クラン子爵 ⑤
ラティーナから侍女を借り、なんとか支度したエーチェは不機嫌だった。侍女達はエーチェの支度を終えると、ここに留まることがさも不快であるかのように、さっさと本邸へ帰ってしまった。
「お父様、あの侍女達、酷いんですよ!ギリギリに来て、入浴の手伝いもマッサージも無く、さっさと着付けて、メークもヘヤーセットも最初に要望を尋ねたっきり、挙句、全てが終わった後、綺麗ですね、の一言も無いのよ!信じられます?」
それは仕方ない。彼女達だって嫌々来たのだろうから。
「落ち着きなさい。今から夜会なのだから、興奮すると折角綺麗に着飾ったものが台無しになるぞ」
エーチェは気分を落ち着かせるように、大きく深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻すと、いつも夜会で見せる、その年齢には不相応な妖艶な笑みを顔に浮かべる。
肉感的な肢体にそれを際立たせるドレスを身に纏うと、男なら誰もが目で追いたくなるような官能的な雰囲気を醸し出した。
ああ、妻にそっくりだな。劇場でこの姿を見て心惹かれたのだ。夜会で咲き誇る美しき花達とは全く別の美だ。
「行きましょう」
若かりし頃の夫人を彷彿とさせるとさせる横顔で、馬車に乗り込むエーチェを子爵はエスコートした。
ああ、エーチェもエーチェなりに覚悟を決めているのだな。
久しぶりにクラン子爵本邸を訪れる二人は、その雰囲気の変わりように驚きを隠せないでいる。チグハグだったインテリアは古めかしい建物に合わせて、品の良いアンティークの物に代わり、庭には優しい季節の花が植えられていた。屋敷の中は美しい花が飾られ、端の丸いテーブルには一口サイズの食べやすい食事が用意されている。
ここは、我が家か?
続々と集まる顔ぶれに、子爵は目を見開いた。来客はエーチェが期待していた妙齢の子息女では無く、その門家の主人や夫人達だ。彼らはラティーナに祝いの言葉を告げ、ラティーナは長年世話になった事への感謝の意を伝えている。
色香で適当な子息を操り、時間稼ぎをしようと思っていたであろうエーチェは、笑顔を貼り付けたまま、ワナワナと震えていた。この状態では、エーチェの最も苦手とする親に気に入られることのみでしか活路は見出せない。
清楚で慎ましやかだが、しっかりと華のあるドレスを身に纏った夫人が、エーチェと子爵を見つけて、慌てて側へ来た。
落ち着いたドレスを纏った御夫人達の中に、エーチェ一人がこの会場で浮いた存在だ。これがパステルカラーの可愛らしいドレスであれば好感も持てるが、今のエーチェの格好は明らかに場違いだ。
年配の夫人達がエーチェを見て眉を顰め、普段の会場であればエーチェに釘付けになる紳士達でさえ驚いた表情を見せる。
主役であるラティーナの装いも上品で、落ち着いたドレスである為、余計に悪い意味でエーチェは目立った。
「エーチェ、貴方」
夫人は色々と話したそうではあるが、周りの目もあり、口籠もってしまう。
「元気そうで何よりだ」
「ええ、大変でしたでしょう。何の手助けも出来ず…」
久しぶりに見る夫人は肌艶が良く、清楚で貴婦人のような出立ちだ。夫人はエーチェを見ると、申し訳なさそうに目を伏せた。エーチェは夫人に侮蔑するような冷ややかな視線を送る。
このような顔ぶれが集まるなら、何故、前持って連絡を寄越さない。そのドレスを準備できるなら、最初からそうだとわかっていただろう。
子爵は夫人に裏切られたような気分になった。
「テ」
「今日はお招き頂いて、ありがとうございます。エーチェ嬢の為の夜会は何度も行っているのに、と思っていてごめんなさいね」
子爵が、夫人に喋りかけようとしたら、ふんわりとした年配の婦人がクラン夫妻へ話しかけて来た。
「いいえ。本日はお越し下さいましてありがとうございます」
子爵は咄嗟に取り繕い、良き父の顔をつくる。夫人もなんとか取り繕った。
「ラティーナ嬢には、あんな素敵な婚約者がいらっしゃったのね。それは、悪い虫が付かないように隠すはずですわ。エーチェ嬢、もう少し、お姉様を見習わないとね。ふふふ、今日はラティーナ嬢の晴れ姿を見れて安心しましたわ」
婦人は一方的に楽しそうにそう告げると、にこにこと笑顔を浮かべたまま去って行った。婦人の言葉にエーチェの表情が曇る。
子爵が夫人を問い詰めたくとも、次から次へ挨拶へ来る客の対応に追われ、それどころではない。
皆一応にラティーナを褒め、エーチェに対して、冷ややかな態度をとっていく。しかし、不思議と、誰一人、子爵夫妻を責める者は居なかった。
ラティーナはソコロフ卿との婚約が、水面下て進んでいたと思われているのか。だから、悪い虫が付かぬように、屋敷の奥に隠していたと。ラティーナが冒険者をしていたことでさえ、婚姻相手がソコロフ卿であれば美談だ。未来の夫の仕事を少しでも理解しょうと努力したことになっている。
一通り挨拶が済んだ頃に、ラティーナと共にソコロフ卿が子爵夫妻の所へやってきた。
「レオン・エドナール・ソコロフと申します。討伐に時間が掛かり、帰還が遅れ申し訳ございませんでした」
皆が遠目で見守る中、形式通りの挨拶を交わす。
ソコロフ侯爵よりも雰囲気が柔らかいな。近衞騎士達のように女性慣れしている風にも、文官達のように腹で何を考えているのか計りかねる雰囲気もない。案外、エーチェにコロッといくやもしれんな。
「初にお目にかかります。妹のエーチェでございます」
エーチェがここぞとばかりに、ソコロフ卿へ自分をアピールする。ソコロフ卿はエーチェを見ると酷く驚いた顔をし、ラティーナを見る。
ラティーナとエーチェは全く似ていない。スレンダーで長身なラティーナに対して、エーチェは小柄でグラマラスだ。ラティーナはオルロフの血を濃く受け継いでいる為、きつい雰囲気を与える燃えるような赤い髪をしているが、エーチェは柔らかな雰囲気を醸し出す茶色の髪に焦げ茶の瞳だ。
「ラティーナ、彼女は君の」
「ええ、妹よ」
まあ、見かけがこれだけ違えば疑うのも無理は無いか。
「そうか、失礼したよ。俺はてっきり」
「てっきり?」
エーチェが問う。エーチェはその先の言葉を期待の籠った眼差しで待っている。いつもの、『全く似ていない姉妹だとは思えない』と言う言葉を。その後は決まって、『美人姉妹だが、こうして並ぶとエーチェ嬢の方が女性らしいね』という言葉で締め括られる。
「いや、この場では相応しくないな」
「ソコロフ卿、エーチェは気にいたしませんので、どうぞ仰って下さい」
可愛くしなを作って、低い身長を生かして上目遣いでその先を促す。一番魅力的に見える計算された角度だ。
「ですが…」
言い淀む、ソコロフ卿にエーチェの期待が高なるのを感じる。ソコロフ卿も所詮はただの男か。
「レオン様、どうぞ仰って下さい。そうしなければ、妹が気になって仕方が無い様子ですので」
冷静にそういうラティーナに押されて、ソコロフ卿ははあと小さく息を吐いた。
「花街の女性を、誰かが連れてきたと思っていたのですよ」
ピシッと固まるエーチェに、ソコロフ卿はだから、この場に相応しくない発言だと言ったでしょうとでもいいたげだ。
「花街ですか」
夫人は恥いるように顔を赤らめ俯き、子爵がビックリしたように呟いた。
エーチェが飲み屋の女達と一緒に見えると、そう言っているのか?
「はい、申し訳御座いません。ラティーナがいるのにそんな店に出入りして、ですが、俺は冒険者達と仕事をすることが多く、彼らは皆、馴染みの店を持っていまして、そこで食事をしたり作戦の概要を伝えたりしているんですよ。彼らを貴族が使う店に入れることはできませんので」
ソコロフ卿はエーチェをそんな店の店員に間違えたことより、その店に出入りしているのは仕事の為で、決して疾しいことがあるわけでは無いと、必死にクラン子爵へ弁明する。
庶民達の為の高級酒場で、個室になっており少々騒いだくらいでは、部屋の外に声が漏れない。大金を稼ぐ商人や、上級の冒険者達が好んで行く店だ。金さえ払えば、見目の良い店員が酒の相手をしてくれる。定住地を持ってない冒険者達が、重要な話をするには打って付けの場所だ。まあ、貴族達はそのような飲み屋を使うことはない。
本来なら、エーチェをそのような店の店員と間違えたたことを弁明するべきじゃないのか!
「ははは、冒険者相手も大変ですな」
エーチェは酒場の店員に間違えられたことに放心状態だった。




