教会
着替えて裏口へ行くと、セルロスはもう待っていた。先程までピシッと上げていた髪を下ろして、ラフな格好をしていた。ユリはその落差に笑みを浮かべる。
執事の時と言葉遣いも変わるのよね。
「あっ、俺が買ってやったコート、ちゃんと使ってくれてるんだな」
執事のときには見せない屈託のない顔で、へらっと笑うと、セルロスはさあ行こうとでも言う風に、ユリの手を引き歩き出した。いつも辻馬車を呼んでいる所を通り過ぎて、塀沿いを歩く。
「セルロス、辻馬車を使うんじゃ無いの?」
「今日は、辻馬車は使えないんだ。だから、乗り合い馬車で行く。乗り合い馬車も増便しているしね」
全ての貴族達が何らかのクリスマスの夜会に出席しているので、辻馬車の殆どがで払うらしい。また、乗り合い馬車も増便する為、普段は辻馬車を引いている馬や御者も乗り合い馬車を引くそうだ。
待っていると、程なくして乗り合い馬車が来た。中は貴族達に仕えるメイドやコックなどが乗っている。セルロスは深く帽子を被り、ユリの頭にはショールを被せたると、悪戯っ子みたいにニヤッと楽しそうに笑った。そそくさと馬車に乗り込む。馬車の中は、我が家や教会に向かう人達で楽しそうな雰囲気だ。
「どうして、顔を隠したの?」
こっそり耳打ちするユリに、セルロスはご機嫌でユリの耳元答える。
「こんな時まで、仕事したくないだろ?今から俺たちはリマンド侯爵家で働くメイドと従者の夫婦だ。できれば、下男下女辺りがいいんだが、それだと服装がな」
セルロスの言わんとすることが分かった。確かに、侍女と執事では行動に制約が付き纏うわね。下男下女だと一番気軽でいいが、それだと、買えそうにない服を着ていることが一目でわかる。
車内の雰囲気は和やかで、皆、給金を貰い、家族で過ごす長い休みを楽しみにしている。
「珍しいね、リマンド侯爵家から乗って来るなんて。リマンド侯爵家は王都民を滅多に雇わんだろ。お前さん達、どうやって雇って貰ったんだい?」
小柄だが筋肉質で日に焼けて浅黒い年配の男が、興味深そうにユリ達に声を掛けてきた。
「俺たちはリマンド侯爵領から、こっちに来たんだ。我が家は、向こうでは代々リマンド侯爵家に仕える家さ」
セルロスの答えに男の興味は一気に失せたようで、つまらなそうに肩を落とす。
「そうか。なあ、どうやったら、リマンド侯爵家に仕えれるんだ?ほら、一人いただろう?マルシェの魚屋の、ええっと…」
「オットーですか?」
ユリの声に嬉しそうにすると、饒舌に言葉を続ける。
「そうそう、オットー!彼奴が勤めれたんだから、全く無理じゃないと思うんだがなぁ。俺は、大工をやってるんだよ。花壇の柵や、屋敷の傷んだ所を修繕するのが俺の仕事さ!なあ、リマンド侯爵家の執事さん、紹介してくれよ。腕にはちぃと自信があるんだぜ!」
ああ、セルロスがメイドと従者だと言っていた意味がよくわかったわ。
「無理だよ。俺たちじゃ、機会は無いな」
セルロスは申し訳無さそうに肩を落とす。
「そんなもんなのかい?」
不思議そうな男に、セルロスは肩をすくめる。
「ああ、俺たちに直接指示を出されるのは侍女様達だからな。それに、目下のから声を掛けるのは直属の上司までって決まりがあるんだよ」
「ややこしなぁ。あーあ、せっかく、リマンド侯爵家で働けるチャンスだと思ったんだが」
男は薄くなった頭を撫でると、肩を落とした。
「そんなに、リマンド侯爵家で働きたいんですか?」
ユリの問いに男はニカッと笑うと人差し指を立てる。
「そりゃぁ、そうだろ。あの、リマンド侯爵家だぜ、一度雇って貰うと拍が付くし高待遇だ。辞めても、情報を売れば食うに困る事はないだろ?」
ああ、成る程、これが理由で決まった家からしか人を雇わないのね。侍女も、行儀見習いと職業侍女の仕事を明確に分けているし…。
「おい、嬢ちゃん、そんな目で見るなよ。情報を売るなんざ、皆やってることだぜ」
「おじさん、あんたリマンド侯爵家では雇って貰えないよ。あそこは、一度でも情報を売ったことがある人間は雇わないからね」
さらっと告げたセルロスの言葉に、男は大きく落胆した。ユリ達は男と別れ、マルシェの近くで馬車を降りる。
マルシェは美しく飾り付けられ、客足も少なくなっている。いくつかの店はもう売り切れらしく、店仕舞いをしていた。どの店も店頭の商品は少なく、皆、口々に値下げして売り切ろうと声を張り上げている。それでも、木炭と薪、魔石を売るギルドは人気らしく。人が列を成していた。孤児院の馬車と思しきものから、子供達が薪と呼ぶには心許ない木切れの束を下ろし、店頭に並べている。そんな物まで、良い値段で飛ぶ様に売れていた。今日で全ての店が閉まる。王都は雪に覆われ、国賓の方々が帰れば門も固く閉ざされ、雪の要塞の出来上がりだ。
ユリは王都の冬の厳しさを、そんなマルシェの様子から見せつけられた気がした。
教会の大きな籾の木に組み紐が沢山飾られ、今年、皆が願ったことが叶ったことの多さに心が温まる。
「ユリ、キャンドルを買おう」
籾の木に見惚れていたユリの手をセルロスが引いた。
「キャンドル?」
「そう、ほら、見てごらん、皆、キャンドルを持っているだろう。入口でキャンドルを買って、教会内の燭台に立てるのさ。ミサが終わったら、キャンドルを買った時に貰う引換券を渡すと、キャンディーが貰えるんだ」
砂糖は貴重だ。それを溶かして作る飴は、庶民の口に中々入る物ではない。
「一年に一度の女神様からのプレゼントね」
「そうだ。子供の頃、これが楽しみでさ、早くミサが終われって念じてた」
悪戯っ子のように笑いながら、セルロスは燭台に蝋燭を立てた。
「ふふふ、なんとなくその光景が目に浮かぶわ」
「ここに来れるって、幸せなんだよな。こうやって、キャンドル代を払えて、家族揃って冬を越せる蓄えがあるってことだもんな」
冒険者達は冬でも活動できる南へ行く。しがない行商人もクリスマスなど構う暇なく、今、買い付けが出来る地へ赴く。でも、王都民はまだ幸せだ。子供は育てれなければ、教会へ預けたら良い。王都の教会は子供達を温かく受け入れてくれる。
「そうね。皆、幸せそうだわ」
「来年も再来年も、ずっと一緒に来よう」
じっとユリの目を見て真剣に話すセルロスに、ユリの心臓はその鼓動を速めた。
「う、うん」
ユリはキャンドルの薄暗い中、そう小さく呟いた。パイプオルガンの音色と共に、子供達の歌声が響き、教会の内は幻想的な雰囲気に包まれる。祭司が女神へ感謝の言葉を述べ、子供達にロモアと言う女神を象ったドライフルーツたっぷりのパンを配っていく。子供らはそれを嬉しそうに頬張り、大人達はその様子に笑みを浮かべる。今年結婚した者達は、祭壇に進み出て、祭司から祝福の言葉を貰い。教会に集まった人達から祝って貰う。なんとも、幸せに包まれた一時だ。
これが終われば、皆、愛する家族と家に篭り暖を取り、冬が終わるのを待つのだ。女達は服を縫い。男達は籠を編んだり、工具の手入れや家具の手入れをして過ごすのだ。
こんなにも、幸せな気分の中、クリスマスを迎えれたことをセルロスに感謝しなきゃ。




