皇后 ②
すみません、遅くなりました。
「フリードリッヒ卿は、私に兄様と其方のどちらか片方を選べと迫っておるのか?」
皇后はピクリと片眉を釣り上げた。
「皇后陛下の御心のままに」
「食えぬ男よの。流石あの宰相が愛娘を託した相手よ。其方がこうして必死で学んでおる間、兄様がなさったことと言えば…。まあ良い。では、其方に、ノアを託そう。私はどうしたら良い?」
兄様に反目しろと、スミス侯爵家を切り捨てろと言うのね。マリアンヌ嬢を捕らえたことに、ここまでの対価を支払う事になろうとは…。まあ、兄様の自業自得ね。私やノアまで一緒に償う必要は無いわ。
「では、王都裁判所で誓いを立てていただきたい」
王都裁判所での誓いとは、高い代償ですわね。
「何を誓えば?」
「マリー、リマンド侯爵令嬢と、今後生まれるであろう我が子達の生涯の安全と、その地位が脅かせられることが無いように殿下と皇后陛下で御尽力下さると」
兄様、矢張り、マリアンヌ嬢を拘束したのは失敗でしたわよ?
「フリードリッヒ卿、貴方は私に何を下さるの?」
「ノア殿下が、無事王太子になれるよう、そして、皇后陛下が健やかにお過ごしになられますように、お手伝い致します。幸い、私は騎士でございます。無事、ノア殿下が皇太子となられましたら、殿下に騎士の誓いを致しましょう」
「わかりました。では、手始めに何をすれば良いのかしら?」
彼は、ノアを皇帝にする方法を知っている。兄様のように、国の存亡に不安を齎すやり方で無く、名君と呼ばれるように導く術を。
「更にスミス侯爵家に代わる財源の確保が急務ですね。これは、スミス侯爵に悟られること無く行って下さい。まあ、ノア殿下が学園に入学されるまでには、スミス侯爵家の代わりをご用意下さい。クリーンな財源で。差し当たり、戦地からミハイルが戻ってましたら、彼をノア殿下の剣術指南役にお付け下さい。ノア殿下の正式な師は此方でリストを作成致しましょう」
「感謝するわ」
「スミス侯爵にノア殿下を近づけないように、ノア殿下を懐柔してくるでしょう。又、甥っ子は手懐けて下さい。誕生日プレゼントは、成長の為にはならないが子供の喜ぶ物をお送り下さい。私への連絡は、ここにおりますフロイトをお使い下さい。彼を皇后陛下にお貸し致します」
存在感の薄い男。身長は170センチくらいだろうか。どこにでもいるような顔立ちで、平均的な体型。黙っていれば、いるのかいないのかわからない。さっと空気に溶け込んで、そこに居る事に違和感を抱かせない印象。
良い者を貸して貰えたわ。
皇后は細く笑む。
侍女達が気にするかと思ったが、全くその存在を聞いて来ないことにも驚いた。一応、フロイトに城の陛下の間以外出入りできる許可証を与える。
常に側に置いておくと、誰が、兄様の手の者なのか、誰を信用すれば良いのか教えてくれる。便利な者だ。ノアが我儘になったのは兄の所為だった。兄様が贈ってくれた侍女が、ノアを甘やかして、兄様に好意を持つよう仕向けていたのだ。
全て、私が兄様の子供にしようとしていることだわ。
即刻、配置換えを行い、彼女達を皇后は自分付きの侍女にした。ノア殿下の側にはフリードリッヒ卿の助言通り、兄様を除く三侯から推挙された者と、リマンド侯爵家の筆頭侍女であったソフィアを借り受け、その者達を付けた。
ソフィアに関しては、頼み込んで渋々といったところ。本来なら、マリアンヌ嬢付きのユリが欲しかったのだが、彼女はマリアンヌ嬢の学園に付き添う為、本人の意思で婚姻を先延ばしているくらいだと断られ、泣く泣く諦めた。
「皇后陛下に拝謁致します」
皇后の動きに気付いたスミス侯爵は公務の合間に、妹である皇后の部屋へ足を運んだ。
「あら、兄様、そんなに慌てて、どうなさりましたの?」
侍女が配置換えになって、慌てていらしたのね。
「侍女達を大幅に配置換えしたんだね?」
「ええ、慣例通りノアに三侯爵から推挙された者達を付けましたの」
スミス侯爵の顔がピクリと引き攣った。
「何も、慣例が全てでは、ないだろう?我が屋敷の者を側に置く方が、何かと安心だし皇后、貴女も安心だろう?」
「ノアが王位継承を外されて良ければ、ですけど」
「殿下が王位継承を外されるとは、どう言うことだい?穏やかじゃないな」
ああ、フリードリッヒ卿が言っていた通りね。残念だわ。兄様はノアを傀儡に育てようとなさっている。
「あら、慣例から外れた皇子は皇太子になれませんのよ?兄様もご存知でしょう?今は、他に継承権のある者はおりませんが、もし、陛下が家臣達の進言を汲み、第二夫人を娶られたらどうなりますか?第二夫人として、有力なのは、フリップ第一夫人ですのよ。御二方の子であれば、ノアより皇太子に相応しいのはお分かりですわよね?」
「だが、我がスミス家も侯爵家ではないか、それを一切排除する必要はないだろ?」
「そんなことはしておりませんわ。私の乳母出会ったペトラ夫人をノアに付けているではありませんか。ペトラ夫人ほど私が信頼している者はおりませんわ」
ペトラ夫人は兄様を最も嫌っている人物の一人。お母様の従姉妹。夫人の夫である伯爵が戦死し、未亡人となった従姉妹を私の乳母に据えた。
「ペトラ夫人を呼んだのですか?」
スミス侯爵の目が見開く。
「ええ、スタージャもこの春、学園に入学致しますから、夫人も暇になるでしょう?子育てをしたことの無いこの子達より、よっぽどノアの為になりますわ。私も夫人のお陰で、こうして皇后になることが出来たのですから」
母亡き後、夫人が私達姉妹の面倒をみてくれた。スタージャが学園に入学して手が空く、という大義名分で引き込む。兄様は功労者だからと、適当な理由を付けて、田舎の別邸を与え王都から追い出す算段だったようだが。
「そう言えば、フリードリッヒ卿を呼ばれたみたいですね。用があれば彼でなく、私を頼って下されば宜しいのでは?」
「あら、それも兄様が悪いのですわよ?まあ、上皇陛下の葬儀でお忙しかったのは仕方ありませんが、私、ちゃんとスミス侯爵夫人への手紙と、甥へのプレゼントを用意してお待ち申し上げておりましたのに」
皇后の言葉に、侍女がさっさと薄黄色の手紙を一通と小さな小箱を持って来る。
スミス侯爵はそれを受け取ると、今まで硬かった顔を綻ばせた。
「私こそ、訪問が遅くなり申し訳ございませんでした。私の不手際で、侍女達を移動することになった事も含めて」
上手く、上皇陛下の葬儀に関わる失態の所為で、ノアの周りの人間を、三侯の推挙の者に代えざるを得なかったと思ってくれたようですわね。
「仕方無いわ。兄様は慣例をよくご存知ないんですもの…。早く、お勉強なさって下さいませ。でないと、国内外で、スミス家の盤石な地位を築くなどできませんわ」
スミス侯爵の顔色が悪くなる。思い当たる節があるのだ。
「努力しよう」
「夫人にもよく申し伝え下さい。お茶会に誘え、城に遊びに呼べと催促が来ます。私が必死に皇女様に教えを請いているのを、遊んでいると勘違いされるなんて…。あんまりですわ…」
「それは、申し訳なかった。だが、妻の気持ちもわかってやって欲しい。彼女は君と仲良くしたいのだ」
「わかっておりますわ。ですが、誤解されたままでは…、そうですわね…、彼女達が夫人に学園の事を幼少期どう過ごしたかを話して差し上げたら、私の立場もご理解頂けるやもしれませんわね。兄様、そう致しましょう」
そう言うと、皇后はノア殿下付きだった侍女達に視線を向けた。彼女達の顔色が一気に悪くなる。
「皇后、其方が不便になるのでは?」
「あら、私は夫人と仲良くしたいと思っておりますのよ。私の気持ちと思って、夫人にお贈り下さいませ。彼女達は魔法学園を卒業した者達でしょう?なら、夫人の良き助けになりますわ。私と皇女様の関係のように」
「気遣いに感謝する。彼女達は連れて帰ろう。十五日後、軍が帰還する。そのパレードの準備なのだが…」
良かった、これからは兄様の息のかかった者が側にいると、邪魔なのよね。
「フリードリッヒ卿にお任せになれば宜しいのでは?宰相補佐なのですから、問題はありませんわ。慣例が重視される行事なのでしょう?今、城に残っている方々に教えを乞うのは難しいでしょうが、しくじれば帰還される方々に失礼になりますから」
皇后はフロイトを通した言伝で、この行事をフリードリッヒ卿に任せるように、スミス侯爵を誘導するように言われていた。
「そうだな、これ以上の失態は足を掬われる。彼が失敗してくれれば万々歳だ。直ぐに、陛下へ進言するよ」
そう言うと、スミス侯爵は機嫌良さげに部屋を後にした。
「フロイト、お願いね」
「承知いたしました」
フロイトは返事をすると、部屋から出て行った。




