よ、うそ、ウソよ!そんなハズはないわ、そんな設定どこにも書いて無かった、不遇のもと奴隷のデザイナーとしか。わ、わたしは、この世界のヒロインよ。私が幸せになるために、この世界はあるはずなのに、そ、そして、マリアンヌは、必ず断罪され殺されなきゃならないのに!それが、みんなの為なの、そ、そうすれば、全て上手くいくの。そう、最初から決まっているの。」
ぶつぶつと訳のわからないことを呟き始めたジュリェッタを陛下は牢へ連れて行くように指示を出した。
いったい何だったのだ、一連の騒ぎは。ジュリェッタ嬢の治癒魔法の力は本物だった。その能力は間違いなく皇后以上だ。何故、彼女を自分の保護下に置かなかったのか、自分なら彼女を上手く操れたのでは?ジュリェッタ嬢は自分を聖女だと自称していたが、私なら、彼女を本当の聖女にしてやれたのに。惜しい事をしたな。




