スミス侯爵 ①
「兄様、なんてことをしでかして下さったのですか!私は皇后の地位に就いてはいますが、その治癒魔法の力は歴代の皇后方に到底及びませんのよ。ですから、マリアンヌ嬢が学園を卒業されたら、彼女に私の代わりに王都に加護を頼まねばならないのですよ!今の加護は、陛下が御尽力されているのをお忘れですか?」
皇后は苛立ちを思いのままに、スミス侯爵にぶつける。
彼女の立場をよく理解しているつもりだ。皇后陛下と奉られてはいるが、所詮は元伯爵令嬢、治癒魔法の能力は聖女を名乗るには到底足りない。今は、上皇陛下が健在であるから、陛下が本来、聖女である皇后の仕事を肩代わりしている。もし、上皇陛下が崩御されれば、マリアンヌ嬢に聖女の仕事をしてもらう必要がある。今、この国でその力を有する令嬢は彼女だけだから…。
そうなれば、聖女と皇后、その両方がこの国に存在し、権力が2分される。皇后はその地位はあるものの、その役割を果たせる能力がないのだから、当然、力は聖女の方が上だ。皇后は財を動力を持ち出すのみで、その信仰と人々からの賞賛は聖女であるマリアンヌ嬢が一身に受ける。
「私は、皇后、貴女の為に宰相の職を欲したんだ。貴女が、殿下がこの先、リマンド侯爵に媚びへつらうことのないように、マリアンヌ嬢のご機嫌を伺う必要がないように!」
キリッとスミス侯爵を睨むと、皇后は自分を落ち着けるようにお茶を一口飲んだ。
「まあ、兄様が男爵令嬢なんかと婚姻するから、いけないのよ?わかってらっしゃる?そんなに野心がおありなら、何故、コーディネル様と婚姻なさらなかったの?もし、兄様がコーディネル様と婚姻なさっていたら、我がスミス家が侯爵家であり続けることに、何ら問題が生じませんでしたのに」
今、旧オルロフ侯爵家の色である真紅の髪を持つ、女性はフリップ侯爵家に嫁いだコーディネルとクラウン子爵家のラティーナのみだ。そして、ラティーナとコーディネルでは圧倒的にコーディネルの方がだ。そして、スミス家が侯爵家であり続ける為には、いずれは、この真紅の髪の色を我が物にしなければならない。
「だが、コーディネル様はリマンド侯爵に想いを寄せていらっしゃったではないか」
必死で言い繕うスミス侯爵に依然、冷たい視線を注ぎながら、黙れとばかりにバシンと扇子を閉じた。
「いいわけは結構ですわ。で、お兄様は、どうなさるおつもりですの?もし、フリップ伯爵が離縁なされたら、お姉様と離婚なさって、コーディネル様を娶られる?それが叶わないなら…フリップ小伯爵にその座をお譲りになるつもりなのかしら?私はそれでも良くってよ?だって、シードル様と結婚するのはスタージャですもの。シードル様であれば、フリードリッヒ卿と仲良くできるでしょうね?異母兄弟とはいえ、仲が良さそうですもの」
スミス侯爵はジロリと皇后を睨んだ。
「言って良いことと、そうでないことがあろう?」
「あら、お兄様、オブラートに包んでいる場合では無いのですよ?何の取り柄も無いお兄様が侯爵になれたのは、スタージャが力を私に明け渡し、私が皇后になったからに他なりませんわ。実力なら、お兄様のまだ見ぬ子供より、オルロフ小伯爵、そして、次期ラティーナ様と婚姻されるソコロフ家の次男である次期クラン伯爵、そして、スタージャの夫となるフリップ小伯爵が有力ですわ。スタージャはちゃんと良い相手と婚約しましたわ。だれかさんと違って、ね」
そう言うと、皇后は、つーっと含んだような視線をスミス侯爵に視線を向けた。
「貴女方が妻を良く思っていないことは、知っています。だが…」
「ですが、何?まさか、認めろ、とは言わないわよね?その座にしがみ付くなら、何か、犠牲になさらないと、ね?既に、フリードリッヒ卿とマリアンヌ嬢からは良い印象は持たれてないと思うわよ?」
スミス侯爵は拳を強く握り締め、皇后を睨む。
「それは、これから挽回しますので、ご心配には及びませんよ」
スミス侯爵は馬車に揺られながら、愛妻との離縁を迫る皇后に頭を抱える。一目惚れし、口説き落として結婚した相手だった。
嫁に来てもらってから、侯爵夫人の肩書はあるものの、肩身の狭い思いのをさせていることは知っている。皇后とスタージャは仲が良いが、妻は生家の爵位が低く軽んじられ疎まれている。両親も事あるごとに圧力をかけ、離縁を迫っているのは知っていた。妻を愛妾にという、母の反対を押し切った婚姻だ。
「こんなところで足枷になるとはな」
一人ごちる。
愛している相手だ、離縁する気など毛頭無いが、自分たちの子が跡目を継ぐことの出来ない現実が、失態を犯した今、重くのしかかる。フリップ伯爵とコーディネル様が上手く行っていないことは知っている。コーディネル様はまだ36と若い。もし今、娶れば子をなすことは可能だろう。だが、皇后の言う通り、コーディネル様を娶る為には、妻と離縁せざるを得ない。その前に、フリップ伯爵に離縁して貰わねばならないがな…。
一番妥当なのは、スタージャの子を養子に貰うことだが…。それには、リマンド侯爵の承認が必要。
クソ、宰相に上り詰めさえすれば、皇后に協力を仰ぎ、法を改正することが出来たかもしれんのに!
その皇后がリマンド侯爵家に尻尾を振っているのだ、スミス侯爵にはもうどうすることも出来なかった。




