クラン子爵 ③
封を切った手紙には力強く流麗な文字が綴られてる。
エーチェが使った金額と自分が使った金額を計算してもらったところ、エーチェの方が優っていたので、エーチェに対する義理は済んだものとする。お父様には育てて頂いた恩があるので、今まで受けた待遇をそのままお返しする。その屋敷はお父様の名義に書き換えたので好きにして貰ってかまわない。又、クラン子爵家の名義での全ての買い物を禁止する。夜会の日には迎えの馬車を寄越すのでお使いください。
このようなことが書かれていた。
夫人のことには一切触れていない、決意の現れたような手紙。
もしかして、いや、だが。
底知れぬ不安が子爵を飲み込む。
あの執事が言っていたでは無いか、仲良く準備をしていると。裏切ったのか、いや、分からん。もしかして、ラティーナの機嫌を取り、上手く懐柔しようとしているだけやもしれん。今、結論を出すのは早計だ。取り敢えず、エーチェのドレスを売り、当面の資金を作るのが先決だ。
売ったドレス子爵が思った程の金額にならず、少し高揚していた気持ちを沈ませた。
買い取った店員に聞くと、デザインの問題らしく、良家の娘達はまず着ないと言われた。買取先は舞台女優や花街になる為、この金額が妥当だと言うのだ。
今まで、娘はそのようなデザインのドレスを着て夜会に出ていたのか。モテていたのでは無く、男達に軽く見られていただけ。夜会では群がるが、婚姻の申し込みは無い。出生の問題だと思っていたが、出立ちの問題もあったとは…。
その事実が子爵に追い討ちをかける。
部屋一杯のドレス達は金はかかったが、売るには対して金にならない代物。煌びやかで目には楽しいが実際には価値のない物。エーチェそのものを表しているような気がした。
思い返す。
ラティーナには良家からの婚約の打診があったな。
子爵は遠い目をして、荒れ果てた庭を目に映す。
残っている使用人の内、自分に忠誠を誓った者と連絡を取らねば。資金は得た。
子爵は下男を呼び、商業ギルドで大工と期間限定の下女を雇うと屋敷の手入れを本格的に始めた。屋敷が綺麗になるうちに、エーチェの機嫌も回復していった。
全てが順調に進んでいるかに思われたある日、またも、エーチェが癇癪を起こす。ドレスが減っていると喚き散らしているのだ。子爵は溜息を吐き、エーチェを宥める。
「古い物を処分しただけだ。あんなにもは要らんだろう?」
「要りますわ。全て私のです!」
「わかった、わかった。ラティーナを追い出してから、また、買えば良いじゃないか。それまでの辛抱だ。それより、ソコロフ卿が王都に帰っていらっしゃったらしい。それと、ビオラだが、元リマンド侯爵夫人に着いて別荘地へ行ったことがわかった。その家族達だが我がクラン家を辞めたらしい」
エーチェの気を逸らしなんとか宥める。
「まあ、なんて恩知らずな家族なの!あんなにお父様が目を掛けてやってたに関わらず、あっさりと見放して出て行くなんて!見てらっしゃい、返り咲いたら必ず服従させてやるんだから!」
エーチェの怒りの矛先がビオラ一家に向いたことに安堵しつつ、集めたラティーナの夫となるソコロフ卿の情報をエーチェに見せてやる。
「ソコロフ卿って、女っけが全くないんですね。これならなんとかなりそうですわ」
ソコロフ卿は専ら、ダンジョンの調査を行っているらしく、そのパーティーは男性のみで構成されていることがわかった。
「そうか、安心したよ。ラティーナと婚約した経緯は、ラティーナが冒険者をしていたからかもしれんな」
良家の令嬢が騎士とは名ばかりの、冒険者のような仕事を容認できるとは到底思えない。その上、家を空ける期間も長いから尚更だろう。その点、ラティーナは子爵家の娘とはいえ、母親は侯爵家の出、冒険者をしていたこともありその実情には詳しい。これが、ラティーナとの婚約に繋がったと考えて間違いは無さそうだな。
「お姉様と婚約した経緯はわかりましたが、肝心のソコロフ卿の女性の好みが書いてありませんわね。本当に女っ気がないんですわね」
さもあらん、騎士学校は男女で建物の建っている地方が違い交流も無い。ソコロフ卿が女性と交流した場といえば、魔法学園の1年間のみ。卒業と同時に第二騎士団に配属され今の生活だ。
社交界のパートナーは専ら従姉妹のモーテナル嬢、今は伯爵夫人で立派な2児の母親だ。
「ああ、噂になった女性すら居ないとは、堅物だな」
エーチェは楽しそうに鈴を転がすように笑う。
「ふふふ。なら、案外楽かもしれませんわ」
自信満々のエーチェに、子爵は一抹の不安を覚える。
ソコロフ家は厳格な武家だ、彼の好みがエーチェからかけ離れている可能性がある。矢張り、保険は掛けておくべきだな。
「エーチェ、ソコロフ卿もいいが、形だけでも婚約者を探さねばならんことを覚えておるか?でなければ、お前はマロウ男爵と婚姻することになるのだぞ」
今は喉から手が出るほどお金が欲しい子爵とすれば、これ以上ない婚姻相手なのだが、肝心のエーチェが彼を毛嫌いしている為、一応、釘を挿しておく。
屋敷に迎え入れてから、令嬢としての教育はしてきたつもりだが、良家を切り盛りしていくには些か不安が残る。爵位を金で買ったマロウ男爵くらいが、エーチェには丁度いいのではという考えが、ちらほら、子爵の頭に浮かぶようになった。
「わかっておりますわ。誰か適当に良さそうな方を見つけますので」
「ああ、わかった」
今まで可愛がってやったんだ、しっかりと返して貰おう。
子爵はうっそりと笑った。




