事件の前触れ ①
待っていて下さった方、お待たせしました。中々、時間が取れず…。申し訳御座いません。
旦那様達はお嬢様のデザイナーとお針子達を連れて、砂漠の国の皇太子をもてなす為、一緒に領地へ戻られた。皇太子はリマンド侯爵家で数日過ごしたのち、自国へお帰りになるらしい。今回は魔馬を使わずゆったりと、観光しながらのお帰りと聞いた。
お嬢様と旦那様の仕事を代行するフリードリッヒ様は王都へ残ることとなり、勿論、お嬢様付きの侍女であるユリも一緒に王都に残留することになった。
ユリは白く曇った窓から外を眺めた。
冬の厳しさは本格化して、美しかった侯爵家の庭はすっかり雪で覆われ、庭師達の仕事は温室の花の手入れと雪掻きになり、屋敷への客足も途絶えた。
街も、店が閉まり、空いているのは魔石を売るギルドの一角と、雪掻きの依頼に応じる商業ギルドくらいだ。食うに詰めた者や、冬の蓄えに心許ない者達がその商業ギルドから雪掻きの依頼を受け、対価として食料や薪、木炭などを受け取る。国の貧困民救済策だと謳っているが、本当は軍備の為、その力を使えないのが現実なのだろう。
質素な辻馬車がこちらへ来るのが見えた。マリアンヌの店の店長だろう。ユリは、彼女を迎えるべく裏口へと急いだ。
この退屈な王都でのマリアンヌの少ない楽しみが、定期的に話し相手としてやって来る店長だ。彼女は街のあらゆる情報や噂話を持って来る。
彼女は元来、友達が多く社交的な性格だが、たった二人の家族である娘がリマンド侯爵領へお針子達と行ってしまったのも、この閉ざされた中、彼方此方へ出向く要因の一つだろう。この所、マリアンヌの店は開店休業状態で、店長の友達が集まり、日々、話に花を咲かせている状態だ。
こんな中でも、温かな毛皮のコートや、見習いのお針子が練習用として縫った、比較的安価な綿の肌着はよく売れると店長が言っていた。この肌着は店長がどうしても店で売りたいと言ったものだった。セルロスは店の品位が下がると嫌ったが、新たに雇った者達が使いものになる為には沢山の練習が必須だ。それで肌着をと言ったのが店長だった。非常に安価な為、大きな利益は無いがお針子達の給料分くらいにはなった。
「ユリ様」
厳しい寒さにも関わらず、店長は満面の笑顔で嬉しそうに足場の悪い中、早足でユリの方へ向かって来る。
そんな様子にユリの心が温かくなった。
「店長、よく来て下さいました。お嬢様がお待ちです。此方へどうぞ」
一番質素な客室へ通す。店長が萎縮しないように、なるべく寛いで貰える為のユリなりの心配りだ。
「宰相閣下が折角作って下さった、傭兵駐屯所なんですけどね。奴等ときたら、マナーが悪いったらありゃしない。明け方まで居酒屋で馬鹿騒ぎをして、酔っ払って周辺の家の壁は壊すし、一般市民には絡むし、碌なことをしない。駐屯所近くに住む者は夜にはおちおち外出もできない有様ですよ。」
店長は出されたお菓子を美味しそうに頬張りながら、周りの人達に頼まれたと、傭兵駐屯地への苦情を口にする。その様子は知り合いの娘に、話しかけている近所のおばちゃんだ。
「誰が傭兵達の管理をしているのかしら?」
首をこてっと傾けて尋ねるマリアンヌに、店長はここぞとばかりに畳み掛ける。
「勇者様ですよ。私も含め皆ね、最初はどこぞの貴族出身の騎士様が傭兵を管理するよりは、冒険者上がりで市民の気持ちのわかる勇者様が管理して下さるほうが絶対に良くなると思って歓迎してたんですけどね。蓋を開けたらあの有り様でしょう。」
店長はマフィンを頬張りながら、勇者への文句を垂れ流している。
「そんなに酷いんですの?」
「酷いなんてもんじゃないですよ!全く、その傭兵達を注意する立場のはずの、勇者様、えーっと、そうバルク男爵様も一緒になって飲み歩いてるっていうんですから!」
「ですが、市民の方々から、傭兵達の管理はバルク男爵様が良いと要望があったと聞いていますわ。」
店長は食べかけのマフィンを口へ押し込むと、冷めた紅茶で流し込み、困り顔をして、マリアンヌに視線を向ける。
「そうなんですよ。街の皆が希望して、王様が願いを聞いてくださった。だから、王様を責めるわけにも行かない。かと言って勇者様は当てにならない。本当、八方塞がりでしてね。で、宰相閣下のお嬢様にパイプのある私が皆に頼まれてこうしてお願いに上がったしだいなんですよ。」
セルロスの言っていた通りになったことに、ユリは驚いていた。
傭兵達は何かしら問題を起こす。その怒りの矛先が国や旦那様、陛下へ向かないように、誰かしら、矢面に立つ人物が必要だ。何なら、それを利用して、その者の評判を落とせればなお良しか。スラム街が無くなり、スラム街の人々の怒りの反証剤の役割が無くなったら、今度は、市民の怒りから、陛下や旦那様を守る役割を押し付けられるとは、勇者様も大変ね。
「申し訳ないんですけど、お父様は今、領地におりますの。手紙で知らせはしますけど、お父様が対策を打たれるとしても領地から戻られてからとなりますわ。」
「それで充分だよ。だめもとで頼んだんだ、聞いて貰えるだけありがたいよ。」
店長はほっとしたように笑顔を浮かべた。
お嬢様と繋がりのある店長へ、この不満を伝えて欲しいと街の皆が頼んだのだろう。お節介で人の良い店長は断り切れなかったことは容易に想像できた。
「市民の方々は、バルク男爵へ傭兵達を取り締まるように要望は出されてないんですか?」
「出してるは、出してるんだけどねぇ。申し訳なかった。しかし、俺の仲間にそんな事をする奴はいない。酒が入ってて失敗しただけだ、悪気はなかったって取り付くしまがないんだよ。全く、貴族様になったってのに冒険者と変わりゃしない。生粋の貴族よりタチが悪いって、今じゃ街中の嫌われ者だよ。」
あれ程、持ち上げられていたのに、嫌われ者って。世の中の評判は移ろいやすいものね。
「少し前までは、街中がバルク男爵親子を讃えてましたのにね。」
ああ、お嬢様も同じようにお思いになられましたのね。
「何か、おっしゃいましたか?お嬢様?」
「ううん。何でもないわ。それより、今、市井で面白い話はないの?」
店長は少し考える素振りを見せたあと、両手を合わせて満面の笑みを浮かべる。
「眉唾ものですがね、何でも治す不思議な薬があるらしいんですよ!」
ポーション。もう、ポーション事件が起こる時期なのね。はあ、事件と無関係だと証明する為に、万が一に備えてお嬢様には領地に居て貰いたかったのに。旦那様の命であれば、それも難しかったんだけど。
「何でもとは?治癒魔法でも治らないものも治るのかしら?」
「さあ、私達庶民は、治癒魔法なんて上等なものは拝む機会がございませんがね。噂では、無くなった手や足は生えないけど、折れた腕や脚が元通りにもどるとかなんとか。市販の毒けしよりも効能が良い万能薬みたいな代物らしいですよ。ただ、値段も、庶民には手が出ないほどお高いらしいですけどね。」
「どこに行けば手に入りますの?」
回復薬に興味を示すマリアンヌにユリは肝を冷やす。
下手に関わって、犯人に仕立て上げられたらもともこも無いわ。
「さあ、私もそこまでは詳しくは知りません。お嬢様がご興味がお有りなら、話を聞いたら教えますね、私も噂話は大好物ですから。」
店長は楽しそうな様子で、今度はマカロンを一つ口に放り込んだ。
「まあ、店長も噂話が好きなんですの?」
「そりゃぁ、そうですよ。王都に住む民で、噂話の嫌いな者はいないよ。ただでさえ、雪のせいで王都への人の出入りが少なくなると、それくらいしか楽しみがありませんからね。まあ、私にはお嬢様にこうして会いに行くっていう楽しみがございますがね。」
店長はにこにこしながら、今度はクッキーに手を伸ばす。
「そう言えば、お嬢様。砂漠の国の皇太子殿下と第二皇子、えらく美形なんでしょ?魔法学園に通っている商会の娘さんがね、目をキラキラさせて教えてくれたんですよ。」
回復薬の話題から、クリスマスの夜会の話に話題が逸れたことに、ユリは安堵した。
商会のお嬢さんといえば、ローディア商会の娘、キャサリンのことだろう。早急に、彼女の侍従と会うべきね。
「ええ、一般的にみて、綺麗なお顔をなさっていると思うわ。」
「その皇太子殿下、クリスマス舞踏会で踊られたのはお嬢様だけだったそうじゃないですか。私、それを聞いたときは誇らしくて、誇らしくて、流石、私共のお嬢様だと思いましたよ。」
ああ、矢張り、砂漠の国の皇太子はお嬢様だけに興味を示されたのね。きっかけはドレス。
「その娘さん、他に何か言ってたかしら。」
「ジュリェッタ嬢が、フリード様にダンスを申し込んで断られたんですわね。ジュリェッタ嬢、まだフリード様のこと諦めて無かったんですわね。」
「彼女可愛いから、沢山のダンスの申し込みがあったみたいだよ。なんちゃら伯爵の御子息とか?」
リフリード様のことを言っているのだろう。フリップ夫人が苛立っているのが、手に取るようにわかるわ。
「店長、その娘さんのご実家って?」
「かの有名なローディア商会だよ。」
やっぱり。フリップ夫人の妹であるエルサ様の娘。
「その、お嬢さんはだれと参加されたのかしら?」
「従兄弟の伯爵家の公子様って言ってたよ。」
「その、ローディア商会のお嬢さんって、うちのお客様だったりするのかしら?」
「そうですよ。今回のドレスもうちでお買い求めくださったんですよ。」
なら、話は早い。顧客リストを見れば大抵のことはわかるわ。一度、店にも足を伸ばそう。いつもの定員に探りを入れる必要があるわね。エルサ様の最近の様子を調べなきゃ。
「店長、今度ローディア商会のお嬢さんがご予約されたときは、私に知らせて頂戴。」
「来週いらっしゃる予定なんですよ。店に戻って日時を確認して連絡しますね。すっごく明るい子なんで、お嬢様もきっとお気に召されますよ。じゃぁ、そろそろお暇しますね。今日もご馳走様でした。」
「こちらこそ、楽しいお時間でしたわ。ユリ、残りのお菓子詰めて差し上げて」
側に控えていたユリがさっと用意してあった紙袋へお菓子を詰めると、それを持って店長はご機嫌で帰って行った。
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